今年は特に忙しかった。
12月も終盤に差し掛かり、世間は新年を迎える準備で慌ただしさを増していた。
先日が仕事納めで、今日から正月休みに入っていた彼女は早々に掃除を終わらせることにした。
何故なら、ウォッカが来るからだった。
出会った当初はまさかこんな関係になるとは思っていなかった。
しかし、共に過ごすうちに互いに惹かれ合い、今では恋人同士になっている。本当に人生は何が起こるかわからない。
部屋の中のものは大方片付けたが、ふとあるものが目に入る。
先日、部署の忘年会のビンゴで当てた景品だった。かなり大きなものでまだラッピングを解いていなかったので、せめて中身は確認しようと思い、リボンを解く。
中に入っていたのは暖炉を模したヒーターだった。
それを開封して中身を確認する前に呼び鈴が鳴ったのが聞こえた。
インターフォンを取ると同時に、待ち人の声が聞こえる。
「俺だ。来てやったぞ」
モニターにはいつもの黒の帽子、黒スーツ、サングラスのウォッカが映っていた。手には何やら小さくはない紙袋を持っている。
「早かったですね。今ちょうど掃除終わったところです」
ドアを開けて迎え入れると、ウォッカはそのまま彼女を抱き締める。
「あぁ。早くあんたに会いたかったからな」
ウォッカは彼女の額にキスをする。
「昨日職場で会ったばかりですけど」
えい、と彼女がウォッカの帽子を取った。
「それだけあんたのことが好きだってことだぜ」
ウォッカはそんな彼女の手を取り引き寄せると、彼女の唇に軽く触れるように口付ける。
「俺の気持ち、伝わったか?」
ウォッカはぎゅと彼女を抱きしめた。
「ふふっ。もちろんです!
あ、立ち話もなんですから、とりあえず上がってください」
ウォッカの背をポンポンと軽く叩き、腕を緩めるよう促すと、名残惜しそうにウォッカは彼女を解放した。
「そういえばその紙袋は何ですか?」
「ああ、これは土産だ。シュークリームとワッフル、たい焼きと……」
けして大きくはない袋だったが、予想外の数の物体が出てきた。
ウォッカにはソファに座るよう促し、コーヒーと彼が持参したワッフルを前に置く。
彼女は自身の分のミルクティーを用意する。ソファに座ったウォッカはそこに掛けられていたブランケットと、ローテーブルの隅に置かれたサプリメントに気付いた。
「おい、またソファで寝てるのか?」
「ここのところ年末進行で早出残業が多くて……。ベッドで寝ちゃうと快適過ぎて起きられなくなるし」
それも昨日で終わりだった。今日からは久し振りにベッドで寝られる。
「休めるときはちゃんと休まねぇとダメだろ。いくらあんたとはいえ、ソファじゃ体も伸ばせねぇだろ」
「わかってますよ。もう今年の仕事は終わったので大丈夫です!」
そう言って彼女は、先程出しかけていたヒーターを箱から取り出す。
「なんだ?それは」
ウォッカもそれに興味を持ったようで、後ろから覗き込んできた。
「あー、去年の忘年会でもらったからちょっと使ってみようと思いまして」
彼女はコンセントを差して電源を入れる。中では炎を模したLEDが点灯した。
「あったかいけど、やっぱり本物とは違うなー……ってうわっ!?」
いきなり背後からブランケットが被せられた。驚いて横を見ると、ウォッカが微笑んでいる。
「びっくりしましたー……いきなりどうしました?」
「せっかく暖炉があるからな、あんたと2人であったまろうと思ってな」
嫌か?と若干の上目遣いで見つめられると、もう断れない。彼女はそのままウォッカに体を預ける。エアコンをつけようと思っていたが、ブランケットと暖炉型ヒーター、そしてウォッカの体温で充分暖かかった。
北欧では暖炉の薪が燃える映像を延々と流している番組があるらしい。最初は理解出来なかったが、今では少しだけわかる気がする。こうして隣に大切な誰かがいて、ともに炎を眺めるゆったりとした時間。それはとても貴重なものだった。
「……俺と一緒にいてくれてありがとうな」
「どうしたんですか?急にしんみりしちゃって」
「いや、色々あったからな。それでもあんたは俺の隣にいてくれる……それが本当にかけがえのないことだってな」
「まあ、そうですね。一年弱経ちますけど、ほんとに色々ありましたよねー」
「覚えてるか?あんたと初めて会った時のこと」
そう言ったウォッカの顔は、少しからかうような雰囲気があった。
しかし、からかわれても仕方ないくらいに今とは状況が違っていた。彼女は若干気まずく思い口ごもっていると、ウォッカが口を開く。
「仕事熱心なのはいいが、無茶し過ぎて時々すごく辛そうで、おまけにどこか寂しそうで、放っておけなかった……だが、近づくと毛を逆立てて怒って爪を立てる。猫みてぇなやつだなって」
ウォッカは彼女の耳元に息を吹きかけるように囁く。
「それは、っ……一応反省してます」
「だが今のあんたは確かに変わった。爪を立てるのも、ベッドの中だけだもんな」
まさかウォッカの口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
「ウォッカさんのお望みとあれば、またどこでも爪を立てちゃいますよ?」
「愛情の証が増えるのは嬉しいが、痛いだけの傷は遠慮するぜ」
目が合うとウォッカはふっと笑う。そしてそのまま唇を重ねてきた。
彼の片手は彼女の腰に廻され、もう片方は頬から首筋に滑り胸のあたりに優しく触れる。
「爪、立てて欲しいんですか?」
彼女はウォッカの背中に腕を廻して、彼の耳元に唇を寄せる。
「あぁ、前につけられた跡が消えそうだからな。もう一度くれるか?俺に、あんたの印を……」
いつになく熱を帯びた声だった。その瞳の奥にもLEDの疑似炎色とは、比べ物にならないくらいの紅が透けて見えた。
もう一度唇を重ねようとウォッカが距離を詰めてきたが、彼女はそれを人差し指で制止する。
「ちょっと待ってください」
「この期に及んでどうした?」
「……たい焼き食べなきゃ」
「はぁ?」
彼女の突拍子も無い言葉に、ウォッカの目がこれでもかというくらい丸くなる。
「シュークリームとワッフルは冷蔵しておいてもいいですけど、たい焼きは冷蔵してから温めると味落ちるんですよね。せっかく買ってきてくれたんだし、美味しいうちに食べましょう?」
そう言うと、ウォッカの腕をするりと抜け出しキッチンへと向かった。
「おいおい……本当に気まぐれな猫だな」
「何か言いましたー?」
キッチンの方から彼女の声が聞こえた。
「いや、あんたは食いしん坊だなって思っただけだ」
「はいはい。どうせ食いしん坊ですよー。
まぁ、そうは言ってもまだ明るいですし?
わたしにも羞恥心というものがあるってこと、覚えておいてもらえるとありがたいんですけどね」
彼女はマグカップと温めたたい焼きをのせたトレイを置き、ウォッカの横に座った。
「そんな照れるあんたも可愛いぜ?」
たい焼きも似合うし、と言ってウォッカは笑った。
「あなたの笑顔も充分可愛いですけどね、ウォッカさん」
もぐもぐとたい焼きを頬張りながら彼女は言う。面と向かって言うのは少し恥ずかしかった。
「おい、ついてるぜ?」
ウォッカが口の端を指差す。彼女がその箇所に指を伸ばしたが、何か付いている気配はない。
「ちげぇよ、もっと右だ」
指を右にずらす前にウォッカの唇があたった。
「まったく、油断も隙もないですね……」
「さっきはお預けをくらってるからな、これくらいはいいだろ?」
屈託のないウォッカの笑顔に、彼女もつられて笑ってしまうのであった。
おわり
bkm