メモリー

静雄が怪我をしたらしい、と臨也もとへ知らせが届いたのはついさっき。
まさか、と鼻で笑った臨也だけれど、電話先の新羅があまりにも真剣な声で言うものだから、内心ドキリとした。
静雄が怪我をしたとしても、あの化け物じみた回復力ですぐにでも治る。ただ、それを知っている新羅が焦るような、そんな怪我なんて予想できない。
頭で考えるより先に、体が動き出した。



連絡を受けてから30分後、臨也は新羅のマンションに来ていた。
焦ることではないかもしれない。けれども、先に体が動いたのだから仕方がない。

「すぐにくるとは思わなかったな」
「シズちゃんは?」

苦笑する新羅に、臨也は笑うことなく問う。そんな臨也に新羅が小さく頷き、臨也を中へと通した。
リビングのソファーに、静雄が座っているのが見えた。
内心、ほっと息を吐く。よかった、と素直に思ってしまった。
それがなんだか悔しくて、臨也はわざと嫌な笑みを浮かべた。

「なんだ、元気じゃない」
「体はね。頭を強く打ったのに、血なんかすぐ止まったし、脳にもまったく問題がない」
「さすが、化け物だね」

なんだ、と臨也は息を吐く。
まったく、どうかしている。静雄の心配なんてする必要がない。
どうせ怪我の原因だって、誰かに絡まれたりでもしたのだろう。
今回は、臨也は関わっていない。それがよけいに腹立たしくもあったのだけれど。

「やあシズちゃん、元気そうだね?」

いつもなら姿を見るなり殴りかかってくるはずなのに、今日は随分とおとなしい。
怪我をしたからといって、静雄は暴れるのをやめるような男ではない。
臨也がひょいと顔を覗かせると、静雄はこてんと首を傾げた。

「あの、誰ですか?」

衝撃的だった。何の冗談だろう。
「え……シズちゃん?」
「シズちゃん、ってのは俺のこと、ですか?」

臨也は驚いて新羅を見る。目が合うと、新羅は首を振った。

「記憶がね、ないらしいんだ。日常生活には支障はないだろうけど、自分が平和島静雄だってことも、僕らのことも、忘れているみたい」

静雄が、あの喧嘩人形が、すべての記憶を失ってしまうなんて。
くらりとした。しかし、それを表には出さない。
臨也は新羅の言葉を反芻する。
どうして、こうなった。
ふと、不安そうにする静雄と目が合う。途端に思考回路が動き始めた。
そうだ。これは好都合かもしれない。

「俺は臨也。折原臨也だよ、シズちゃん」

臨也はそう名乗って微笑んだ。


*****


もはや、医者である新羅もさすがとしか言いようがない。静雄は驚異的な回復力で、たった三日で記憶を取り戻した。
静雄に限っては、新羅は何があっても驚いたりはしないけれど。

「本当に奇想天外だね、静雄は」
「三日間も記憶なくしてたのか……」
「三日間のこと、何か覚えてる?」
「いや、何も」

ただ、記憶のなかった間を覚えていない。
専門医であったなら何か分かるかもしれないが、生憎、新羅は専門外だ。もっとも、専門医であろうとも、静雄の体は手に負えないだろう。
新羅は頭の隅に臨也の顔を思い浮かべた。
歪んではいるものの、あれはあれで静雄への感情には素直に行動する。ただし、静雄にはまったく伝わらない形で、だ。
臨也がどうにかしたのかな、と新羅が考えていると、静雄が不思議そうにぽつりと呟いた。

「俺、何してたんだろうな」
「臨也に聞いたらいいよ」
「あ゙ぁ?」

新羅はにこりと笑う。いい加減、じれったいのだ。
三日前、静雄の面倒は自分が見ると言い出して連れて行ったのは臨也だ。新羅は臨也の気持ちを知っていて、静雄を任せた。
まさか静雄が三日間のことをすべて忘れるとは思わなかったけれど。

「記憶をなくしていた間、臨也がずっと静雄を見てたんだよ」

いい加減、くっついてしまえ。そんな感情を込めて新羅は笑った。


*****


抜けた記憶を求め、静雄は臨也のマンションを訪ねてきた。
新羅の差し金か、と臨也は内心舌打ちをする。記憶をなくしていた期間のことを、静雄が覚えていなくてほっとしていたのに。

「どうなんだよ?」
「別にどうもしないよ?」

臨也は決して何も言わない。静雄がそれを疑わしいと思っていることは分かった。
だからこそ、何も言わない。

「何隠してんだよ」
「何も?」

静雄が舌打ちをすると、臨也は口元をつり上げて笑った。

「何を知りたいの?」

静雄の関心が自分に向いているとき、臨也はいつも心のどこかが満たされる。たとえそれが、憎悪や嫌悪だとしても。
静雄に対する感情が歪んでいることを、臨也はちゃんと自覚している。だから、何も言わない。
静雄の目がまっすぐ臨也を射抜く。ぞくぞくする。

「ねえ、シズちゃん。自分であって自分でなかった期間の記憶がなくても困らないと思わない?」
「あ゙ぁ?」

そうだ、この目だ。臨也が求めて止まないのは、こんな目だ。
三日振りに向けられる視線に、臨也はにやりと笑う。堪らない。

「記憶がなかった間、シズちゃんはシズちゃんじゃなかった、ってことだよ」
「んだよ、意味分かんねぇ」
「人間は記憶が存在を証明する。自分で持つ記憶と、周りの人間が持つ記憶が合わさって初めて、その人間となる」

だからあの三日間、臨也の傍にいた静雄は静雄ではない。
臨也がそう言って笑うと、静雄は忌々しそうに舌打ちをした。嫌悪に対して、静雄は素直だ。

「俺は何も言わない。誰にも言わない。もちろん、シズちゃんにもだ」
「はっ……もう聞かねぇよ」

吐き捨てるように言うと、来たときと同じように静雄は挨拶もなく出て行った。
残された臨也は一人、ため息を吐く。

「馬鹿だなぁ……」

その言葉は自分に対してか、静雄に対してか。臨也にもよく分からなかった。


*****


「シズちゃんはそこに座っていていいからね」

臨也、という男は優しく笑うとそう促した。
不思議な男だ、と思う。親切で丁寧で、でも瞳の奥に何かを隠している。
もっと知りたい、と思ったのは、“静雄”の感情なのだろうか。俺には分からない。

「あの、臨也さん?」
「呼び捨てでいいよ。敬語もいらない。シズちゃんもそうしてたからね」
「じゃあ、臨也……」

名前を呼ぶと、心の奥が言い知れない感覚に包まれる。これは、なんだろう。
臨也が言うには、俺と臨也は同窓生だったらしい。臨也は決して、友人であるとは言わなかった。
それが不思議で、なんとなく納得できた。

「……シズちゃん」

臨也が俺に触れるとき、友人にするのとは違う顔をする。記憶がなくても分かる。
だから、もしかしたら、臨也と静雄は恋人同士なのかもしれない、と思った。
そっと臨也に触れてみる。暖かい。

「どうしたの?」
「俺、臨也のことが好き、なのか?」
「……さあ、どうだろうね」

優しく、でも辛そうに臨也が笑うから、きっと臨也は静雄が好きで、でも二人は恋人ではないんだと感じた。
心の奥にある感情に、小さく笑う。
早く記憶が戻ればいいのに。そうして、この淋しそうに笑う人に思いを伝えたらいいのに。
そう思いながら、臨也の頬をなでた。
きっと、同じ想いだ。俺が臨也に感じた感情と、静雄が臨也に向けている感情は。

「早く記憶が戻ればいいのに」

そう口にすると、臨也は困ったように笑った。


おわり


'10.11.10


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