いつも以上に賑やかな音で溢れ返っている街。遠くから聞こえる祭り囃子を背に、楽しそうな彼女の、低すぎず高すぎない、心地好い声が反響する。
「やっぱ杏里はこっちかな!」
紀田さんは白地に紫の百合が描かれている上品で涼しげな浴衣を手に取り、私に合わせた。先程から繰り返されているこの行為。彼女は漸く満足したようで、深く頷いた。
「うん、これにしよう!じゃ、杏里、これ羽織って」
「あ、はい」
手渡されたその浴衣に慣れない手付きで腕を通す。和服を着るのはいつぶりだろう。全く思い出せない。
私が浴衣を羽織っている間に、紀田さんは床一面に広げられた浴衣を丁寧に片付け始めていた。色取り取りの浴衣は見ているだけで満足してしまう程綺麗だ。それにしても、枚数が多い。
「それ、全部紀田さんの浴衣ですか?」
そう尋ねると、紀田さんは笑った。
「違うよ。これは全部狩沢さんに借りたやつ」
紀田さんから紡がれた真実に、一層驚く。
「全部、ですか?」
「何着かは知り合いのだって言ってたけど、大半は狩沢さんのだよ」
「そうなんですか…」
浴衣って、普通は何着も持っているものなのだろうか。普通の感覚がよく分からない。
「紀田さんは持ってないんですか?」
「ああ。多分実家にはあると思うけど、どこにしまってあるのか全く分かんないからなぁ。杏里も持ってないんだな」
「はい。着るのも一人じゃなかなか…」
「あー、確かにそうだな。杏里はそうだな。羨ましいなぁもう!」
「ひゃ…っ」
がしりといきなり胸を掴まれて、思わず変な声が漏れてしまった。
紀田さんは真剣な表情で、じっと私の胸部を見つめている。
「和服って胸でかいと着にくいからなぁ。だがしかしこれは羨ましすぎる悩みだぞ!」
「そ、そうですか?」
「そうそう!でも杏里は絶対浴衣似合うから大丈夫。はい、ここ持ってー」
「あ、はい」
話しながらも浴衣を整えて行く。言われた通りに衿を抑えていると、紀田さんは腰紐を巻き、固定した。それからも、順に彼女に指示された部分を抑えて手伝う。すると、浴衣は見る見る形になっていった。
「紀田さんは慣れてるんですね、着付け」
「んー、まあ一応毎年近所のちびっこたちの着付けやってたしなぁ」
「そうなんですか」
面倒見がいいんですね、と頷いてから、そこでふと違和感を覚えた。
「紀田さん自身は着ていた訳じゃないんですか?」
「うん。こっちに越してくる前は着てた時もあったけど、今は全然だなぁ」
紀田さんは少し思考を巡らせてから、やっぱり着てなかった、と明るく笑った。
それはとても勿体無い、と感じる。紀田さんなら絶対に似合うのに。
「はい、これでオッケー」
そう考え込んでいると、ぽん、と背を叩かれた。どうやら私がぼうっとしている間に着付けは終わったらしく、紀田さんは私を鏡の前まで連れて行った。
「やっぱり杏里は似合うなー。可愛いぞ!」
浴衣もその言葉も、何だか気恥ずかしくて、頬が僅かに温度を増した。
「あ、ありがとうございます」
照れ隠しのように、私服姿の紀田さんに尋ねる。
「あ、あの、紀田さんは着ないんですか?」
すると、紀田さんは一瞬きょとんとし、それから苦笑した。
「え、私はいいよ。動きづらいし、こういうのって絶対似合わないし」
紀田さんは時々、こんな風に何気なく自分を卑下する。一体何に引け目を感じているのかは分からない。それどころか、私は彼女について、知らなさすぎる。
けれど、知っていることもある。

男の子みたいに振る舞っていても、本当は誰よりも女の子らしいこと。笑顔が可愛いこと。いつも明るくて、でも時々翳りを帯びていること。誰にでも優しいこと。

――…最後の一つに何故か心が痛む私を、知らないこと。

「杏里?」
急に黙り込んだ私を不審に思ったのか、紀田さんは私の顔を覗き込んできた。とくり、と胸が温かくなる。

――私は愛せないから。

この感情が何を意味するのか分からない。分かるのが、怖い。

――…けれど。

「……!」
きゅ、と紀田さんの温かな手を握る。そして、笑いかけた。
「紀田さんは可愛いし綺麗です。絶対似合いますよ」

――彼女の笑顔を守りたい。傍にいたい。

それは正真正銘私自身の感情なんじゃないだろうか。いや、そうであってほしい。

そう深く思うほど、執着しているのは確かだった。

紀田さんは目を丸くして固まっていたけれど、急に顔を真っ赤にさせて俯いてしまった。
「紀田さん?」
「あ、杏里がそう言ってくれるなら…、き、着てみよっ、かな…。じゃあ、選んでくれる…?」
気恥ずかしそうに、けれどどこか嬉しそうにそう紡ぐ紀田さんが何だかすごく可愛くて。

気付いたらその額に口を寄せていた。

「え…?」
「…じゃあ、選ばせていただきます」

何故そんな行為をしたのか、自分でも分からない。本当に衝動的だった。

――いつか、この感情に名前が付けられる日が来たら。

うんと大切にしよう。そして彼女に伝えよう。

どこかほんわりと高揚する心を抑えながら、そう思った。







愛せない私から、愛したい貴方へ。





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要神楽様に捧げます!
関東のお祭り事情を知らないのでとても雰囲気小説になってしまいました申し訳ありません(殴)!杏里も紀田さんも絶対浴衣似合うと思うんです。杏里は白地で紀田さんは紺で…っと勝手に妄想しにやにやしながら書かせていただきました。←
リクエスト、本当にありがとうございました!

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