14. とてもじゃないけと息ができません


change your name

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提出先 曰はく、 第12回 さよなら

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 私の大好きな人を紹介します。その人は、悪魔から悪魔と形容されるほど恐ろしい人です。けれどもその人は、多分害を与えない同業者とか同じ釜の飯を食う仲間にだけしか、やさしさをみせない事を知っています。ところで、私はあの人の「同じ釜の飯を食う仲間」なんでしょうか?気になって、あの人に聞いてみました。あの人の仲間である、あの人に仲間と思われている、そう、疎外感から脱け出せる言葉がほしかったのです。でも、あの人は全く違う事を言いました。「お前と同じ釜の飯を食う仲間、だぁ?ふざけるな。誰がお前なんかとなるか」と吐き捨てるようにあの人は言いました。侮蔑するように、軽蔑するように。本当、「こっち来るな」と追い払うかのように。あの人はそう言った目を私に向けて、そう吐き捨てました。あぁ、胸が痛い。あの事を思い出しても、まだ痛いです。それでも「同じ釜」です。私はあの人にご飯を用意してあげた事を思い出しました。あの人は私の作ったご飯を食べてくれました。だから、あの人も私と「同じ釜の飯の仲間」であろう、と思いました。だって、私の作ったご飯を食べて、一緒に食べてくれたんですもの。そう言ったら、あの人はこう言いました。「ふざけるな。あれは手前ぇが勝手にやっただけだ。」と。そう吐き捨てるように言いました。続けて言いました。「それを言ったら、その飯を食った他のやつもお前と同じ釜の飯になるだろおが。阿呆か、お前は。そもそも、お前が勝手に用意しただけの事だし、ちょうど小腹が空いていただけだ。手前ぇに、ぐちぐちとそうそこまで言われるような程まで、食べてない。」時々、あの人の言った言葉をどのようにとればいいのか、と言う事が分からなくなりました。それは好意の裏返しなのか、それともそのままの意味なのか。けれどもあの人が毎回向けてくる鬱陶しそうな目を見ると、あぁ、やっぱりそのままの意味なんだなぁ。と胸がズキズキと痛みます。痛くなります。
 あの人の傍にいつもあったのは、いつも本でした。時々悪魔があの人の傍にいる事はありましたが、やはり肌身離さずあの人の傍にあったものは、本でした。黴臭い本棚、湿った紙の匂い、香るインクの匂い、固い紙、古びた本、難読な本。それら全てがあの人の興味を引くものであるのならば、私はあの本棚と同じになってしまおうと思いました。あの本棚に仕舞われた難解で難読な本を読み明かす為に、古びた図書館や古本屋、挙句の果てにはそう言った所に出入りしたりして、あの人の興味を引く本を全て読み明かす知識と技能を手に入れようとしました。そうして、その途中で得た知識や技術をあの人にも教えてあげよう、あの人と知識と技術を共有しよう、と思って、あの人に教える言葉を知識と技術を理解する過程を踏む中で、同時に考えました。こうこうこう言う事があったんだよ、とあの人に話そうとしました。「報告・連絡・相談」の「ほうれんそう」にかこつけた会話です。けれども、あの人の興味を引く材料をどんなに掻きこんだって、あの人の興味を全く引けませんでした。「ふぅん。へぇ。そう。」「あっそう。」とまるで言いたげな返事でした。いや、そうでしょう。端の黒ずんだ羊皮紙や罅の入った固い写本のどれにも、全く見向きもしませんでしたのですから。宝の持ち腐れだ、と私は思いました。それならば一層の事捨ててしまおうと私は思いましたが、捨てる処理が全く思いつきませんでした。なので、宝の持ち腐れならば持ち腐れで、滅多に入れてくれない開かずの扉の向こうへ置いてしまおうと思いました。開かずの扉の向こうへ行く人や悪魔たちに頼んで、宝の持ち腐れとなったゴミやボロの数々を持って行ってもらいました。その度に、あの人からとても不愉快そうで不機嫌そうな視線を貰いました。
 あの人の興味を引く為に仕事を、あの人の興味を引く為に知識を、あの人の興味を引く為に技術を。本来の休暇であり他に費やす時間を全てあの人の興味を引く為に自分を磨く時間に当てていたら、ある日、お仕事のお誘いがきました。きっと、あの人の興味を引く為に研鑽してきた途中で算出した成果、とやらを見取ったのでしょう。「今の仕事では貴方の能力が勿体ない。是非、この仕事をしてみませんか。」と、お仕事のお誘いをしてきた人は仕事の内容の書かれた紙を差し出してきました。その人の言う事には一理がありました。あの人の興味を引く為に研鑽している中で、このままでは駄目だと管を巻いていたからです。だって、四方に手を広げるより、一つに集中した方がいいと思いました。だって、あの人、グリモアのエキスパートでもあるんですからね。
 けれども、お仕事を引き受ける中で、一つだけ気にかかる事がありました。そう、やっぱり気にかかるんです。あの人の事。どうしても諦めきれなかったので、あの人の興味を引くものを別の表現に置き換えて、更にあの人の目的も話術と話題でうやむやに誤魔化してしまってから、私の忍ばせた質問にその人が応えるようしかけました。私の話術に気付いてか気付いてないのか、その人は「あぁ」と頷いてから答えました。
「グリモアと言う魔導書、充分に知り得れますよ。」
 その言葉だけでも十分です。私は現時点で管を巻くより、現時点よりも更に情報の取得できる場所へ向かう方が懸命だと思いました。だって、あの人に見向きもされませんから。あの人に見向きもされないのが私の情報の不足だとしても、私自体に興味がないとしても、私自体が嫌われていたとしても……。
 ズキズキと胸が痛いです。この傷心の為にも、管を巻いて現状を打破出来ない状態を打破する為にも、このお仕事は受け取るべきだと思いました。だって、あの人の興味を引く為とは言え、知識・技術を知り得る為に片っ端から本を読んだり実践したりする事は、事務所の仕事より苦痛ではなかったからです。事務所の仕事と言っても、雑用ですけど。でも、傷心を作ったあの人の事を多すぎる暇な時間中ずっと考えている事よりも夢中になれる事に打ち込んだ方が、随分と良いような気がしました。お仕事は、外国です。しかも遥かに遠い所で外国語。けれども、あの人の興味を引く為に研鑽している中で、日常会話(「ヘロー」や「ハウマッチ?」程度のものですけど)を多少使えるように勉強していたし、外国語と言っても、殆ど本に埋もれて難読難解なものを解読するだけと言うお仕事だったので、全然問題はなかったです。家族も、東京に出る時に既に「家を出る」と言う了承を取ってあるので、今更国外に出ようとも外国語の話せない外国に出ようとも、全く問題はありません。アパートの管理人に話をして、市役所で戸籍しゃくほん?と写しを貰って申請書もコピーして……。あぁ、あの人は外国へ出る前にこんな手間のかかる事をしているのだろうか。とあの人がした事と同じ事をしていると言う事に、胸がキュンと弾みました。けど、今からあの人と離れる事を思い出したら胸が萎みました。けれども、あの人の興味を引く為でもあるのです。しっかり、あの人に昔と変わらず「何か分かったら知らせますね!」と元気強く、言おうとしました。傍から見たら「痛々しくてもう見てられない。」だそう、けど。けれども、鏡で見た暗い自分の顔をパチンと叩いて、あの人に元気強く言ったんだ、と自分に言い聞かせました。だって、そうじゃないとあの人の興味なさそうな返事なんか、全く説明できませんから。ポロッとヘマして素性を零したり素が出たりした時に、あんな呆れたような視線なんか……。
 ……。
 無理をしすぎるのも、もうこれっきり。後は飛行機の中でじめじめと声を押し殺しながら泣こう。パスポートの準備も出来ている事も確認した私は飛行機の手配と部屋の片づけを後に済ませて、パスポートを鞄の中に入れました。念のために、言葉では伝えきれない事を書いた辞表を鞄のすぐ出せるポケットに入っている事を確認した後、部屋を出ました。電車の中で、鞄の表のポケットに、白い封筒が入っている事を確認しました。
 いよいよ、その時です。事務所の仕事(雑用ですけど)をしながら頭の中で何度もシミュレーションした事をやりました。けど、スムーズに動いた頭の中と違って、首や足はぎこちなかったです。それに釣られて、私の腕もぎこちなかった、です。余りにもぎこちなく動いたからでしょう。あの人の視線が手の中にある本から、辞表を持つ私の腕に向かいました。変わらず、所長椅子に座るあの人へ、辞表を突き出しました。あの人は、自分の目の高さにある、両手で差し出した辞表を何の興味もなく見ているだけでした。「あの、」声を振り絞っていた中で、あの人の名前を絶対に呼ばないでおこう、と思いました。なぜなら、頭の中のシミュレーションが崩れるからです。名前を呼ぶ事で、私の頭の中で崩れたシミュレーションが、じめじめと飛行機の中で泣いて外国まで飛ぶところまで、壊れてしまうからです。呼んでしまった、と思いましたけど、無視しました。
「やめ、させて下さい。」
 あの人を思う事も、あの人の傍にいる事も、この仕事も。そう諸々の事を詰め込んでしまった言葉を震える口で吐き終えると、あの人の固まったような顔が見えました。まるで、氷のように固まった顔でした。好意の裏返しで嘘を吐く事がありましたけど、今回ばかりは嘘でない事を強調する為に、やめる理由と、これまでの仕事をやめた後の事を話しました。嘘を吐いたと言っても、体調の悪化ややせ我慢を誤魔化したり見せたりしない為に嘘を吐いた、空元気ですけどね。
「アクタベさん、グリモアの事に凄く興味を持っているじゃないですか。部下の、さくまさんにグリモアを持たせて、沢山の悪魔を付き従わせる程に!」
 いいや、これは違う。違います。呼び掛けです。"call"の事です。ほら、よくあるでしょう?電話で鳴るコール音。"call"音。ただ、それだけの役目です。下らない意味、ただ、話者に電話が繋がっている所だと知らせる為だけの、下らないコール音です。
「私、グリモアを読めるようになったけど……やっぱり悪魔を召喚できないし、分かんない本を読むだけしか取り柄がないじゃないですか。」
 いいえ、これは嘘です、嘘です、嘘です、嘘です。本当はグリモアをとっくのとうに読め、ます。下手な文章で書かれた文章に隠された意味も特性も性能も注意書きを読める程に、しっかりと読める、もう読める。勿論、悪魔だってやろうと思えば召喚できる。まだ口にしてないだけで、魔方陣だけなら何回だって書いた。何百回だって書いた。けど、あの人が私がグリモアを持つ所や悪魔を召喚してみたいと口に出す度に嫌そうで、怪訝そうな顔をするから、自ら憚っただけなのだ。やろうと思っても、やったら嫌われてしまうと思わせるくらいの顔をあの人がしたから、出来なかっただけ……。本当は、もっとできる。と、言う言葉をグッと飲み込んでから私は立て続けに言いました。
「だから、こう言うところに就職した方がいいかな、って。あ、ほら!アクタベさんの邪魔にはなりたくないし……。」
 邪魔?邪魔だから離れるんだろ。
「えっと、でも……あ、ほら!えっと、えっと、えっと。」
 震える声を押し留めて、頭の中で考えた言葉を吐きだして。
「えっと。……。」
 嫌な本音は押し留めて。歪む視界は抑えて。目尻に溜まる熱は引かせて。頭の中で体のあちこちに指示を出すけど、顔を俯かせて唇を噛みしめてギュッと辞表を握る事以外、出来なかった。身振り手振りを交えて軽く話す事を頭の中で考えても声は震えるし、しっかりと自分にこの決めつけた現実を見せつける為に出した辞表を差し出した腕は差し出した状態で固まったままで。私はボロッと出した嗚咽と共に涙をポロッと出すだけしか出来なかった。辞表を持つ手を握り締めると同時に、ビリッと何かが強く破られる音がした。まるで何かに引っかかって強く破られた時のような。鼻を噛みながらその音の正体について考えてたら、手が痛い。手を押して下げるような力をグンと肩に感じると同時に、ドンと強く叩き付けられた音がした。手が痛い。思わず、痛む両手へ顔を上げた。握り締めた端より上のない辞表を握り締める両手の手首を、何時も古びた本を持っている手が握り締めていた。意識を手首へやれば、ミシリと骨が軋む音がしたと同時に手首に鈍い痛みが走った。
「誰が、辞めていいって、言った。」
 掴まれた両方の手首が砕かれてしまいそうな程痛い。思わず手を払おうとしたら、青筋を浮き立たせた手に引かれてしまった。お腹が痛い。足を宙へ放り出されながら、デスクの上でどうにか起き上がろうとした。「誰が、辞めてもいいって?」憤怒に塗れた低い声が上から降りかかる。怖い。思わず仰向けになろうと捩った腰を元に戻した。耳元のすぐ近くで、言われたと思われるくらいに我慢できない程の怒りを押し殺していると思えるほどに怖い、低い声が耳を震わせた。鼓膜を震わす声に、思わず小さく声が出た。「いや」と小さく甲高い声が出ると、グッと手首を引っ張られると同時に胸やお腹がデスクに引きずられた。
「誰が辞めてもいいって言った。ななし。」
 滅多に名前を呼ばないこの人は、どうしてかこの時にだけ名前を呼ぶ。いつも、抑え切れない怒りや殺意を露わに出す時、何時も名前を呼ぶ。どうしてこうも怖い時にしか呼ばないの?「いや」と思わず身を捩った。けれども、般若よりももっと恐ろしい顔をしたアクタベさんの、怒った赤い顔を見るだけだった。
「誰が辞めてもいいって言ったか、と聞いているんだ。おい?もう三度目だぞ?三回言った事を聞き逃す程、お前は悪い耳を持ってはいないだろう?」
「いや、離して、やめて。」
「やめて、だぁ?聞き捨てならんな。だったら、どうしてあぁまでしてグリモアを読み尽くそうとした?どうして、俺が集めた魔導書を片っ端から読み尽くそうとした?……その答えを、俺はまだ聞いてねぇぞ。」
 ゾクリ、と鳥肌が背中に立った。背中に鋭い視線が刺されたけど、殺意がこもっていた。あぁ、これが殺意を送られる、と言う事なのか。と震える体で呑気そうに考えたけど、私はそれに対する答えを持っている。けど、それを鼻で嗤われるのが怖くて、今までの思っていた思いが全て無茶苦茶で、無碍にされそうで、無駄なものだったんだよ、と言われてしまいそうになるのが怖くて、言い出せなかった。グッと唇を噛みしめてると「チッ」と舌打ちが聞こえてきた。まるで、詰まらない玩具を目にして捨てるように。捨てられると言う恐怖に全身が鳥肌を立った。腕を強く引っ張られる。腕やお腹、背中やお尻、足がデスクに強く擦られる。何かがお腹や足に当たった。何かが落ちた。痛い。下へ引っ張られて、腕が痛い。お尻が痛い。背中が痛い。腰が痛い。右手を引っ張られて、アクタベさんと目の高さを一緒にされて、顎を流れるように掬われて。「体で、聞くか。」と尋ねるようにアクタベさんが呟くと同時に腰を撫でられる。あ。ゾワリとくる違う感覚に思わず平手打ちをした。あ、ちが。体は別の事を感じたけど、心はまだ準備できてなかった。その。赤く腫れた頬で叩かれた状態のまま、何も言わないアクタベさんに何も言えないし居た堪れなくなって、思わずその場を飛び出した。逃げ出した。
 夕焼け小焼けまた明日、まーたあーしーた。なんて言う、わらべ歌が頭の中に過った。そう言えば、怖いわらべ歌なんてあったよな。と思いながらブランコを扱ぐ。ギィギィと錆びた鎖が鳴る。そう言えばブランコって不思議だよな。小さい時はあんなに凄く揺れるものだから遊び場として活用してたのに、大きくなった今では、悲しい時とかに乗ったりする。と言うか、大人になってしまった今では、悲しい時に乗ったりする人が多いと思う。落ち込んだりした時とか。きっと、幼い頃は母親や親族といった自分を守ってくれる存在が揺りかごを揺らしてあやして寝かしつけてくれた記憶から、ブランコは自分を守ってくれて安心させてくれるものだと思って、遊んでいるんだろうな。それで大人となった今では、落ち込んだ自分を慰める為に、心の防衛本能がそうと働いているんだ。
 と考えても、冷静に自分を分析しても、喉に突っかかる嗚咽は治まらなかった。寧ろ悪化した。なんだこれ、逆効果じゃん。グスン、と鼻を鳴らした。あぁ、どうしよう。あのジャングルジムの中に隠れようかな……とりあえず、夜になればばれなさそうだし。柵だし、うん。大人になった今では……いけるか?
「オイ。」
「……。」
「オイ。」
 あ、うん。二度目の正直。グスンと鳴らした鼻の下を擦ってから、声のした方を振り向いた。あ、うん。どうしてここに?私はどうやって現実逃避とこの場からの逃避をしようかと考えた。
「どうしてオレが此処にいるとでも言いたそうな顔をしているが……阿呆か。手前ぇ、近すぎるんだよ。まだ遠くに行きたいのなら分かる。だが、歩いてすぐのそこにいるなんざ、ふざけてんのか手前ぇは。」
「え。」
 結構、二時間近く走ったような気がしたけど……意外と、近い所だったの?肩を下ろしながら「はぁ」と呆れたように溜息をつくアクタベさんが信じられなくて、辺りを見回す。あ。自分が来た方向を振り返ると、ちょっと小さいけど、アクタベさんの事務所が見えた。事務所のあるビルの一角を見ていたら、腕が掴まれると同時にブランコが揺れた。鎖がガシャンと揺れて、ブランコの椅子が少し曲がった。掴まれた腕の方を見ると、眉を顰めたアクタベさんが私を見下ろしていた。なんか少し、まだ怒っているようだった。……そう簡単と、治まる怒りでもなかったのらしい。
「さっきの質問の答えを、まだ聞いていないぞ。」
「……。」
「……オイ、無視か、オイ。……事務所の外だから手荒に出ないものだと思っていたら間違いだぞ。……早く答えろ。ぶち殺すぞ。」
「……。」
 今思えば、どうしてここまで怒っているのかと言う事が分からない。スマートにすり抜けられるものだと思っていたのに。アクタベさんがここまで怒ると言う事自体想定外だったのだから、まずはアクタベさんの怒りを収める事を先にしよう。そうだ、その方がいい。唾を飲み込んだ後、アクタベさんへ言った。
「えっと、その……。そこまで怒るものとは思わなくて、その……。あの……。ごめんなさい。もっと、軽く返事をするものかと思ってた。」
 申し訳なく自分のシミュレーションした予想を放すと、腕を強く引っ張られる。大きく音を立てて外れた鎖が指や腕を強打してきて痛い。けど、思った以上に怖い顔をしているアクタベさんの怒りの形相を見て、考えていた事は全てパァになった。
「そこまで、簡単にできるものだと思っていたのか?」
「あ、いや、その。」
「ふざけるなよ。」
「ほら、帰るぞ」とアクタベさんがドスの効きすぎた程低い声で言ったけど、簡単に頷く事が出来なかった。「簡単にできるものだと」と言われたら益々、私の迷いが深くなる前に決めた決意が固くなったからだ。腕を引っ張るアクタベさんの力に対抗して、ブランコの鎖を引っ張りながら言う。
「でも、私にはやれる事が……。」
「あ?」
「ひっ。」
 悪魔に向けられるもの以上に殺意と憎悪、怒りを込めて睨まれた事に悲鳴が小さく上がった。けれど、足を引きずられて引っ張られても、私は固くなった決意を揺るがす事は出来なかった。答えが見つからないから離れようとするのに、見つからなくても離れるなと言う事は、答えを見つけなきゃ戻る気持ちにはなれない。足もブランコの鎖も引きずるアクタベさんの力に対抗しながら私は言った。
「……事務所でやれる事は少ないし、お客様の相手もさせてくれないし……。」
「そりゃ、お前の接待が下手糞だからだ。」
「……でも。アザゼルさんやべーやんたち、さくまさんは、上手だよ、とか、ちゃんと敬語も使えてるし、って。言ってくれたよ?」
 息を飲む。恐る恐る見上げたら、今まで以上に怒った顔をするアクタベさんを見て、悲鳴を上げるよりも前に悲鳴すら飲み込んだ。ジッとアクタベさんは私を睨んだまま大きく舌打ちをした。腕を握り締められる。もう、腕は青褪めているだろう。痛みを通り越して、冷たい。
「悪魔の戯言に耳を貸すんじゃねぇよ、クソ女。部下の女が言ったお世辞にも耳を貸すなんざ、それほどまで寂しい人間だったのか?お前は。冗談を真に受けるのは前々からだったが、そこまで馬鹿なところまで真に受けるとは思わんかったぞ?」
「……寂しい、もん。」
「は?」
 マシンガントークのように、かと言っても社会的に追い込まれる弱点を世間的に暴露された人にニヤニヤと笑って喉の奥で笑いながら社会的に追い込まれる弱点を怒涛の責めで送った時のようとは違うけど、悪魔に向かって追い込む為の言葉を吐く為にツラツラと脅しの言葉を並べると言った時の量に近いけど、怒りを押し殺しながら冷静に言葉を並べようとしているアクタベさんが吐いた言葉に、どうしても取っ掛かりを覚えた。ちょうど自分を押し殺した扉の鍵穴を開ける針金にちょうどいいかのように刺しこんできた言葉に、思わず反応した。「は?」とアクタベさんが苛立たしいような腹を立てたような低くて怖い声を出したけど、私もアクタベさんに負けじとマシンガントークを放った。
「アクタベさん、私を部下だと一度も思った事もないし、まともに仕事させてくれないし、雑用だし。遠い買い物だなんて、さくまさんや悪魔どもに任せてるし。仕事だなんて同じだし、いつも事務所の留守番任されてるだけだし。」
「……お前が下手糞なだけだろ。」
「でも!ストーカーの撃退とか尾行とか!さくまさんと一緒にやったら、悪魔たちやさくまさんに、上手いと褒められたもん!」
 事実の否認を述べたら平手打ちがきた。痛い。思わず頬を抑えたけど、それと同時にギッとアクタベさんを力強く睨んだ。相手が怖かろうとも抑えきれなかった。今まで以上に、と言うか話を長引かせれば長引かせる程に段々と怒りと苛立ちを募らせているアクタベさんは、不愉快そうに目尻を顎を上げて私を見下したまま「チッ」と舌打ちをした。しっかりと聞こえる舌打ちを出した口の横で、青筋が頬にクッキリと浮かんでいた。そう言えば、先ほどまでなかった青筋が手や首にも浮かんでいるような気がする……。ダラダラと冷や汗が出たけど、それでも迷う気持ちに踏ん切りをつける為に言った。
「それ、に……自分の、得意な事からやればいい、って言ってたじゃない……。」
「……まぁ、そうだな。」
 数少ないアクタベさんが褒めてくれた所を思い出すと、ぶわっと鼻の奥が熱くなって、目の奥が熱くなってきた。褒めてくれたと言っても、慰めてくれたようなそれでいて褒めてくれたような……。それでも、数が少ない。正直言って、親指と人差し指で数えた千倍以上に厳しい言葉や酷い言葉、言動を投げられた身として、親指と人差し指で数えるものでは支えにならなかった。と言うか、簡単に折れた時が何十回かあった。両手の指でその特徴的な事が思い出されるくらいだから、もう精神的に駄目だと思って離れようとしたけど……ハハッ。恋の病ってこえーや。人を死に至らしめようとしてるよ、病人を。ホホッとかハハッ、と心の痛みを誤魔化すような、軽いふざけた笑いを口から出そうとしたけど、目と鼻の奥を熱くする原因で震えた喉の所為で、舌へ乾いた笑いを乗せる事が出来なかった。喉の奥で乾いた笑いを引っ込めた後、震える舌に言葉を乗せた。
「だから、それからやろうと……。」
「それとこれと関係あんの?」
「は?」
「それとこうとがどう関係あるのかって聞いてんだよ。オレの事が嫌いになったとでも言うのか。」
「は?いや、その。え?」
 いや、まず最初にその前に。どうしてそのようにアクタベさんの口から、脳から、そのように判断されてそのような言葉を吐かれたのかと言う緊急事態に頭を動かせるのが先決な訳でしてね、そうおめおめとアンタが非常事態と思わせる程の言葉を吐いた事が原因だから、手前ぇが怒ってもそうと怒るなよとしか毒を吐けない訳でして。グイッと冷たい腕を引っ張られると同時に膝を転ばされる。痛い。膝を地面につきながら、思わず地面についた手の平を見た。砂がついている。それを払おうと体を動かそうとした前よりもアクタベさんが膝を屈めて、首を片手で絞めるようにして顎を上げてきた。目を合わそうと膝を屈めた割には相変わらず、さっきと変わらない距離で、アクタベさんは瞳孔を開かせたまま睨んでいた。
「……嫌なのか。」
「えーっと……とりあえずね、ちょっと、待って。」
「嫌なのか。」
「だからちょっと待てっつーとんねん。人の話を聞かないな、君は。」
「手前ぇに言われたくない。」
「なんだと。」
「お前も、人の話を聞かない癖に。」
「……。」
 いやいや、そんな目をされたかって。悲しい目をされたかって。アンタ、色々と段階すっ飛ばしてますよ。段階すっ飛ばしてますのにそんな「嫌なのか」と悲しそうな目をされたって、こっちが混乱してしまいますってばよ、オイ。どう考えても今私がされている行為は嫌悪や苛立ち以外の何ものでもありませんわけですが、あぁ、そうですか。悪魔使いだからですか!私も貴方と同じ悪魔使い(しかし、悪魔使いにもそれぞれタイプとかあるんだろうなぁ。個人的な内訳とか)だから、世間一般のほぼ全ての人のパターンに嵌められる型にはまらないと言う訳ですね。ってふざけんな!それで考えた事もあったけど、悉く目の前の人物によってぶち壊されているだろうが自分のバカヤロウ!と、親指と人差し指から小指まで数えた事のある考えがまた頭の中をよぎったけど、気になる言葉を吐きだして、悲しそうな表情を見せるアクタベさんを前にしては、うやむやに出来ない考えだった。は?いや、その前に、ちょっと待って。唇を噛みしめる。喉の奥に込み上げる歓喜と一緒に、恐らく悪魔使いとして適正のあるろくでなしが、一緒に込みあがってくる(いや、適正って言ったかって、目の前の悪魔使いエキスパート(仮名)がそれは違うとてんでまんまと私を無残にする程斬り捨てましたけどね)。血を滴らせて唸りたい、と言う欲求を喉の奥まで押し込めて、アクタベさんを見る。いや、ちょ、その前、待って。色々と段階があるだろうよ。私の頭の中ではあのちょ、ま、いや。その段階に行かなくてもまだいいけど、ちょ、待って。あ、いや、待って。押し留めた悪魔使いの適正としてあるのであろうろくでなしが、今か今かと登場する機会を狙って牙を研いでいる。いや、ちょ、待って。確かに私は私自身にそう言い聞かせたけど。でも、好きなのはやっぱりアクタベさん自身な訳でして。もしそうでない場合には研いじゃう牙を突きだしちゃうと言う事で、オーケィ?オーケィ。
 自分に再度言い聞かせた後、ぎゅっと閉じた目を開けて、アクタベさんの口を見ようとしながら口を開いた。
「えっと、その……。」
「……。」
「その……。その前に、言葉で、言ってほしいな、って……。」
「……言葉、か。」
 言ってほしいな、って思って。ほしくて。と続けようとしたけど、余計に事態を悪化させるものであったから、言わなくてよかった、と思った。
「さっきから言っているだろう。どうして事務所を辞める?仕事に不満があると言うのなら、他に掃除する部屋をもう一つ、増やすぞ?」
「いや、そう言う事じゃなくて……。と言うか、掃除……。」
 やっぱり探偵の仕事じゃなくて掃除なのね……と悲しくなったら、思った以上に真剣な目を少しして本気で仕事の内容を言っていたアクタベさんを見てしまったものだから、思わず目を逸らす。なんだ、なんだ、これ。思わず、もしかしてもう一つのは……って期待に勘ぐってしまう。けど、頭がなくなりそうで怖いな。なんか、全てのものが爆破されてなくなってしまうくらい、今までのものが崩れてしまいそう。自分が自分でなくなるような、なんか性行為でイくとやらとは違う真っ白さに逃げようとしながら、どうにかして望む答えと言動を出そうとする。いや、気持ちは嬉しい。けどそれ以上に私の気持ちの準備が。腕に熱さが戻ると同時に、ぎゅっと腕を握られた。いや、ちょ、待って。家政婦としてかそれともプロポーズ的な、いやちょっと待て!何言ってんだ自分は!いやいやそれでも血を滴らせたいと唸る厨二病(笑)は抑えといてください。いやすみません、そんな馬鹿にして見下すような言動は撤回しますから、それを前言撤回させようと行動に移すのは抑えて!自分抑えて!と隙あらば目の前にある獲物を狙おうとする自分を抑える。物言わぬ肉塊はただの形をしたソーセージのようなものなのよ!と困惑する自分に言い聞かせながら、どうにかして混乱から逃げ出そうとした。息が詰まる。アクタベさんの答えを聞こうとする前に、自分が自分でなくなってしまわないかと言う事が不安だ。息が詰まって心臓がバクバク言う中でアクタベさんの反応を待つ。そうだ、逃げよう。と口からあらぬ中傷を吐きだそうとする前に唇が塞がれた。こんな、人気のない公園で?冷静な頭でポカン、と辺りの様子を考えてたら、「チュ」とリップ音が耳に響くと同時に離れた。胸を掻き毟りたくて土を掻き毟った手首を掴まれて、同時に両足も組み敷かれた。なんだ、これ。益々自分の陥った状況に分からなくて、もがいた。
「悪魔使いだから、まともに恋愛なぞ出来んと思っていた。」
 え、いや、ちょ、待ってよ。どう言う事?とりあえず胸を掻き毟らなきゃ話にならない。心臓は?私の心臓は?とりあえず確認させてよ、全身に激しく動悸を打つ音が響いて、心臓が全身を巡っているように聞こえて、私が私ではないし、私はどこ?掴まれた手足を動かすけど、ピクリと動かなかった。
「お前が、想像以上にまともじゃなかったな。安心はしたよ。」
「え、いや、ちょ、待って。」
 頭の中で色々な憶測と予想とシミュレーションが超スピードで駆け回るけど、私には対応できない。目で追えない。一体どれからどう対処をつけて手をつけて、シミュレーションの一部を繋ぎ合わせて適切なシミュレーションを組み立てればいいのかと言う事が出来ない。出来ない。あぁ、どうしよう。後は爪で掻き毟るだけしか出来ないではないか。でも空気を掻き毟ってどうしろとでも言うのだ?混乱する頭で目の前の人物を見れば、暗闇の中で、目尻を垂らしたような不気味な眼光が二つ、見えた。あ、そっか。もう日が落ちたのか。と考えると同時に、置かれた現状がリアルのものと告げるように、人の生温かい息が近くに吹く。
「言葉にしろ、と言ったな。もう遅い。俺はもう待てんぞ。」
「あ、え?いや、え?え?」
「遅すぎる。もう俺は待てんぞ。」
「え?え?え?」
 追いつけない。一体この人がどうなにを喋っているのかと言う事さえも、自分がなんで地面に寝転がっているのかと言う事も、手足を掴まれたまま、チーターに睨まれているかのように上を取られているのかと言う事さえも、自分はチーターに肉を食われるんじゃないのか、と言う事さえも。働いて考えられるだけの頭で分かった分だけを掻き集めて言葉にして纏めても、やっぱり分からなかった。困惑が喉を詰まらせる。けれども、困惑に思考や言葉、考えや不足となった憶測とゴミとなった予測が込められているお蔭で、喉以外のどこにも行かせる場所がなかった。アクタベさんが、私の顎から頬の輪郭を、舐めるように見る。首を食い破られるのではないのか、と思った。
「信じられないのなら、信じられない状況でするのが一番だと思わんか?」
「し、」
 んじられない状況で。と繰り返す前に頭を掴まれて唇を塞がれる。拒む事すらも許さないかのようにしっかりと頭を掴んでくるお蔭で、身動きも出来ない。籠る声が自分から出る。服を掴む。長いと思われる時間を離れて、またくっつく。離れると思ったのに、また長くくっつく。え、あ、きす?きす?魚のきす?あ、違う。またくっついたので考えた考えは棄却する。現状と頭の認識が違う。ちぐはぐする。体の状況に照らし合わせて考えれば、体が気持ちよくなってるから、きすで気持ちよくなってるって、え?
「ハッ」と嘲笑うように口を離したアクタベさんが、唾の垂れる私の顎を撫でた。
「まずは、気持ちいいと言う事から教え込むか。まともな恋愛、出来ないからな。」
「あ。」
 気持ちいい?気持ちいいってなんだ?冷たい死体を見るとき?他者が死んでいるから、お墓より前にその人が行きたいところに連れて行かせる事?気持ちいいってなに?気持ちいいってなに?ちゅ、と繰り返しきすを続けるアクタベさんの、くっついては離れる行為を受けながら考える。訳、分かんない。お墓に行く人にお墓に行くよりも前に行きたい所に行かせる事?土が、冷たい。「埋めるの?」と尋ねれば「ハッ」と嘲るような笑いをアクタベさんは返してくる。唾の垂れる顎のラインを撫でると同時にまたきすをしてきた。きす、きす。される行為の反復を見て、言葉の意味を覚える。またくっついて、唾が垂れる。舌は、歯を撫でてから入ってきた。まるでノックみたい。歯を撫でられて口が開いたのかと言う事を考えながら、絡む舌を受ける。ちゅ、とアクタベさんが離れる。今度はアクタベさんの口の方にも唾が垂れていたから、アクタベさんの真似をして拭った。なんか、アクタベさんが目尻を細めたような気がした。腰をアクタベさんの方へ引き寄せられる。ペタンと冷たい地面の上に座りながら、アクタベさんの言った事を反復した。アクタベさんの顔がまた近づいてくる。
「まともな恋愛……。綺麗なバラには、棘があるのに?」
「バラには食虫動物のような不気味さはないだろ。」
「馬鹿にしているの?」
「なんだ、自覚しているじゃねぇか。」
 ククッと喉の奥で笑いながら、また顔を近づける。鼻先と鼻先を擦り合わせながら会話をしていた中で出てきた言葉にムッとした。確かにそうと言われてムッとしている事は自覚している事に他ならないが、好きな人や他人から言われるとムッとする。ククッと喉の奥で嗤うアクタベさんは額と額を擦り合わせる。逃げられない距離で、愉快そうに目を細めるアクタベさんの歪んだ顔を見ながら、吐き出された言葉を聞いた。「ま、その事も含めて、新しい事でも教えてやるか。」とまるで先の予定を話すかのようにアクタベさんは吐き捨ててから、また口を合わせた。至近距離で見つめられないから、恥ずかしくて目を閉じる。あれ?返事は?言葉は?きすの反復とこれからの予定を話されただけで、当の返事はまだ聞いていない。合わさった唇の隙間から舌を伸ばされて絡められて、少し唇の離れた距離で舌を絡めあったり、休憩をはさむように短いキスが絶え間なく降る。くっついては離れて。あれ、返事?きすの反復で胸が詰まって、とてもじゃないけど息が出来ない。悪魔使いとしてのろくでなしもろくでなしを抑え込む理性もアクタベさんのきすで押し潰されながら、詰まる息のなかで考えた。



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