音を絶ち、息を殺して歩み寄る。殺気も出来る限り押さえ込んで、ぐっすり眠る彼が愛用している傘を持ち上げた。そこから仕込み刀を抜いてやれば、鋼の素材がキラリと光る。不意に喉が渇いた感じがして唾をゴクリと飲み込んだ。心臓が煩いくらいに鳴り響く。恐怖か、それとも歓喜か。どちらにせよ、私は酷く興奮していた。傘の上の部分をそっと床に置き、刀を両手で握り締める。それをゆっくり振り上げれば、心臓の乾いた音は更に大きくなった。息が荒く、額に冷たい汗が流れる。
視界の端で鼠が部屋の隅を走り抜けたと同時に、私は刀を振り下ろした。
「……フェイのヤツ、またやってるよ」
「最近毎朝だよな」
「寝ぼけてんのかね」
「…………」
現在午前9時。広間には数人の旅団員が各自好きなことをして過ごしていた頃、小さな衝撃音に全員が顔を上げた。その殆どは奇っ怪なものを見るような顔をしていたり、またかと呆れている者もいる。その中でただ一人、フィンクスだけが彼の奇行の真意を知っていた。俺が見てくるわ、と仲間に一言断りを入れてその場を離れる。他の者達も既に慣れたのか、フィンクスを見送った後何事もなかったかのようにさっさと自分の作業を再開した。
「…おいフェイにナマエ、やめブッ」
「あ、ごめんフィンさん」
「ハ、どこ狙てるか」
「わざとだバカヤロー」
はい、どうも初めまして皆さんのナマエです。嘘です。因みに私は泣く子も黙る幻影旅団員ではありません、ただのしがない一般人でした。はい、でした、過去形です。とりあえずそのことについては少し説明せねばなりませんね。……と、その前に。
「………恨めしフェイタン死ね!」
「お前が死ね、あ、いや、ささと成仏しろ」
「テメーをブッコロスまでは成仏しませんー、おチビ」
「死ね」
フェイタンは落ちていた傘の上の部分を掴み、私の方へ投げた。そりゃあもう目に見えないスピードで。それでも肉体を持たない私に当たる筈もなく、それは物凄い音を立てて壁に突き刺さった。ふふん、と鼻で笑ってやれば彼の鋭い眼光で睨まれる。今となっては恐怖のきの字もない。まだやる気なのか、フェイタンは足元の瓦礫を掴んで振りかぶるが、それはフィンさんによって制された。
「フィンクス離せ、ワタシあいつ殺すね」
「フェイ安心しろ、アイツはもう死んでる。そんでナマエはさっさと成仏しろ」
「(北斗みたいなこと言った…)フィンさん酷い。また憑依するぞ」
「それは勘弁」
フィンさんは掴んでいる手を離し、フェイタンも渋々石を放り投げた。勿論私の方に。
「そんな騒いで、またアイツらになんて説明すんだ」
「馬鹿な幽霊がいるて言えばいいね」
「んなこと信じるかよ」
「じゃあフィンクスの時みたいに憑依すればいいよ。ていうかしろ」
「私に命令すんな。あの人達は隙がないから無理だよ」
そう、怨みの対象であるフェイタン以外にフィンさんにも私の姿が見えるのは、彼に霊感があるからではなく、私がここに来た初日にフィンさんに憑依したからである。その時彼は排尿中で、あまりにも隙だらけだったから私も憑依出来たのだ。私もその時は右も左も分からずただただ慣れない身体に戸惑うばかりで、正直軽くトラウマである。
また、フィンさんは恐面にも関わらずなかなか話のわかる人だった。不可解な存在の私の話(主に愚痴)にも耳を傾けてくれるし(決して面白半分で聞いてる訳ではないと信じたい)、相談にも乗ってくれた。孤独な存在である私の、唯一の心の支え、と言ったら何か彼が凄い人に聞こえるからやめよう。まあ良き友人、って感じだ。フェイタンは勿論ブッコロス。あの人は広間の人達以上に隙がないから困る。
「………暇だなあ」
朝は、眠い。幽霊だからなのか、はたまた夜中にフェイタン抹殺計画を悶々と考えているからなのか。まあどちらにせよ、今の私は太陽が苦手であった。私は日の当たらない、極力暗めの場所に移動し静かに目を綴じた。
今日もありふれた平和でした
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