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それからまたしばらく時間がたった。あれ以来アポロはあいつのアトリエへは近づかなくなった。それなりにへこんでいるらしい。少しいい気味だと思ってしまった。俺たちの負担を増やした報いを受けてしまえ。 そんなことを考えながら休憩室で煙草をふかしていると、したっぱが声をかけてきた。
「ラムダさんじゃないっすか! ども! オレ腹減ってんすけどなんか食うもん持ってねえっすかー?」 「お前が腹減らしてんのはいつものことじゃねえか。だいたい持ってねえよそんなもん。煙草ならあんぞ」 「ひゃひゃひゃ! それ食いもんじゃないじゃないっすかー。いいっすよ自前の飴なめてますから」 「あるなら聞くんじゃねえ」 「でも腹にはたまらないんすよねー」
いつにもましてハイテンションである。げらげらと笑いながらポケットから大量のアメを取り出して口にほお張る姿を見て失笑した。部下とする会話じゃないような気もするが、俺はこれでいいと思ってる。気楽でいい。下手に堅苦しいのも疲れるし。他のやつらはよくやっていられるよな。気楽に面白おかしく、その場を過ごせればいいじゃないか。1回しかない人生だし、楽しくいきたいもんだ。
「ふぉーひやひってまふひゃふぁムふぁふぁん」 「口に含んでるもん無くしてからしゃべれ」 「んぎ、ふぁーへん」
がりがりがりごりと凄まじい音を立ててアメを噛み砕く部下を茫然と見つめた。あーあ、もったいねえ。アメは最後まで嘗めきる派の自分としては少々理解できない。早々とアメを食べ終わったのかまた笑いながら話しかけてきた。
「ラムダさんが前に拉致ってきたやついるじゃないっすかぁ」 「あ? あいつがどうしたんだよ」 「なんかあいつ最近したっぱにいじめられちゃってるらしいっすよ。ひゃひゃ! オンナノコの争いっておっそろしいっすね!」 「いじめかぁ。へー女子って怖いねえ。おじさんそういうのわからないわ」 「あれ? 思ったより反応薄いっすね。まあいいや。冷酷幹部がロケット団にいる限りはそういった争いはなくならないんすね。ひゃひゃひゃ! 色男は辛いっすね! オレには関係ない話ですけど!」 「ランス絡みの争い? あいつがそんなんに巻き込まれるような奴には見えないけどな」 「でも確かな情報筋からっすから。なんかナマエが冷酷幹部に絵を描いたのがしたっぱにみられてどうのこうの」
がくりと思わず頭を落とした。あいつも駄目だった。もういいや。 そのしたっぱは新しいアメを1つほお張るとにっ、と笑った。
「まあオレも描いてもらいましたけどね!」 「…………」
また楽しげに笑うしたっぱを見てとくにリアクションするでもなく煙草をふかした。俺はもうこの件に関して何も反応しないと堅く誓った。逆に描いてもらってない奴のほうが少ないんじゃないか、この状態じゃ。
「まあナマエって大人しい娘でしたね。何人か見習って欲しいくらいの奴がいますね、ひゃひゃひゃ! なんつーの、みんなに愛されちゃう感じの娘っすよね。ほわっとしてて和むってか、男としては守りたくなっちゃう感じ?」 「そうかねえ……」 「そんで、冷酷幹部親衛隊がナマエに今日本格的ないじめを決行するらしいんすよ」 「本格的?」 「ひゃひゃひゃ」
がりっと大きな音を立ててアメをかじるしたっぱを見る。その目は笑っていなかった。こいつは嘘をついているわけじゃない。
「詳しいことはしらないんすけどね。このままじゃまずいんじゃないかなぁ。確か昼休みって言ってたから今行けばまだ間に合うんじゃないかなー。ひゃひゃ」 「そう思うんだったらお前が助けに行ってやれよ」 「いやっすよ。そんなことしたら腹減るし。オレ様これでもロケット団! 自分の得にならない事はしない主義なんすよ」 「俺もロケット団なんだが」 「ひゃひゃひゃ! そうでしたね上司サマ。そういやラムダさん。知ってますかぁ? 正義の味方の特徴ってやつ」 「なんだよそれ」 「正義の味方は常になにかが起こってから行動するんす」 「…………へえ」 「じゃあ逆に考えると、悪役は何かが起こる前に行動するのが正しいんじゃないかってね。そう思うんす。悪役らしく、何かがおける前に行動するのがいんじゃないすか? ひゃひゃひゃ、オレ様かっこいー!」 「……はっ、どうせ誰かの受け売りだろ」 「あれ、ばれちゃいました? じゃあ食いもんなくなっちまったし、オレはこれで失礼します!」
げらげら笑いながらしたっぱは出て行ってしまった。……何をしに来たんだ、あいつは。俺は知らんぞ。いじめなんて関わるもんじゃないし。 深く煙草を吸い、大きく吐いた。煙が辺りに充満する。その時、あのしたっぱの言ったことが頭をよぎった。 『今日本格的ないじめを決行するらしいんすよ』 『悪役は何かが起こる前に行動するのが正しいんじゃないかって』 「……っあー! くそ!」
もんもんとした考えをふっきるように、俺は立ちあがった。ここでこまぬいていてもなんにもなりゃしない。行くだけ行ってやる。少しだけ残っている休憩を、思いっきり浪費してやる。なぜかはわからないが、あの話を聞いてから嫌な予感がしている。俺の予感は当たるんだ。あーあ、損な役目だよな。そんなことを考えながら俺は大嫌いなアトリエへと足を進めた。
* * *
「とはいってもあんま中に入りたくないんだよなー……」
うーん、と少し悩んでから覚悟を決めてドアへ手を掛ける。開けようとしたそのとき、中から大きな悲鳴が聞こえた。 すぐに中へと押し入る。アトリエの奥へと進むと大声で騒ぐ女たちの声が聞こえてきた。
「どうしよう……! やばいよ、これ!」 「うるさいな! 止血するしかないでしょ!」 「でもっ、医務室とか……」 「あたしらがいることをどうやって説明するのよ! だいたいこいつが勝手にやったんじゃない!」 「何してんだ!」 「えっ、ラムダさ……」
数人のしたっぱ達が、俺を見て慌て出す。ボールから出ていた1ぴきのコラッタが、茫然とある方向を眺めている。囲うように何かを隠すしたっぱ達を退かして、コラッタの視線の先を見た。
視線の先には散乱した絵の具、筆などの画材。そして首から大量の血を流し倒れているあいつの姿があった。ぐったりと倒れたまま動かない。
「どけ!」
首元を抑えながらあいつを抱き抱えた。べちゃ、と湿った音をたてて折れた筆が下に落ちる。ひゅ、ひゅと小さく呼吸音が聴こえる。息はある。急いで医務室へ行かなきゃならない。
……悪いな。 俺はお前の言うところ、正義の味方の行動をしたらしい。全く、悪の組織の幹部が聞いて呆れる。 先ほど会ったばかりの部下の顔を思いだし、全力で廊下を走った。血の臭いのせいだろうか。アトリエに入っても、前のようには気分が悪くなることはなかった。
(20120106) |