休日の早朝。僕は携帯に起こされた。
時刻は6時を少し回った頃。昨日の晩は寝るのが遅かったから、正直なところもう少し寝ていたい。
しかし、そうはさせまいと着信音は鳴り続ける。起きたときより大きく聞こえるのは幻覚だろうか。
あまりに鳴り続けるので渋々腕を伸ばし、枕元の携帯を手に取った。もしかしたら急用かもしれない。重い瞼を無理矢理開けて、表示された名前を見る。

[紀田正臣]

――嫌な予感しかしない。

それでも無視は可哀想だし、急用である可能性も否定できない。ここで漸く音を止めた。
「…もしもし?」

『…っ、あ、みかど…?』

ぐすん、と鼻を啜る音と、涙声。

眠気は即座に吹っ飛んでいった。

「正臣?どうしたの?」
『あ、朝早く、にご、めん…っ』
「それはいいから。何かあった?」
正臣はしゃくり上げながら、必死に言葉を紡いでいる。それが酷く痛々しくて、眉を寄せた。
『あの…っ、い、今すぐ家に来てくれ…っ、きゃっ』
「え?」
突然小さな悲鳴が聞こえたかと思えば、ぶつり、と電話が切れた。
「正臣?正臣!?」
僕は慌てて部屋を飛び出した。





♂♀


正臣の住んでいるアパートに行くと、部屋の外でしゃがみ込んでいる彼女を見つけた。
「!正臣…!」
「…み、かど……」
顔がゆっくりと上げられる。いつも明るい彼女からは考えられないほど不安そうな表情だった。それでも潤む目を慌てて擦って、僕に笑いかけてくれた。無理なんて、しなくていいのに。
「来てくれて、ありがと…」
「それはいいけど…、どうしたの?何があったの?」
僕もしゃがみ込み、正臣と目線を合わせる。正臣の表情が少し暗くなった。
安心させようと、手を握る。彼女の手は、少し震えていた。
「えっと、…」
「ゆっくりでいいから、ちゃんと話して?じゃないと、どうしたらいいか分からないよ」
「……」
正臣は暫く俯いていたが、やがて心を決めたのか、顔を上げて僕をまっすぐに見つめ返した。
そして、口を開いた。


「へ、部屋に…!部屋に、“ゴ”から始まって“リ”で終わる飛行生物が!!」


「……帰ってもいいかな」
立ち上がろうとしたら、腕をガッシリと掴まれた。
「待って!いやマジで待って!帰らないでくださいお願いします帝人様!!」
「僕、今ものすごく眠いんだよね」
「あああ!早くに起こしちゃったのは本当に悪かったからマジで帰ろうとしないで!」
あまりに必死な様子から、僕は溜め息を吐きながら再びしゃがみ込んだ。
「つまり、ゴキブリが出たから退治して欲しいってこと?」
「うわあ!はっきりその名前を口に出すなぁ!」
正臣は勢い良く耳を押さえた。面白いくらいの過剰反応に、むくむくと悪戯心が湧いてくる。
「ごめん、ごめん。ちゃんと対処法教えるから」
「え?」
「ゴキブリって死んだ振りをよくするから、確実に殺すには内臓が少し出るくらいの絶妙な強さでスパンと…」
「そう簡単に叩けるか!つーか対処法じゃねぇよ!対処していけよ!そのために呼んだんだ…って言ってる傍から帰ろうとすんな!!」





♂♀


所変わって室内。
「にしても、意外だね。正臣がゴキブリ苦手だなんて。女の子みたい」
「いや、女ですからこれでも」
少し元気を取り戻したらしい正臣は、それでも僕の腕を掴んで離さなかった。
「…動きにくいからちょっと離れてくれない?」
「嫌。逃げるだろ、絶対」
余程さっきのことを根に持っているらしい。じとりと睨まれた。
「本当に苦手なんだね」
「…他の虫はいける。だけどアレだけは絶対無理…っ」
思い出したのか、正臣は青い顔でぶるりと震えた。
「そう言えば、ゴキブリって一匹見ると三十匹はいるって…」
「わああ!お前いい加減に…っ、きゃあっ!」
「え?」
正臣は小さな悲鳴を上げて、腕にしがみついてきた。
「いた?」
こくり、と小さく頷かれる。
「あ、あの隙間に入って行った」
右手のスプレー缶を確認しながら、正臣に声を掛けた。
「外、出といていいよ」
「え…、でも…」
途端に申し訳そうな表情になった彼女に苦笑する。
「そんなに騒がれると殺りにくいから」
「…さらっと“殺る”とか言うお前がちょっと怖…」
「じゃあ帰るね」
「嘘ですごめんなさい!何でもするから倒していってください超絶美少年の帝人様!!」
「…逆にやり辛いよ…」
呆れ顔を作って溜め息を吐きながら、正臣を外へ押し出した。
正直、頼られるのは嬉しい。普段は僕が正臣に頼りきっているから。
それに怯えている正臣には申し訳無いが、普段は僕より男らしいところのある彼女が、今日は何だか女の子らしく可愛く見えて、さっきから酷く落ち着かない。抱き着かれている間、ずっとどきどきしていたのが気付かれなくてよかった。きっと顔も火照ってしまっているのだろう、頬が酷く熱い。必死だった彼女はそれも気付かなかったようで、ほっと安堵する。
「…よしっ」
一息ついて気合いを入れ直すと、目撃情報の寄せられた冷蔵庫に近付いて行った。






君の力になりたい。



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