先日アポロから下された任務は「ある人物の誘拐」だ。……とはいっても写真はおろか外見の特徴や年齢すら知らない。顔を知っているのは数人で、顔を見せることはめったにないらしい。わずかな情報として知っているのは名前、そして俺たちに狙われる職業だった。
《世紀の天才画家ナマエ》そいつはそう呼ばれている。
ろくでなしガール、愛を歌う
「世紀の天才画家、ねぇ……」
警備員になり済ましながら誰に告げるでもなくつぶやく。だだっ広い屋敷の中を歩き回りながらその人物がいる部屋を目指した。本日も自身のアトリエに籠って作品の制作にいそしんでいるらしい。
「帰りてー……お前もそう思うだろ?」
ボールから出しておいたマダドガスに話しかけた。そんな俺に答えるかのようにマタドガスは口から黒煙を吐き出す。うわガス臭え。 というか正直言ってめんどくさい。芸術なんて崇高なものはまったくわかんねえし。いくら一枚の絵が売れるからって本人を連れてくる意味あるのかって。どうせ芸術家なんて変人で奇人で年寄りなんだろ……ああああやる気でねえ。 そんな偏見に満ちた不満を口の中で呟きながら、俺はアトリエに向かった。
* * *
キィと小さな音を鳴らせてアトリエのドアを開ける。中に充満する臭いに思わず顔をしかめてしまった。ペンキとかそんなものだろうか、頭が痛くなりそうな臭いだ。 こんなところにいるのは御免蒙る。さっさと終わらせちまおう。 気配を消し部屋の奥へと進んでいくとキャンバスの前に座る人物がいた。きっとあれがターゲットだろう。よく見ると座っている椅子は車いすだった。足が悪いのだろうか、だったらなおさら好都合だ。気を付けていれば逃げられることはないだろう。
「おい」 「あれ、警備員さんこんにちは。すみません、気が付きませんでした」
くるりと車いすを反転させてその人物はこちら側を向いた。その瞬間思わず息をのんでしまった。変人で奇人で年寄りな人物を想像していたのだが、実際に見た《世紀の天才画家》は俺のイメージとはかけ離れていた。 そこにいたのは女だった。女というか、少女というか。想像していたよりもふたまわり以上若く見える。どう見ても俺より年下だ。こんなガキが《世紀の天才画家》?
「警備員さん、どうかされました?」
思わず固まってしまっていた。こんなことであっけにとられている場合じゃねえ。さっさと終わらせちまおう。
「俺は警備員じゃねえよ」 「なっ……!」
マタドガスが即座に飛び出していった。そいつは驚愕の声を上げながら壁のほうへと後ずさる。手に持っていた筆が下に転がって行く。床に藍色の染みが線となって伸びていった。かたかたと震える姿を一瞥し、先ほどまで描いていた絵をまじまじと眺めた。
「ふーん。これが何千万とかになるのか……すげえな」 「……お、お金が目的なんですか」 「ん? まーな」 「でしたら家にある絵もお金も全部差し上げます……お願いです、殺さないで、ください」
おびえながら俺に交渉してくる。年の割には冷静な判断だ。パニックを起こして半狂乱にならないだけありがたい。
「殺したりはしねーよ」 「そ、うですか……」 「安心されても困るなあ。今回の目的お前連れてくことだから。悲鳴上げたり暴れたりしたら殺しちゃうかもしれねえから大人しくしててな。大人しくしてるなら乱暴はしねえよ」 「…………!」 「足がついちまうかもしれねえから物は盗らない。別にお前をあやしいとこに売り払うとかそういうことするんじゃない。俺たちのとこに来て絵を描いてもらうだけだ。よくわかんねーけど、お前の絵は金になるんだろ?」
目を見開いて絶望した表情を浮かべる。まあそうなるよな。 動く様子がないのを確認して、目隠しと手錠をした。加えて口枷をしようとした時「待ってください」と声をかけられた。か細く、消え入りそうな声で懇願してきた。
「一つだけ……お願いがあるんです」 「あ? なんだよ。逃がしてくれとかは無理だぞ」 「いえ。わたしはあなた方のところで絵を描くんですよね?」 「……ああ」 「だったら、道具を」 「は?」
「絵を描くための道具を持たせてください。それ以外はなにもいりません」
最後だけいやに力強くそうい言った。目隠しをしているため表情は詳しくうかがえないが、頑なな意志が雰囲気からわかる。そいつの体の震えはいつの間にか止まっていた。
「……必要最低限ならな。どれを持っていけばいいんだ」 「ありがとう、ございます……。キャンバスの近くにあるバックと隅に置いてある筆とパレットをお願いします」 「…………」
言われた通りバックと筆を取る。筆の先にはまだ湿った藍色が付いていた。生で入れるのも不味いのかと思ったので、近くにあった布切れで筆をぐるぐるにまく。専門的なやりかたなんざ知らねえし、これでいいよな。 取ったことを伝えるとそいつは安心したように笑い口を閉じた。これ以上時間を費やす訳にもいかないのでマタドガスをボールにしまい、口枷をして外に待機させているしたっぱを呼んだ。速やかにそいつを連れて出ていくしたっぱの後ろにつきながら、俺は言われた言葉を反芻する。
『ありがとう、ございます……』
ありがとう、ねぇ。よくそんなことが言えるもんだ。普通浚われる時にそんなこと言うのかっての。部屋から出てもまだ薫る異臭に顔をしかめながら、誰に言うわけでもなく「……きもちわるっ」と呟いた。 なんかすげえ疲れた。 あ、そういえばタバコ切らしてたんだっけか。ないとわかると余計吸いたくなる。ああタバコ吸いたい。
(20111215) |