※ランスが病んでる
もはや息を吸うのさえ億劫だ。このまま息が止まって心臓も機能するのをやめてくれたらわたしはどれほど救われたのだろう。
だが、ランスはそんなことを許してくれるはずもなく。 彼はわたしを執拗なまでにいたぶられ、虐げてきた。最初ははたかれる程度で済んだのだが、最近ではどんどんその行動がエスカレートし今にもわたしは事切れる寸前であった。
「死ぬ気ですか、ナマエ」 「ら……んす」
ポツリと呟き彼はわたしを見下ろしてきた。焦点の合わぬ目で彼を見上げる。その目には憎悪ともとれるような鋭い光が宿り、視線だけで刺されて死んでしまいそうだと思った。だがわたしは今も生きているしそんなことは実際あり得ないのだが。
「許しませんよ。勝手に死のうなど」
彼はなにか呟いてどこかに電話をかけていた。わたしの耳はろくに機能していない。ランスが何と言っているのかは理解できなかった。 そのまま下で呆けているとしゃがみこんでランスがわたしに話しかけてきた。
「今から医務室に貴女を連れていきます。このあと同僚がきますから。そこで怪我を直してきなさい」 「え………」
完全に聞き間違えだと思った。 だってわたしをこんな風にしたのは彼自身であって、この状態で殺すならわかるけど治療するなんてありえない――――本気でそう思った。
だがそれは聞き間違えではなかったらしい。少しするとランス以外の人間がわたしが横たわっている部屋に入ってきた。 よく見えないが白い服の人と、黒い服の人。するとその黒い服の人がこちらに来てわたしを抱えあげた。 近くで見えたその紫の髪の人は、同情するようにわたしに言った。
「……つらかっただろ。治してやっからもう平気だぞ」
その人の言葉に思わず涙が出た。 こわかった。ランスが恐くて怖くて仕方がなかった。毎日ふるわれる暴力に身体的にも精神的にも参ってしまったわたしの心に、その言葉はふかく響いた。 もう、つらい思いしなくていいのかな? そう思ったら涙は止まらなくなった。
* * *
「どういう気の変化ですか」
アポロはランスに尋ねた。今まで残虐といえることを彼女にしていたのに、いきなり「彼女を治療したいので手伝ってくれ」と連絡がきたのだ。不可解にもほどがある。
「愚問ですね、アポロ」
くつくつと喉を鳴らし笑う彼はどこまでもおぞましい。目は全く笑っておらずそれがより一層彼の恐ろしさを増幅させた。
「ナマエが死にそうだから死なせないように処置する。それだけですが?」 「しかし死にそうになるまで追い込んだのはお前でしょうに」 「ええそうですが」 「ですからその理由を聞いているんです」
すこし苛立ちを声に含ませながらアポロは言った。するとランスはふぅと息をはき、こういったのだ。
「だって、つまらないじゃないですか。せっかく見つけた玩具なのに。本当はギリギリ理性を保っていられるその境目を狙ったんですけど少し失敗しましてね。うっかり――」
殺しそうになりまして。
楽しそうに笑う彼の瞳に映るは狂喜。まるで獣のような獰猛な光。目の前にあるものを、いるものを喰らいつくそうとせんばかりの飢えた、獣だった。
「ただ壊すだけでは能がない。だから半分壊し、絶望させそこからほんの一瞬だけ救う。そしてもう一度いえ、今度こそ――――完全に壊してやるんですよ」
ああ、はやく壊したい。早く回復してほしいものだ。そう呟き部屋から出て行ったランスの背を、アポロはただ呆然と見ることしかできなかった。
彼女はなんてものに目をつけられてのでしょう
この後どうなるかもわからずに、彼女は幸せに手を伸ばすのだろうか。いや、伸ばさずにはいられないだろう。 与えられた救いの手を振り払える人間などいないのだから。例えそれがまやかしでも。 そう考えたら、なぜかやるせない気持ちになった。
だが、それを救ってやろうと思うほどアポロも善人ではなかった。
この部屋に彼女が帰ってくる日はそう遠くないのだろう。
そんなおもいと共にアポロは部屋の扉を閉めた。
終焉の足音と共に (20100717)
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