一人で帰らせるのは危険なので、タクシーを手配することにした。
「ほら、立ってください。とりあえず外に出ましょう」
いつまでも泥酔者に居座られては迷惑だと考え、茜は安室を支えて店の外に出る。
安室の腕の中に入るようにして、身体を支えながらタクシーが来るのを待つ。
なかなかつらい体勢だったので、少し重心を変えようと身を捩ったとき、唇が安室のそれと掠る。
「あ、ごめんなさい」
茜が謝ると、半分寝ているような状態の安室が目を開く。
「起きました?とりあえず今タクシー待っ……」
そこまで言ったときに言葉が遮られる。安室の唇が、茜の口を塞いでいたからだ。
茜の視界には安室の目元がアップになり、睫毛が少し震えているのがわかった。
ただ唇が触れているだけの状態で、キスと呼ぶにはあまりにも稚拙なものだった。
ふ、と唇が離される。
「や、あの、安室さん?」
どうしたのか聞こうとすると再び唇が塞がれる。今度は少し角度を変えて、下唇を食む様に安室の唇が動く。
そしてまた唇が離され、もう一度近付けられる。
「はいストップ。ちょっと落ち着きましょう」
安室の口に手を当て、三回目のキスを回避する。安室が不服そうな顔でこちらを見ている。
「いくら酔ってるからって、やっていいことと悪いことがありますよ。仏の顔も三度までです」
分かりました?と確認すると、安室はそれ以上はしてこなかった。しかし、今度は急に甘えるように茜の首筋に顔を埋めてくる。
「ちょっ、くすぐったいです!やめてくださいって、こら!」
首筋から鎖骨のあたりを舌でなぞられ、そのくすぐったさに茜は身を捩る。
はたから見ればイチャついているようにしか見えない光景だが、茜は特に安室に対して恋愛感情があるわけではないので、ひたすらに気まずい状況だった。
先程も思ったが、これが組織随一の頭脳をもつバーボンなのかと、疑いたくなる。
そして、周囲の人々の視線が痛い。
そんなタイミングでタクシーがやって来た。
「ほら、安室さんタクシー来ましたから。はい乗ってください。行き先は自分で言って」
ドアが開くとすぐに茜は安室を押し込み去ろうとすると、安室が腕を掴んだまま離してくれなかった。
「ちょっと、ほら、運転手さん困ってますから」
「……て」
「え?」
安室が何か呟いている。その口元に耳を近づけて、茜はそれを聞き取ろうとした。
「もう、いちど……キス、して?」
そんな欲望に素直な安室の言葉に茜は大いに脱力した。
「あのですね、したのは安室さんであってわたしじゃないですから。ったくもう、……また今度ね今度キスでもなんでもしてあげますから。今日は帰りましょう」
「いやです」
はーと深く大きなため息を吐いて、茜は意を決する。
タクシーの運転手の迷惑そうな、しかし好奇に満ちた視線も気になるが、どうやらキスをしなければ帰れないらしい。
「めんどくさい酒乱ですね、もう」
少し乱暴に安室の頬を両手で包むと、唇を重ねる。
「はい終了。それじゃお願いします」
安室の手が離れた隙に茜は身を引いてドアを閉めてもらう。タクシーが去ったのを確認し、茜も家路を急ぐ。
安室に対しては、驚きはしたもののキスをしても少しも動揺しなかった。しかしジンに対しては違った。その視線だけで心が揺れた。
もしかしたら、それを認めたくないがために、今まできつい態度をとっていたのかもしれない。
単に彼が挑発的な態度をとりがちだからということもあるにはあるが。明日からはもう少し素直になろう、そう思えた。
「お客さん、大分飲んでるみたいだけど大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ」
タクシーの車内で安室は茜の感触を思い出していた。本当はそこまで酔っていなかった。いや 、全く酔っていなかったのだ。
どうしたら茜に触れられるか、考えた末に出た行動があれだった。
その結果、思った以上に優しくされて歯止めが利かなくなってしまった。
それを利用してでも茜に近づきたいと思う心と、茜に嘘をついてしまったことを悔やむ心が安室の中でせめぎ合っていた。
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