短編小説 | ナノ
「雪だ!」
「雪ですね」
「いいな、いいなー。雪いいなー!」
「そうですね。それはいいから早く手を動かしてください」

 うずたかく積まれた書類をぽんぽんと叩きながら上司を促す。すぐさぼるから仕事を投げ出さないように見張っていてくれともう1人の上司から頼まれているのだ。しっかりやってもらわなければ困る。
 興奮するクダリさんの視線の先にはテレビ画面がある。画面の中ではこれだけ雪が降っているのだという特集をやっていた。降り積もる雪の中へ突っ込み『ごらんください! 腰の辺りまで雪が!』とレポートするニュースキャスターが映っている。その様子を、わたしの上司ことクダリさんはがたがたと椅子を揺らしながら食い入るように観ていた。正直、雪が多い町に生まれたわたしにはその喜ぶ意味がよくわからなかったりする。都会っこめ。

 この地下鉄では外を見ることができない。そのため外の天気などの情報を知るにはテレビやラジオといったメディア媒体が必要だ。それによると今年は例年の倍は雪が降っているらしい。ここには窓がないので窺えないが、きっと今も雪が降っていることだろう。
 テレビを真剣に観ていた彼は突然ばっ、とこちらに向き直り「ナマエお願いがあるんだけど!」ときらきらとした視線をぶつけてきた。そんなクダリさんを一瞥し、ため息をついた。この後何と続くかはもうわかっているからだ。

「ぼく外行きたい!」
「却下」
「まったく考えずに即答!?」

 露骨にショックを受けた様子のクダリさんは、えーと不満げな声をあげた。わたしはそれを無視して手元の書類にペンを滑らせる。

「ぼく外いって雪で遊びたい……」
「何才の子供ですか。雪で交通が不便になってるいまこそ地下鉄の力が必要なんです。ノボリさんなんてもうかげぶんしんしてるんじゃないかってくらいの勢いで働いてるんですよ。たしか今日で4徹だとか。クダリさんも見習ってください」
「ぼくだってほぼ徹夜! ノボリは機械系はまったくダメ! さっきだってATOとATCとかのメンテしてきた。ぼくだって働いてる! ちょっとくらいいいじゃん!」
「クダリさんのちょっとはあてになりません。そんなに雪で遊びたいなら暇な日にふぶきでもこごえるかぜでもあられでも使って雪遊びしてきてください」
「自然の雪じゃなきゃやだー!」

 無駄にめんどくさい理由で断られた。雪ならいいじゃないかなんだって。なんなんだそのこだわりは。……もういい付き合ってられない。うわーんと声を上げるクダリさんを完全に無視し、書類を片付ける。クダリさんもストレスもたまってるんだろうけど、ノボリさんに仕事をさせろ言われてるし。サブウェイマスターにしか出来ない仕事がたくさんあるんだから仕方がない。

「クダリさんこれにハンコお願いします」
「外出してくれなきゃ押さない。やだ」
「ノボリさんに怒られても知りませんよ」
「やだ」
「クダリさ」
「やだ」
「…………」

 ほんとにこの人何才だ。
 わたしは大きくため息をついた。こうなったら絶対に聞かないんだ。なんだかんだでわたしはクダリさんに甘いのかもしれない。

「じゃあ10分だけ言ってもいいですよ」
「ほんと!? じゃあ30分!」
「10分です」
「1時間!」
「増えた!?」
「いいじゃん息抜きってことで!」
「うーん。じゃあ30分ならいいですよ。ちゃんと帰ってきて下さいね。あとノボリさんには見つからないように」
「やったー!」

 きゃっきゃと喜ぶクダリさんを見て再び大きくため息をついた。ばれたらわたしも怒られるんだろうな。減給されなきゃいいけど。まあいいや。ばれなきゃいいんだばれなきゃ。クダリさんがいない間は静かになるから少しでもこの書類を片づけてしまおう……。

「よし! 行こうナマエ!」
「はい、いってらっしゃ……え」
「目指すは大雪、出発進行!」
「ちょっとおおおお!」

 いつのまにか手袋やらマフラーやらで完全装備したクダリさんが、わたしの手を握って外へと駆け出して行った。ちょっと待てわたしも行くだなんて聞いてない。第一今は室内着、コートも来てないこの恰好で出て行ったらめちゃくちゃ寒いじゃないか!

「待ってくださいクダリさん、行ってもいいとは言いましたがわたしもだなんてきいてません!」
「うん言ってない、いま決めた!」

 綺麗な笑顔にグーパンチを入れなかっただけありがたいと思ってほしい。クダリさんの笑顔を憎たらしいと思ったのは初めてかもしれない。落ち着けわたし、目の前にいるのは見た目は大人、中身は子供の上司なんだ。大人な対応を心がけろ。自己暗示をしていると、クダリさんはわたしに手袋とマフラーを渡してきた。

「とりあえず予備の手袋とかあるからこれ使って。あ、正面から出るとノボリに見つかりそうだから回り道して出るから!」
「え、これって」
「クラウドのとこから借り……もらってきた!」
「言いなおす必要性あります?」

 クラウドさんすみません。不可抗力ってことで許してくださいほんとすみません。この上司を恨んでください。返します。あとで絶対返しますから。
 するとクダリさんはぐい、とわたしの手を引っ張り自分の前へと押し出した。目の前には上を向いている穴があった。いや、穴じゃない。外に通じる通風孔だ。

「じゃあいくよー!」
「ちょっとまっ、あそこ通風こ」

 わたしの言葉をさえぎるように「どーん!」と自分で効果音を口にしながらクダリさんはすきまに無理矢理わたしを押し込んだ。ふっ、と地面が無くなる感覚に一瞬意識を奪われると、重力に逆らわずに下に落っこちた。鈍い音を立てて地面に着地する。ちなみに顔面から。

「んぐぁ!」

 ぼふんと変な音を立てて地面に落ちる。この場合の悲鳴は不可抗力である。しゃちほこのような体勢である。落ちた瞬間、全身にきんとした冷たい感覚が広がった。なんだこれ……雪? 雪がクッションになってくれたのか。とはいっても顔から落ちたので首がとんでもなく痛いし足が変な方向に曲がっているんだが。

「い、たい……」
「ナマエー!」
「ぎゃああああ!」

 体勢を整えようとしたとき、わたしと同じように上からクダリさんが落っこちてきた。わたしの真上に。思いっきり押し潰される。大きな音を立てて雪が舞った。上からサブウェイマスターが降ってくるとかどんなホラー体験だ。一生したくなかった。
 思いっきり雪に埋まったわたしを放置してクダリさんはすぐに立ち上がると「雪だー!」とはしゃいでいた。むくりと顔を上げるとクダリさんがわたしのことを指さして笑い始めた。

「ぶっ、顔が雪まみれだよ! ナマエの落ちたとこ、完全に人の形だし! あはは!」
「…………」

 誰のせいだ、誰の。
 ……あんたただよ! どう考えたってクダリさんだよ! わたしだって3徹明けだ! ふざけるのもいい加減にしろ!
 自分の中でぷちっと何かが弾けた。そこにあった雪を一瞬でつかんで握る。その握った雪をげらげらと大口を開けて笑っているクダリさんの顔面に思いっきり雪玉を投げてやった。ばん! と音を立ててクダリさんの顔に命中する。やった。やったぞ。日頃の憂さ晴らしだ。ついに上司の顔面に雪玉を投げることに成功し……。
 しーん、と静寂が流れる。顔に雪をつけたクダリさんは動かない。わたしの額に冷や汗が流れる。終わった。完全に終わった。こんな人でも上司だった。さようならバトルサブェイの安定した公務員生活。お母さんわたしは今日上司に雪玉をぶつけたことによって首になります。これからセツカの実家に帰るよ、待っててね!
 そこまで考えたところで、わたしの顔にも雪玉が飛んできた。しかもかなりしっかり握られているものが。突然の出来事に対応できずに雪玉を食らった。また顔面で受け止めてしまった。

「ぶふぁ!」
「……せんだ」
「ぬ、ぐうあ……! え、なんですか、クダリさん」
「雪合戦だね!」

 鼻を押えて痛みに悶絶していると、クダリさんは今まで見たなかでもトップクラスに入るくらいのいい笑顔で雪玉を投げてきた。いま、雪合戦といったか。怒るどころか完全に何かお楽しみスイッチを押してしまった感じ……? お母さんごめんまだしばらくライモンにいることになるみたい。よかったね娘がプーになるのはまだ先みたいだよ!

「ここからぼくの陣地、そっちナマエのね!」
「え、えええええ」
「いくよ!」

 あっけにとられているうちにクダリさんはまた新たな雪玉を繰り出してきた。とっさに避けて、わたしも雪玉を作って応戦する。最初はふざけ半分でしていた雪合戦だったが、後半にいくにつれお互いに本気になってきた。肩で息をしながらわたしたちは不敵に笑った。

「や、やりますねクダリさん……」
「ナマエこそ、女の子とは思えないくらいの雪玉さばきだね……」
「セツカシティ出身をなめないでください。あなた方都会人とは雪に触れてきた数が違うんです、これからが本番ですよ!」
「ぼくだって負けない、サブウェイマスターの名にかけて!」

「何をしているのですか」

 お互いに雪玉を降りかぶった瞬間、ひんやりとした声がした。雪が降っているからとかそんなんじゃなくて、その声を聞いた瞬間に体感温度が10度は下がったと思う。2人でゆっくりと声のした方向を見ると黒いコートに身を包んだ仏頂面の男がいた。もう1人の上司の登場である。最悪のタイミングで。

「ノ、ノボリ……」
「何をしているのかと聞いているのです。クダリにナマエ様」
「あ、あのですねボス」

 思わずボスと呼んでしまった。怖すぎる。怖すぎますノボリさん。後ろに何か怨念のような黒いものが見えます。シャンデラを出している……わけじゃないですね。どう説明したらいいんだろう、あの禍々しいまでの怒気を。

「ちょっと、息抜きに雪合戦を……」
「そ、そう! 息抜き! すぐ戻る予定だった!」
「…………」

 だらだらと冷や汗を流しながら必死に2人で弁解する。ノボリさんは黙り込んだままおもむろにクダリさんとわたしが作った雪玉を取った。口を開かないからか、ただでさえ怖い顔がより一層怖く見える。何かしゃべってくださいよノボリさん。もはやノボリさんの手で死刑台に上る勢いなんですけどノボリさんだけに、っていや何を考えてるんだわたしは落ちつけ。するとノボリさんは小さく何かをつぶやいた。

「……い」
「……? ノボリさん今なんて」
「手ぬるいといったのでございます……!」

 恐ろしく鋭い眼光がこちらを向く。あ、ノボリさんって眼力で人を殺せるのかもしれない。それぐらいの迫力があった。恐怖に固まるわたしたちを尻目にノボリさんは演説のように語り始めた。

「この程度の雪玉で相手を倒せると思ってるんですか! 空気の入り具合に握り加減、まだまだ改善の余地があるではありませんか! この程度で雪合戦をやった気になるだなど、10年早いのです! 雪合戦を馬鹿にしないでくださいまし! 雪合戦は、ただの遊びではなく戦争なのですよ!」

 恐ろしい顔で雪合戦について語り出した。あの、顔と言ってることが全く一致していないんですけど。ノボリさんってこんなぼけをかます人だったっけ。いつもの几帳面て真面目なノボリさんはどこにいったんだ。あ、もしかして実は三つ子の兄弟だったとか。
 状況がわからず固まるわたしに、クダリさんがこっそり耳打ちしてきた。

「ナマエ、休戦協定を結ぼう。とにかくノボリから逃げるんだ」
「あれやっぱりノボリさんだったんですか。どうしちゃったんですかノボリさんなんか変ですよ」
「多分徹夜明けで変なスイッチ入ってるんだと思う。このままだとぼくたちノボリに殺される」
「そんなに!?」
「ノボリすっごい雪合戦強いの。昔一緒にやった時ぼく1回も当てられずにフルボッコにされた。いまノボリ寝不足で混乱してる。このままじゃまずいよ」
「何という本当にあった怖い話」
「ぼくが合図したらあっちに走るよ。いい?」
「ラジャー」
「聞いているのですか!」
「よし、逃げるよ!」

 そう言ってクダリさんはわたしの手を引いてダッシュした。わたしもそれに続く。すると後ろからとんでもない速さでノボリさんが追いかけてきた。雪玉を手に持った状態で。軽くトラウマになりそうなくらいの恐ろしさだ。子供にはとても見せられない。というかいつ握ったんだその雪玉。

「ノボリさん雪の中なんであんなに速く走れるんですか!」
「くそっ、追いつかれる! ノボリ、これでも食らえ!」
「クダリィ! そんな甘い攻撃が通用すると思っているのですか!」
「ちょっといまあの人、雪玉を手刀で弾きましたよ!」
「しょうがない、戦おう!」
「応戦するって、あの人の雪玉信じられないくらい速いんですけど! 人間を相手にしているようには思えないんですが!」
「奇跡を信じ、ぐあ!」
「2人がかりだろうと無駄なことです。わたくしに雪合戦を挑もうだなんて100年早い!」
「ク、クダリさーん! 気絶したらだめです、意識を保って!」

 そんな調子でしばらく命がけの雪合戦に励んだ。寒さなんて感じないくらいには全力で運動した気がする。こんなに真剣に雪合戦をしたのは初めてだ。とんでもなく疲れた。でも、なんだか楽しかった。もうしたくはないけど。

 そしてこの戦いの終結は、わたしたちがいなくなったことに気がついたクラウドさんがつけてくれた。みんなもれなく正座でお説教を食らう形で。その際にこれお返ししますとクラウドさんに手袋とマフラーを渡すと、思いっきり頭にげんこつを落とされた。それだけでなく減給も言い渡された。なんだこの扱い。理不尽だ。
 頭の痛みと減給の現実にむすくれていると、クダリさんがにっこりと笑って「ナマエありがと。楽しかった」と声をかけてきた。わたしも楽しかったですよ、と言いかけてなんだか恥ずかしくなって「じゃあ給料上げてください」と言ってしまった。それは無理と笑うクダリさんと船をこいでいるノボリさんを見て、思わず笑ってしまった。
 お説教中に笑ってしまったわたしは、再びクラウドさんにげんこつを食らった。なんでけこんなに生傷つけなきゃならないんだろう。少し実家に帰りたくなった。





 (20120107)
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