短編小説 | ナノ
 あれ、今日雨降るって言ってたっけ。1日中晴れるって言ってたのに。まったくあの天気予報はあてにならないな、こんなありえないことになってるのに晴れるわけがないじゃないか。
 実際は晴れているというのに、それを棚に上げて朝見たテレビへの不満をぼやいた。天気予報士からしたら理不尽極まりないと思われるだろう。
 
「おっかしいな……いや本来ならこれが正しいんだけども。なんでジムが開いてるの」

 眼前に広がるナギサジムを見ながらわたしは1人言に精を出していた。
 ここの主はいつも機械をいじっていたり、ただ灯台でぼーっとしているだけで真面目に仕事をするような人間ではなかったはず。
 しかしジムは開いている。だとしたらその認識は間違ったものだったのだろうか。

「職務放棄しすぎてジムリーダー首になったとか。それで別の人が配属されて……あ、それならちょっと納得できるかも」
「失礼だな。ここのリーダーはオレ1人だ」

 自分の世界から強制的に引き戻されると目の前にあるのは金色の髪と長身の体躯。それに淀んだ青い瞳だった。

「ひさしぶりだね。デンジがまじめに仕事するなんて、どういう風の吹き回し?」
「相変わらずかわいくないな。……今日はオーバに紹介された挑戦者と闘ってたんだ」
「……オーバはほんとに面倒見がいいね、自分だって四天王として忙しいはずなのに」

 かわいくなくて悪かったね、心の中で悪態をつきながら嫌味を吐く。それ気が付いているのかいないのか、デンジはどこか上の空である。
 相変わらずデンジからは生気の感じられない。まるで抜け殻のようだ。昔のような生き生きとした表情はどこへ消えてしまったのだろうか。幼い頃、わたしとオーバで一緒に過ごしていた時のような。
 懐かしい思い出に一瞬だけ浸り、すぐに我にかえる。そしてすぐに話を戻した。

「で、どうだったのよ。挑戦者とのバトルは」
「……ちょっと話したいことがある。灯台までこい」
「あ、デンジ!」

 話の関連性が全く見えない。というか会話のキャッチボールに応じる気があるのかこいつ。
 だがそんなことはお構いなしにデンジはわたしを置いてさっさと灯台のほうへと歩みを進めていった。
 しばらく喚いていたのだが、意味の無いことに気がついて仕方なくデンジの後を大人しく追いかけることにした。


* * *


「で、話って何よ」
「…………」

 灯台へいってもデンジは相変わらずマイペースだった。自分で話したいことがあるといったくせに何を話すでもなくぼんやりと双眼鏡から外の海を眺めているだけである。
 そんなデンジにいらだちを募らせ、若干早口で問いかける。

「あのさあデンジ、わたしだってやりたいことくらいあるんだけど。話す気がないなら……」
「今日来た挑戦者に負けた」
「は、い?」

 やっと口を開いたかと思えば何だって? デンジが、負けた?
 思わず言葉を失った私を尻目に、デンジはふー、と大きくため息をついた。気だるげな雰囲気をまといながらぽつりぽつりと話し始める。

「負けたのなんて久しぶりだよ、しかも挑戦者に負けたのは初めてだ。本音を言うとオーバ以外の奴に負けるなんて思ってなかったんだがな。……これじゃリーグなんて夢のまた夢だ。オレもまだまだ未熟者だったってことかな」

 デンジは本来口数の多い人間ではない。これだけ言葉を発するところなんてめったに見れるものではないはずだ。それほど負けた衝撃が大きかったのだろうか。
 だが表情はいつもと大して変わらない。むしろすっきりとしたようにすら見えるなんなのだろう、この違和感は。

「……それで、話したいことっていうのは負けて悔しかったってことなの?」
「違う」

 いつもぼそぼそと話しているのに、そこだけはやけに歯切れよく応えた。
 先ほどまで宙を泳いでいた視線がわたしへと向けられる。

「じゃあ何だっていうのよ」
「……浮かれているんだ、嬉しくてな」
「浮かれている?」
「挑戦者とした勝負。……あの余韻から冷められない」

 デンジはぐっと自身の手を握った。それもぎりぎりと音がしそうなくらい強く。
 だんだんと彼の虚ろな瞳に力が宿っていくのがわかる。その表情に思わず息をのんだ。

「お互いが全力でぶつかり合うあの空気、久々にそれを肌で感じた。
 そのとき、自分でもびっくりするくらい楽しかったんだ」

 ぞわぞわと体の芯から沸き上がるような高揚感。瞬きすら許されない緊張。息をするの面倒になるような極限。
 気を抜けば狂ってしまいそうな、そんな感覚。

「どうして忘れていたんだろうな……あの楽しさを」

 ふいに彼はくつりと小さく笑った。コバルトブルーの目が、どんどんと狂気じみた色へと変わっていく。

 その表情はまるで獣のようだ。ただ本能的に戦いを求める、貪欲で獰猛で傲慢な獣。ただ自分の快楽を満たすためだけに戦いを。バトルだけがデンジの生き甲斐であることを痛感した。

 だがいつからか戦うことの快楽は得られなくなった。理由はデンジが強くなりすぎたためである。相手がいなければバトルはできない。彼はどんどん飢えていった。

 いくら戦っても代わり映えしない弱者たちに、デンジが見切りをつけたのはそう新しくない話。
 そうして新しい快感をと、彼は機械弄りへ逃げ出した。
 その時からデンジは酷くつまらない人間へと成り下がったのだ。以前のような輝きはない。まさに脱け殻のようになってしまった。
 ――わたしは以前の輝きに惹き付けられた者の1人だというのに。

「まあナマエにはわからない感覚だとは思うけどな……さて、これでオレの話は終わりだ。誰かに話しておきたかっただけなんだがな。さて、ジムに帰るか」

 先ほどの殺伐とした雰囲気はどうしたのか、いつもの気だるげなデンジへと戻る。ゆっくりと灯台の出口へと向かうデンジを黙って見つめる。そして重々しくわたしは口を開いた。

「わかるよ」

 ぴたりと動きを止め、デンジはゆっくりと振り向いた。彼の表情には若干のいらだちが浮かんでいる。
 デンジの根本的な考えは「強い」か「弱い」だけである。彼の興味はバトルで強いものにしか向かない。わたしは彼の中では「弱い」ものに入っている。だからわたしがわかる、だなんていうのが気にくわないのだろう。
 弱いわたしは彼に絶対に認めてもらうことはないのだから。

「ろくにポケモンバトルもできないナマエが、知ったふうな口をきくんだな」
「バトルもできない?」

 思わずくすりと笑みを浮かべる。その行動をデンジが訝しげに見据えていた。
 わたしはバックの中にあるバッチケースへと手を伸ばす。それを開いてデンジに見せつけると、驚いたように目を見開いた。コバルトブルーの瞳が色を増す。

「ナギサをでてからジムを巡ってね。あと一つでシンオウのジム全制覇なんだ。……そう、あとナギサジムだけなの。わたしだって、そんなバトルをたくさん経験したよ」
「へぇ……昔みたいにオレたちの後にひっついてただけのナマエじゃないってことか」

 小さい時わたしたちはいつも一緒だった。なにをするにも3人一緒。本当に仲が良かったのだ。
 でもいつからか決定的な溝ができた。ポケモンバトルである。
 バトルの下手なわたしはオーバとデンジが戦っている時はその中に入っていくことができなかった。楽しそうに目の前で繰り返されるバトルを見るたび胸が詰まった。自分だけ取り残される気がした。
 そしてきっと無意識なのだろうが、デンジはわたしを「弱者」として扱い始めた。心の奥底で、わたしを見下している。わたしなんて眼中にない、つまらない人間に分けられた。それが何よりも辛かった。
 だからわたしは沢山戦った。あの人たちに誇れる自分になりたい。なによりもデンジに認めてもらいたい。

「デンジがわたしとバトルしてくれるか不安だったんだけど……その様子だと大丈夫そうだし」

 デンジにあの輝きを取り戻させたのはわたしじゃなかった。それは名前も知らない挑戦者。でもこの際どうでもいいや。 
 腰に付けたボールへと手を伸ばす。最初は弱かった、でも今では頼れる立派な仲間たちだ。
 ゆっくりとデンジはわたしへと向き直る。今までとは違う雰囲気を察知したのだろう。その目には今までわたしに向けられたことのないものが含まれている。

「挑戦者としてナギサジムリーダーにバトルを申し込みます」

 瞳が鈍く鋭い光を帯びる。そうだ、その目だ。わたしが憧れてやまない獣の目。わたしを「強者」と見なしてくれたその証。
 でも足りない、もっと、もっと。わたしの飢えも満たして頂戴。
 飢えに苦しみ抜いて、わたしはあなたと同じ獣になったのだから。

「戦いましょう?」

 わたしの宣戦布告に、デンジはゆっくりと狂喜を含む笑みを浮かべた。
 そして恐らくわたしも彼と同じ表情を浮かべている。戦いを求める、貪欲な獣として。





 (20110210)
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