襖を開けた途端目に入った光景に、俺はひくりと顔を引き攣らせた。
「…何やってんだお前ら…」
「何って…見れば分かるだろう?」
室内にいた伊作はことりと首を傾げた。いつもは可愛いと思える天然さも、今だけは憎らしく映る。
「文ちゃんの食事手伝ってるんだよ」
室内には蒲団が敷かれており、そこで文次郎が上半身を起こしていた。枕元に置かれたお盆の上には水と薬、伊作の手にはお椀と蓮華。誰がどう見たって病人を介抱している図、更に細かく言えば病人にお粥を食べさせようとしている図だ。伊作は保健委員長で更には文次郎の幼馴染み。この構図は端から見れば別段可笑しくもないだろう。
しかし、俺にとっては大問題だ。

――伊作と俺は恋仲なのだから。

「…おい伊作、文ちゃんと呼ぶなと何度言えば…っけほ…っ」
「ああ、ほら、無理にしゃべらないで」
伊作はお椀を置き、直ぐ様文次郎の背中を擦る。そして落ち着いた頃を見計らって再びお椀を手に取り、蓮華でお粥を掬った。ふうふうとそれに何度か小さく息を吹き掛け、にこりと満面の笑みを浮かべて文次郎の口元まで蓮華を運ぶ。
「はい、あーん」
「ひ、一人で食える…!」
「もう、こんな時は強がらないで。前もこうやってたでしょ?」
「そんなん昔の話だろうが…っ」
――いらっ。
文字にすればそんな三文字がぴったりと当てはまるだろう感覚に、俺は思わず壁目掛けて手裏剣を放った。手裏剣は狙い通りに憎き文次郎の顔すれすれを通り、壁に刺さった。
「ちょ…、留三郎!?」
「ああ、悪ィ。手が滑っ…」
自分でも苦しい言い訳だと思いつつ堂々と嘘を吐こうとした途端に、目の前が真っ暗になり顔面に強い衝撃が走った。
「留三郎の馬鹿!文ちゃんは風邪で苦しんでるんだよ!?」
伊作の怒鳴り声を聞きながら、俺はその場に倒れ込む。伊作の投げたお盆がからんと転がった。



今更だが、伊作は文次郎に対して過保護過ぎる。
文次郎の体調不良には直ぐ様気付き、薬を煎じて渡しているし、怪我をしても必ず伊作が手当てしている気がする。廊下を歩いていても、前方に文次郎を見つけると嬉しそうに名を呼びながら駆け寄っているし、果てには文次郎の繕い物までやっていた。大体“文ちゃん”って何だ、“文ちゃん”って。目の下の色濃い隈が特徴的なあいつには全くもって似合わないあだ名だろう。
伊作の行動と満更でもなさそうな文次郎の顔を思い出し、いらいらと心がささくれ立つ。そんな気持ちを誤魔化すように、深く重く、溜め息を吐いた。
「留三郎?まだ怒ってるのかい?」
伊作の声に、我に返る。二人きりだということをすっかり失念していた。
先程夕食を終わらせ、文次郎に放っとけと怒られた俺たちは今、自室に戻っている。そのため、いつもならバレない溜め息は見事に拾われてしまい、伊作は困ったように首を傾げていた。
「…怒ってねぇよ」
「怒ってるじゃないか」
苦笑する伊作はいつもの伊作で、先程まで俺を鋭く睨んでいたのが嘘のようだった。その変わりように思わずぽろりと言葉を溢す。
「お前は文次郎と俺のどっちが大切なんだよ…」
「え…、そんなの選べないよ」
「じゃあ文次郎と俺が同時に別の場所で死にかけてたら、どっちを助ける?」
狡い質問だとは思ったが、大人になりきれない俺は心を占める黒い感情を遣り過ごす術など持ち合わせていない。内心で自嘲の笑みを浮かべた。
伊作は顎に手を当て、暫くじっと真剣に考え込んでいたが、やがて重々しく口を開いた。
「も…」
「それ以上言うな」
直ぐ様伊作の声を遮りダメージの軽減を図るが、一文字だけでも誰のことかは簡単に想像が付いてしまうために限り無く無意味だった。あんまりな答えにがくんと肩を落とす。
予想していたとはいえ、ほんの少しの期待をここまで粉々に砕かれてしまうと、いくら恋仲という優位さがあっても落ち込まずにはいられない。落ち込まないやつは、よっぽど前向きかよっぽど鈍感かのどちらかだろう。俺には残念ながら当てはまらなかったようだ。ああ、泣きたい。
目に見えて落ち込んでいる俺に、流石にまずいと気付いたのか、伊作は慌てて弁解し始めた。
「ほ、ほら!留三郎強いし!文ちゃんも強いけど直ぐに無茶するし…」
「ああそうかよ」
そんな伊作の必死の弁解も何だか虚しく、投げ遣りに返事をした。俺たちは本当に恋仲なのだろうか。本当は俺がそう思い込んでいただけではないだろうか。というか幼馴染みって狡くないか。反則じゃないか。くそう、解せぬ。
だんだんと醜い嫉妬心が悲哀を上回り始める。見てみぬふりは出来ないほどに凝り固まった邪念はそう簡単には剥がれない。
すると、背後からくすりと小さく笑う声が聞こえてきた。くるりと振り返ると、伊作が笑いを堪えている。訝しげな眼差しを向けた。
「…何だよ」
「いや、留三郎は馬鹿だなぁ、って」
「は…?」
思わず首を傾げると、伊作は真っ直ぐに俺を見つめ返し、口を開いた。
「僕は君を信じてるんだよ…。僕のいないところで勝手に死ぬなんて…絶対許さないから」
「伊作…」
頬に手を伸ばすと、それだけで朱に染まる。照れたように視線をさ迷わせているのが可愛らしい。そんな伊作に頬を緩める。

――何であんな嫉妬をしていたんだろうか。

分かりにくい伊作の想いに苦笑する。
そして、頬に手を添えたまま、そっと顔を寄せた。

しかし、後少しというところでばたばたと慌ただしい足音と共に、けたたましく襖が開かれる。その瞬間、伊作に思いっきり突き飛ばされた。
「伊作ー!」
「わあ!」
その騒がしい音の主はやはり小平太で。突き飛ばされた拍子にぶつけた頭を擦っていると、伊作は引き攣った笑みを浮かべながら極力動揺を隠して言葉を紡いだ。
「な、何だい、小平太…?」
部屋の様子には一切気を掛けることなく、小平太は小首を傾げて伊作に問い掛けた。
「さっきそこで文次郎が鍛錬してたんだが、あいつ、風邪はもう治ったのか?」
「えっ…」
その問いに伊作は絶句し、かちりと凍り付いた。そりゃそうだ。あいつの熱は結構高かったはずだ。そんな直ぐに下がるはずがない。きっと何時ものごとく「風邪を引いたのは鍛錬が足りないからだ!」とか何だとか行って無理をしているのだろう。
俺がそう簡単に想像できるのだから、伊作なら直ぐ様その光景が目に浮かんだことだろう。暫く凍り付いたままだった伊作だったが、やがてふるふると肩を震わせ始め、勢いよく立ち上がった。
「…っ、もう!文ちゃんも馬鹿なんだから!」
「ちょ、伊作!?」
そう声を上げると、先程までの甘い空気はどこへやら。伊作は俺の制止も聞かず、部屋を飛び出して行った。
ぽかん、と呆気に取られている俺に、小平太はにこにこ笑いながら容赦なくざっくりと禁句を言ってのけた。
「伊作って文次郎大好きだよなー」
小平太の止めの一撃により、俺はその場にばったりと倒れた。





そんな君も
好きなんです。



「文次郎…許さねぇ…」
嫉妬は止められないけれど。




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