家に着いてから、一度服を着替えてからの出勤。
今日が夜勤で良かったと、少しほっとする。
そして特に何事もなく、研究所に着いた。
首に付けられた跡はコンシーラーとファンデーションを駆使して消した。よくよく見るとばれるが、よほど接近しない限りは問題はない。
とりあえず今日、ジンと会えるかは不明だが、まずはいつも通りに接して様子を見ようと茜は心に決めたのだった。
不測の事態が発生しても定時に帰ることが出来るよう、茜はいつもの三倍速で仕事をしていた。
エレベーターを待ち、到着したゴンドラに乗ろうとしたが、ドアが開いた瞬間、目に飛び込んできた人物に茜は息をのむ。
今日一番気まずい人物、ジンだった。
会いたかった、でも会いたくなかった。
そんな思いがぐるぐると駆け巡る。
すると
「おい、乗らねぇのか?」
「は、いや、……いいです」
ジンに声を掛けられ、思わず変な声がでてしまった。
そして、乗ることを拒否した茜の意思とは関係無しにジンは彼女の腕を引っ張りエレベーターの中へ。
無理やり乗せられたのに、反射的に目的の階を押してしまった。
そして、二人を乗せたゴンドラが動き出す。
平常心、の三文字を心に抱き、茜は少しだけ右にずれようとしたが、ジンがその動きを封じるように手をエレベーターの壁に着く。
「俺はまだ、お前からの返事を聞いてねぇ」
「返事って、何のことでしょう……?」
「まさか、憶えてねぇなんて言うんじゃねぇだろうな?」
「あ、はは……。何してたかは何となーく憶えてるんですけど、会話の内容はさっぱり……」
急上昇する心拍数を悟られないよう、茜は胸の前に書類の束を持ち直す。だがそれ以上の追及は無く、ジンは意外なほどあっさりと手を引いた。
「自分が何を言ったのかも、憶えてねぇのか」
「全然。何も」
「そうか。だったらこの事は忘れろ」
ここで、ジンの目的の階へ到達してしまった。
どうやら何か重大なことを忘れている気がする。
恐る恐る見ると、ジンは少し悲しげな表情をしていた。
あれほどまでに憎たらしかった人物だが、今は抱きしめなければ消えてしまいそうな気がした。
手を伸ばしたが、それは届かず空を切るだけだった。去っていく彼の後ろ姿をエレベーターのドアが遮る。
何か大切なものが途切れてしまう気がして、茜はエレベーターの開ボタンを押すが、すでに上昇を始めていたゴンドラはそのまま何の反応も示さなかった。
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