津軽

社の外は、夢にも見たことがない。
まっすぐ続く畳の回廊。元は白かっただろう壁は黄ばみ、ひびが入っている。
梁のかかる天井を見て、静雄は思い出したように口を開いた。

「なあ、聞いてもいいか?」

不思議に思っていた。夢を見ていた頃からずっと。
静雄が見つめると、サイケは首を傾げた。

「何?」
「津軽ってのは、何なんだ?」

津軽がサイケに取って大切な相手であり、眠ったまま目覚めないことは聞いて知った。
けれども、どうしてそうなったのか静雄は知らなかった。
知らなくてもいいのかもしれないけれど、気になったのだ。
静雄から見ても分かるほど、サイケは津軽を愛している。
その愛は、とても強いものに見えた。
津軽のためにサイケは関係のない人間を巻き込んだ。身代わりにすることさえ厭わなかった。
強くて、それからひどく繊細なものに感じられる。

「津軽は、御子なんだ。神様のためにいる。神様のために唄って、それから……神様のために眠る」
「はぁ?」
「静雄君は、巻き込んじゃったから教えるね。俺と津軽は御子だったんだ。神様のために神楽を舞う。津軽は髪の色が金色で、俺は眼の色が紅いから選ばれたんだ」

神楽を行うための御子は、異端の色を持つ子供が担う。
サイケは一つずつ話し始めた。
本来であれば、御子は60年に一度、一人だけ生まれる。生まれた子供は目の色か髪の色が他者と違う。
しかし、金髪である津軽と、紅い目を持つサイケ、は同じ年に生まれてしまった。
異例の事態に、社全体が戦慄した。

「俺か津軽、どちらかを御子にしようと祭司様は決めた。その結果、津軽が選ばれたんだ。津軽の金髪は俺の紅い目よりもずっと目立つから」
「そりゃそうだな」
「津軽が御子に選ばれた日から、俺は仮面をつけて過ごさなきゃいけなくなった。これ、狐のお面」

サイケは頭の後ろに回していた狐の面を静雄に見せる。
白い狐の顔に、赤いインクで目と口が書かれている。
これでサイケの紅い目を隠していたのだろう。何とも滑稽だ。

「隠さなきゃいけないって言われて育った。津軽にも会っちゃいけないって。俺は津軽のこと知らなかったけど、そう言われたら気になって……」
「会いに行ったのか?」
「うん、津軽の唄が聞こえたんだ。綺麗な声だったから、お話ししたくなった」

狐の面をじっと見つめ、サイケは淋しそうにため息を吐いた。




******




近付いてはならないと言われていた、御子の間。
そこから歌が聞こえてくる。物静かでいて、穏やかな優しい歌が。
サイケはそれが御子の歌う子守唄であることを知らなかった。
部屋の戸を見つめる。襖にそっと手を掛けると、歌が止まった。

「誰?」

部屋の中は座敷牢となっていて、中には金髪で白い着物を着た子供が座っていた。
サイケは一目で心を奪われた。
津軽が異端の色を持つ存在――御子なのだと知ったのは、それが初めてだ。

「あ、えっと……俺はサイケ」
「サイケ?知ってる。サイケ、内緒の子」
「君は?御子様?」
「津軽。唄うためにいる」

津軽、とサイケは口の中で反芻する。
単純に綺麗だ、と思った。金色の髪も、優しく響く声も。
津軽の目は少し色素が薄いけれど、サイケのような紅い目ではない。
思わず、目を奪われた。綺麗だ。ただそうとしか思わない。

「サイケ、狐のお面、可愛い」
「つ、津軽の方が可愛いよ!」
「え?」

思わず返してしまった言葉に、津軽が首を傾げた。
サイケの顔は赤く染まる。失敗した、と思った。
どうにか弁解しようとすると、津軽がじっとサイケを見つめる。

「あ、えっと……あの……」
「ありがとう」
「え?」
「ありがとう、サイケ」

そう言うと、津軽はふんわりを微笑んだ。
柔らかなその笑顔に、サイケは生まれて初めて大切なものを見つけたような気がした。
だから、禁じられていた素顔を見せる、ということをしてしまったのだ。
サイケは狐の面を外し、その赤い目に津軽を映した。

「もっとお歌を聞かせて。津軽の声、もっと聞きたい」
「え?うん、サイケも、お話もっとしてくれる?」
「いっぱいお話ししよう。津軽の知らない外の話、一杯するから」

サイケがぱっと表情を明るくして言うと、戸の向こうで物音がした。
ここは御子の間だ。サイケは立ち入りを禁じられている。
慌てて口を押さえると、サイケは外の気配を探る。
あまりここに長居はできないだろう。

「ごめんね、津軽。今日はもう戻るね。またお話ししよう!」
「約束」
「うん、約束!」

にこりと微笑む津軽を見て、サイケは笑った。
そして、禁じられた間を後にしたのだ。
これが、禁忌の始まり。

それからというもの、サイケは時間があれば人目を忍んで御子の間を尋ねた。
津軽はあまり表情の変わらない子だったけれど、サイケが顔を出すと確かに嬉しそうに笑う。
その笑顔が見たくて、サイケは色々な話をした。
とは言っても、サイケも異端の子。社の外の世界は知らない。
だから、自分の知る限りのことを話した。
その代わりに、津軽は唄う。
その歌は神にのみ捧げられる唄だったけれど、津軽は禁忌を犯した。
二人きりの時間はあまりにも楽しくて。だからサイケは忘れていたのだ。御子が、どんな役目を担うのか。


儀式の失敗を知らされたのは、サイケが津軽に見せようと折り紙で鶴を折っていたときのことだった。


つづく


'10.09.02 七草


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