・カミュ/人魚姫夢主
あいつは月光に身を晒し、美しく存在を主張していた。じっと海を眺める横顔には哀愁が漂う。しかし俺はその理由を知る事が出来ない。何故ならあいつは一言も声を発しないからだ。
「……今日も海を眺めているのか」
「………」
「…好きなのか?」
彼女は小さく頷く。海に何か思い出でもあるのか。そう問い掛けたくなる程、彼女はじっとそちらの方を見つめていた。だからこそ俺も自然と海を眺めてしまう。たしかに美しい光景だ。しかしこれのなにが女の気を惹くのか。俺には理解し難かった。
「………」
「お、おい!」
彼女は無言の末、ついには靴を脱ぎ棄てて海の中へと入って行ってしまった。慌てて腕を掴むが勢いに負けて飛びこんでしまう。俺達は互いに海の中へ身を沈めた。
(一体何を――…!)
(…海の中なら、自由に動き回る事が出来るのに)
俺はいつの間にか彼女の手を掴んでいた。そして、共に水面に顔を覗かせる。急いで引っ張り上げるが、彼女はどこか楽しそうに微笑むばかり。やはりこいつの考えている事は理解出来ん。 ――しかし、惹かれてしまうのだ。彼女がこの海に焦がれるように。俺も、こいつを見ていると心が掻き乱される。
「…濡れたな」
「………」
「笑い事ではない。どうするつもりだ」
それでも彼女は楽しそうに笑う。 ――そんな彼女を見て心が穏やかになってしまうのは、まさに『惚れた弱味』というやつだろう。
(…まさかこの俺が女に夢中になるとは…。女王以外には心を砕かないつもりでいたのだが)
水温は冷たい。しかし、彼女の手は温かかった。
「…気が済んだのなら上がるぞ」
「………」
「なんだ、その不満そうな顔は。体調を崩しても知らんぞ」
彼女は首を左右に振るばかり。駄々を捏ねているのか、それとも伝えたい事があるのか。 ――俺には分からない。それでも良い。少しずつ意思の疎通が出来るのなら。いつか彼女が声を発してくれるその時まで、俺は待ち続けよう。
「…女」
「………」
「だから不満そうな顔をするな。貴様が名乗れば名前で呼んでやる」
「………」
「…いつか、言え。俺に逆らうな。この愚民が」
吐き捨てた言葉の裏に本音を押し隠す。
俺は待っている。いつの日か名乗ってくれる事を。そして、俺の名を呼んでくれる事を。
「……なんだ。もう上がるのか?」
(…だって、この人が風邪引いちゃう)
「……そのまま帰すわけにはいかんな」
「?」
「仕方ない。俺の家まで来い。タオルくらい貸してやる」
(…素直じゃないなぁ。本当は優しい人なのに。そんな言い方するなんて)
何故か女は笑っていた。しかし理由が分からない。やはりこいつを理解出来る日は遠そうだ。それでもついて来る意思がある事だけは分かった。 ……それはそれで心配なのだが。まさか知らない男に声をかけられてはいないだろうな?
「さっさとしろ」
(うーん…。歩くのか…)
「……? 来ないのか?」
(…海辺から出てみたいけど…歩くのは少しきついかな)
「……おい。どうした?」
(…ごめんなさい!)
「!?」
女が急に俺の背に飛び付いて来た。 ……まさかこのまま背負って行けと?なんと傲慢な女なのか。 …可愛いなどとおかしな事は考えていないからな。決して不意打ちに驚いたりはしていない。 …だが今日の俺は機嫌が良い。特別に運んでやる。
「この愚民が」
(…本当にごめんなさい)
身を預ける彼女の重さを感じ、急に愛おしさが込み上げて来る。出来る事なら抱き締めたい。『なにか』を支えたい。しかし今の俺には到底無理は話だ。だから、せめて出来る事から始めようと思う。
「ふん。話したくないのならそのままでいろ」
「……!」
「その内、貴様の考えている事くらい全て理解してやる」
そう言えば背中の重みが増した。まるで、俺の背に縋って泣いているようで。
(――でも、私は。声よりも、脚を選んだ。だから……)
あいつの痛みを知るのはもう少し先の話。俺は、未だ知らなかった。
俺なら、彼女の『いたみ』を取り除く事が出来る、という事に。
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カミュさん魔法使えますよね、というお話になるかと思います。恐らくseries化するなら『人魚』という設定に色々と捏造を加えるかもしれません。敢えてハッピーエンドにしてみたいです…。