短編小説 | ナノ
 酷いめまいがした。
 先日どれ程の労力と時間を費やしたと思っているのでしょう。床が、フローリングが見えない。洗濯物やら生活用品やらがうず高く積まれ30センチより先が見えない。
 絶望のあまり意識が一瞬遠退きかけました。ですがわたくしにはやることがあります。ゴミ捨て場のような部屋でわたくしは大声で叫びました。

「これはどういう事ですかナマエ様!」

 数秒間が空き、部屋のどこかから「はー……い」と気だるげな声がしました。ですが人が動く気配はありません。どうやら自分から動く気はさらさらないようです。ならばここで立ち尽くしていてもらちが空きません。些か乱暴にゴミを……いえ家具たちを掻き分けて声の主を探しました。

「あ、ノボリくーん……こっちこっち……」

 部屋の端のわずかなスペースに彼女は体育座りをしてじっとしていました。のんきにゆらゆらとこちらに手を振っています。その姿を見るや否や頭に血が上り、思わず彼女を怒鳴り付けてしまいました。

「なぜ数日でほこり1つ残らないように掃除した部屋がここまで汚くなっているのですか出した物は出した場所にしまうのは人間としての常識でございます失礼とは存じますがナマエ様の整理整頓能力の低さには呆れを通り越して感動すら覚えますわたくしにも他人と比べると生活力の無い兄弟がおりますがナマエ様よりはまともでございます大体こんな汚らしい部屋の中で平然としていられるその神経が信じられませんこれは生物が生活するような部屋ではないじゃないですか
……聞いているんですかナマエ様!」
「ん」

 よくわからない生返事をした後、ぼんやりとした瞳がこちらを向きました。その状態から動くわけでもなく洗濯物を拾っていたわたくしを凝視し始めます。その視線を訝しく思いナマエ様を睨み付けてしまいました。

「……なんでございますか」
「いやぁ」

 彼女はすこし目を細めて「どこで息してたのかなと思って」と笑いました。なぜかその姿に非常に腹が立ち、手に持っていた洗濯物を彼女の顔面に投げつけてしまいました。
 ばふっとほこりをまわせて洗濯物は彼女の顔に当たり、ゆっくりと下に落ちていきます。10秒ほど固まっていたナマエ様は、これまたゆっくりと瞬きをし「痛い」とつぶやきました。
 どうしてこうも彼女はのろ……いえ動きが緩慢なのでしょうか。きっとナマエ様の特性は"なまけ"なのでしょう。

「とにかく! この汚れた部屋をどうにかなさってくださいまし!」

 少しヒステリックに叫ぶと「あ」とナマエ様は間の抜けた声を上げました。

「安心してノボリ君」
「何をでございますか」
「今回はタンスをちょっとぶちまけただけだからこないだよりは楽に掃除ができるはず、よかったねノボリく……」
「ダストダスの餌になりたくなかったらおとなしく片付けてくださいまし」
「えー……それは嫌だなぁ」

 そういってもそもそと彼女は片付けを始めました。ですが彼女のペースで片付けをしていたら1ヶ月たっても終わらないでしょう。
 わたくしはエプロン装備し、きゅっと三角巾を縛ると戦闘体制へと移行しました。

「目指すは綺麗、出発進行ッ!」
「ノボリくん元気だねー」


* * *


「わー綺麗になったね」
「8……いえ9割はわたくしが掃除したと思うのですが」
「うん。すごく助かった。ありがとー」
「……」

 別に自分がどれほどやったかというアピールがしたかった訳ではないのですが。もう少し早く動けないのかと言いたかったのです。
 素直な礼と笑みに何と返せばいいのか分からず、思わず黙ってしまいました。

 そのとたん部屋に男のうめき声のような低い音が響きました。擬音語として表現すると「ぐごごごぎゅるごごぎゅるぎゅるぎゅる」といった風になります。わたくしの耳に間違えがなければこの音はナマエ様の腹部から聞こえたように思うのですが。

「あの、ナマエ様……今のは」
「あは、恥ずかしー」

 先ほどまでの汚い部屋をみせるほうが恥ずかしいのでは無いのでしょうか。顔を赤らめる彼女の神経が理解できませんでした。

「……では昼食にでもしましょうか。冷蔵庫とキッチンを借りても?」
「いいよー。というかお願いします。あ、でも」

 ぱかっと冷蔵庫の中を開けると、中にあったのは豆腐のみ。ちなみに木綿豆腐。他には調味料しかありません。部屋と比例せずに冷蔵庫は綺麗なのですね……

「豆腐しかないかも」
「ナマエ様、かもではありません。豆腐しかないです。なぜ豆腐だけ残っているのです。いつもは何を食べてらっしゃるのですか……」
「食べてないよ」
「は?」
「食べるとお皿汚れて洗わなきゃいけないし、買いにいくのも作るのもめんどくさいじゃん。口に何か入れるのもめんどくさい。そうだよノボリ君知ってる? 人ってスポーツドリンクと塩とサプリさえあればある程度生きられるの!」

 これ程嬉しそうな顔をするナマエ様を始めてみたかもしれません。きらきらとした表情のナマエ様とは対称的にわたくしは死んだ魚のような目をしているでしょう。もともと生き生きとした顔ではないと自負しておりますが、白目を向きそうでございます。ここまで生活力の無い人間に会ったのは初めてなのでどう対処していいのかわかりません。だれかナマエ様の路線図を用意して下さらないでしょうか。

「乾燥ワカメもあるよーこれかじる? それとも水に浸け……」
「……ナマエ様。少々お時間をいただけないでしょうか」
「なんで?」
「まずは食材の調達からでございます。野菜を、肉を、魚介類を! こうなったら本気で参ります……!」

 謎の使命感に襲われました。わたくしは近所のスーパーまで財布とエコバックを片手に走り出しました。


* * *


「おおー和食だー」
「簡単な物しか出来ませんでしたが」
「ううん。すごい嬉しい。まともなご飯久々に目にしたかも。早く食べようノボリ君」

 ナマエ様に促され正面に座りました。「いただきます!」と両手を合わせて言う姿を見てなぜか少し嬉しくなりました。なんだかタマゴから孵ったばかりのポケモンを育ているような感覚です。

「おいしー」
「それは良かった」

 米を頬張るナマエ様を見ながら味噌汁に口をつけました。この中には先程の木綿豆腐とワカメが入っています。白味噌はやはり良いですね。即興で作ったにしては我ながら上出来……

「ノボリ君、嫁に来ない?」

 なんの脈略もなく言われた発言に思わず盛大に吹き出してしまいました。味噌汁が気管に入ったようです。げほげほとむせるわたくしに「ノボリ君汚い」とぬけぬけと言ってふきんを差し出す彼女に少しばかり殺意がわきました。誰のせいですか、誰の。

「ああ間違えた、いいお嫁さんになるねって言いたかったの」
「どん、な……間違えですか……」

 嫁という単語しかあってない気がします。そしてわたくしは男です。嫁というのは女性に使うものでしょう。根本的に違います。
 まだ若干むせているわたくしをみながらにこにことナマエ様は笑います。

「ノボリ君みたいなお嫁さん欲しいなあ」
「あなたは女性でしょう、お嫁さんなど法律的に無理ですよ」
「比喩だよ比喩ー」
「……左様でございますか」
「ドアを開けると綺麗な部屋と家庭的なご飯があって、『おかえりなさい』って言ってくれる家庭。いいなあ夢みたい。ノボリ君はそういう家庭を持つのかな」

 あはは、と彼女は笑う。わたくしは相も変わらず無表情のままで。

「そしたら私のとこにはもうこれないよね、ただでさえサブウェイで忙しいのに。そしたら寂しくなるねぇ。ノボリ君的には面倒事から解放されるのかもしれないけど」

 焼き魚をつつく彼女をぼんやりと見つめ、未来の想像をしました。彼女の言った事を考えると、なんだかじくりと胸の辺りが痛みました。何故でしょう、もう苦労しなくていいというのに。

「あれ、ノボリ君どうかした?」
「……いえ、なにも。食べ終わった食器は水につけといてくださいね」

 うん。とのんきに食を進める彼女を見て、なんだか疲れがどっとやってきました。

「ノボリ君ノボリ君」
「なんです……」
「いつも迷惑ばかりかけてごめんね。ありがとう」

 そう笑う姿にわたくしは「そう思うなら迷惑をかけないよう努力してくださいまし」と毒づきました。

 しばらくはこんな時間が続いてもいいかもしれない。彼女にほだされたのでしょうか、不覚にもそう思ってしまいました。




いわくつきの女

 (20111203)
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