紅玉と乳白色の食糧事情
キヨミとキュウゾウが迎えにきた戦艦に乗ると、他の同僚からのお咎めに遭った。
「ったく……戦力が足りないからって、こんなガキをわざわざ拾いあげるこたぁねぇだろ……」
どうやら、やっかみごとを言われただけのようだった。
キュウゾウとキヨミはその声のした方へツイッと視線をやっただけで、それ以上のことをしようとはしない。青白い顔をした長髪の侍が、黙って二人の子どもが通り過ぎるのを見る。
キヨミが数歩先に行くと、自分たちの上官がさらに上の上官に呼び出されている様子がキヨミの目に映った。
(さて、なんだろうか?)
キヨミは疑問に思った。
「喜瀬キヨミ」
キヨミを呼ぶ声にキュウゾウが振り返り、それに続いてキヨミが振り返る。
キュウゾウがあまり見たことのない人間が、そこに立っていた。
「お呼びにかかっているぞ。さっさと来い」
「あ……ごめん、キュウゾウ。ちょっと、出てく」
キュウゾウが見知らぬ男から声のかかったキヨミは、キュウゾウへ振り向き、一言声をかける。それに、キュウゾウは首を縦に振って応えたあと、見知らぬ男に連れて行かれるキヨミを、ただ見送った。
ただ、見送った。二等兵のキュウゾウにはどうすることもできなかった。
戦艦の入り口の前で、ぼうっと佇んでいるキュウゾウに気がかかったのか、無関心を決め込んでいた侍が一人、声をかけてきた。
「おい。そこに立っていると邪魔になるだろうが」
振ってきた低い声に、キュウゾウは視線だけをやる。だが、すぐに視線を反らす。
脱力した獣のようにダラン、と刀を握った両腕を垂らしたまま、キュウゾウはそこに佇み続ける。
「おい。聞いているのか、小僧」
青白く骨ばった手が、薄絹の髪を掴む。頭を鷲掴みにされたキュウゾウは憤怒が多少入り混じり始めた目で、自分に突っかかった侍を見上げた。
青白い顔をした侍は、垂れ目をつり上げてキュウゾウに言った。
「さっきのガキを待っているかどうか知らないが……『お呼びにかかっている』と言うことは、どうせあれだろう。『相手』をしているんだろうよ」
キュウゾウは自分の頭を掴む男の手を、苛立たしく払う。
パチン、と勢いよく手の甲で手を払われた男は、赤く腫れた手を刀にかけながら少年を見下した。
「ハッ、こんなガキが……。いいか、小僧。よく聞いておけ。大人からの忠告だ」
憤怒と憎悪が入り混じった目が、キュウゾウを刺す。キュウゾウはそれを、冷めた目で見た。
「あまり、作戦指揮から外れるんじゃねぇぞ。……殺されるぞ?」
「……分かった」
眼前で睨みつけるように敵意を露わにした侍は、殊勝に返事をしたキュウゾウに、毒気を抜かされる。
鼻の先を小突きあわせて憎悪も敵意も込めて睨みつけた侍が、呆気にとられた顔をして腰を引かせたことを気にせず、キュウゾウは淡々と言葉を紡ぐ。
「あとで、言っておこう」
「……お前。あのガキの、お守りか?」
呆気に取られて呟く侍の一言に、キュウゾウはなにも答えず、ただ背を向けてその場を離れるだけだった。
――喜瀬キヨミは、全作戦の指揮命令と決定の権威を握る左官からの教育を受ける。「お前はイヌだ」などと教えられる。キヨミは複雑難解な漢字で、左官からの教えを紙に纏める。
「お前は、大佐を殺したのだ」
キヨミは、耳にタコができるほど聞かされたことを、また聞かされる。
「だから、その刀を手にした以上、大佐の代わりを務め。――それが、将軍からのお達しだ」
キヨミは筆を置いたあと、一礼をしてその場を去った。
埃っぽい空気が、キヨミの頬を撫でる。
若年者の頭には難しいことを詰められたキヨミは、頭を抱えながらフラフラとデッキを歩いた。
埃でくすんだ視界に、一人の背丈を見つけた。
「あ、キュウゾウ! キュウゾウだ!」
煙のようにくすんだ視界から見つけた背丈に、キヨミは嬉しさの声をあげる。
『キュウゾウ』と呼ばれた人影は、刀を握った両腕をダランと垂らしたまま、その場に立っていた。
「どうしたの? ここ、酷いでしょ? それに、いつ敵からの奇襲が来るか分からないんだよ? まぁ、最近はホラ貝によって、武士道に外れた奇襲行為はしない、となってるけど……わけわかんないよね」
駆け寄るキヨミに、『キュウゾウ』と呼ばれた人影はコクリと頷く。
戦艦のパイプから吹き出た排気ガスで広がった煙が足を引き、幕を引きずりながらぞろぞろとデッキから消える。
同じモスグリーンの軍服の裾を掴むと、薄絹の髪を持った少年が、紅玉の瞳でジッとキヨミの様子を見ている姿が露わになった。
キヨミはキュウゾウに、声をかける。
「それでね、なんか、果たし状? みたいなのもらうと、それに則った行為なら、なんでも反則技でもいいんだって。あ、武士道に外れないかどうとかも言ってたかなぁ? まぁ、『言ってた』ことなら、なんでもかんでもじこーだって!」
話を続けるキヨミに、キュウゾウはただ頷き返す。
キヨミはモスグリーンの軍服の袖を掴んだまま、キュウゾウに話を続ける。
「あ、お腹減った」
急な空腹を訴えるキヨミに、キュウゾウはただ頷く。
「どっかで食べに行こうよ。もう、ペコペコだよ。あ、まだやってるかな?」
「……御意」
「え?」
お腹を擦りながら無邪気に尋ねるキヨミに、キュウゾウはただ答える。
キュウゾウの意図が分からず、キヨミは思わず聞き返した。
ダランと刀を握った両腕を垂らしたまま、キュウゾウはスタスタと先を行く。それをキヨミは、敵から奪った刀を抱えたまま、キュウゾウのあとを慌てて追う。
早足で食堂についたキュウゾウは、重々しく下ろされたシャッターを、ジッと見る。
駆け足でキュウゾウのあとに追いついたキヨミは、息を整えながらシャッターを見上げた。
「あ、やっぱり閉まっちゃってる……ケチだなぁ」
武士たちの束の間の休息で街に下りたことを思い出したキヨミは、その時の様子とこの扉の対応の違いを見て、不満げに呟いた。
キュウゾウは『閉店』と点滅する赤いランプを苛立たしく見たあと、同じ年頃の少年兵よりスラリと伸びた長い足で、固く閉ざされた扉を蹴った。
「うわ!」
シャッターが突然凹んだ音に、キヨミは驚いて声を上げる。
携帯食糧を手にした青白い顔をした侍が、偶然その場を通りかかった。
「ちょ、ちょっと、キュウゾウ?! な、なにをしてるの?!」
「……食糧を」
「いや、戦場において食糧は大事だと言うことは分かるよ?! で、でもね?! な、仲間同士で奪い合うとえーっと、その、あれだよ、あれなんだよ、あれ……えーっと……」
「強い者が生き残らねば、意味がない」
「いや、そうなんだけどさ。だからと言ってそれは駄目! 謹慎処分になっちゃうよ?!」
「是非もない」
「いや、戦場に出られなくなっちゃうよ?!」
腕を掴んで止めにかかったキヨミの一言にピクッと反応したキュウゾウが、苛立たしくキヨミを見下ろす。
紅玉の瞳に不機嫌さを浮き出たキュウゾウと凹みの増すシャッターにおろおろとしながら、キヨミは言葉を続ける。
「そ、それに、えーっと……しょ、食糧はえっと、敵から奪えばいいんじゃないかな……?」
「是非もない。ならば、弱い侍から奪うのみ」
「駄目だよ! えーっと、あのね、それだと負のサイクルが……」
「ならば、戦場で空腹で倒れろと言うのか」
「う」
刺すように突き刺すキュウゾウの言葉と目に、キヨミは二の句を継げなくなる。
反論のできなくなったキヨミから固く閉ざされたシャッターへ目を移したキュウゾウは、据わった目で淡々と言った。
「ならば、食糧を強奪するのみ」
「駄目だよ?!」
長い足でシャッターに穴を開け始めたキュウゾウに、キヨミは驚き慌てて、止めにかかる。
青白い顔をした侍は、手にした携帯食糧を口へ運ぼうとした姿のまま、呆然と固まっていた。
「……なんだ、あれ」
またしても呆気にとられた侍は、キュウゾウとキヨミの行いに、空いた口が塞がらなかった。
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