2.積み木崩し ( Wrath )


『第一の題名』。それは恐らく不幸で、それは恐らく影のように切り離す事の出来ない物の事だ。けれども、人の手で対処できるだけの物である。何故なら、そうでなければ「悪い事の後にはいい事が来るよ。」なんて言う格言は出来ないからだ。
『第二の題名』。「悪魔使いは不幸」になれない、とは私の希望的観測から出た言葉だ。正直に言えば、目にしたくないけど、「悪魔使いは不幸にしかならない」。これは「悪魔を使う者は幸せになれない。必ず、友人、家族、恋人、親しい誰かに降り掛かる」と言う言葉を文字ってそう出しただけだ。数学の……何だっけ?論証の手法に使う部品を思い出しながら私は羽ペンをくるくると動かした。
『第三の題名』。それは一体何だろうか。あぁ、そうだ。決してこうではない、と言う希望的観測の元に書こう。私が筆を動かそうと、黒い付け根をザラザラの紙へ当てた途端、ズドン、と机が大きく揺らいだ。樫の机が揺らいで森の囁きが聞こえる。振り向く間もなくて襟首を掴まれたと知った途端、頬に強く痛みが走る。樫の机で山積みになった本が開いてバラバラと楠の床へ落ちる瞬間を目にした。本が大量に降りしきる中、黒い人影が拳を振りかざしたまま私に近付いた。
囁きが聞こえる。私は耳に障る雑音で目を覚ました。雑音の正体を見る。古びた赤いラジオが一つ、銀色メッキの剥がれたアンテナを突き立てて雑音を流していた。私は砂嵐を思わせるノイズを流すラジオの電源を切ってから寝返りを打った。丸めた布団を足と腕に抱えて眠る。けれども、やる事思い出してぼんやりと目を開けた。寝返りを打つ。丸めた布団から名残り惜しく離れる。蒸し暑い。私はあの部屋から盗んで持ってきた大きいシャツの余った袖口を見ながら、ぼうっと寝起きの頭で事を把握した。
羽ペンを動かして終点を打てば、私の仕事は終わる。本に囲まれた生活も終わり。私は半ば夢心地で大きい革張りのアタッシュケースに身の周りのものと下着を入れた後、大量の本棚に囲まれた狭い部屋を出た。ただ、木漏れ日の差し込む窓からカーテンがヒラヒラと、泳いでいた。
「お前、以前オレの部屋からシャツを持って行っただろ。」
「え?!」
思わずどう言う事を言っているのかと言う事が分からなくて、肩がビクンとなる。え、もしかしてあの事だろうか?それともあの事だろうか?私の中で心当たりのある物が次々と、走馬灯のように大量に出て来る。けれども、アクタベさんは相変わらず、黙々と洗濯物を畳みながら言った。
「一枚足りない。」
「え、えーっと……落としたんじゃ、ないのかな?」
「何処に。」
「……下に?」
「そんな訳、ある筈がない。落ちたなら辺りで分かる筈だ。」
「うーん、そうかなぁ……。偶々通りかかった人が、拾ったり?」
「……道路の脇に捨てられてると思うが?と言うか、室内干しにしてるから有り得ないだろ。」
「あ、そっか。」
借りた部屋の一室を洗濯物専用にしている事を思い出しながら頷いた。そうだった、あの部屋には大量の紐が引かれてあったのだ。私は頑丈にカーテンレールと棚の間に結ばれた結び目を思い出しながら言った。
「じゃあ、何処に行ったんだろ。」
「それが分からんから聞いてるんだろ、阿呆が。何か心当たりがあるんじゃねぇの、お前。」
「さぁ。サッパリ。もしかしたら、他の洗濯物に交ってるかも。」
「……。」
「どうぞ。」
と肩を竦めたまま催促すれば、アクタベさんは応えるように腰を上げる。まぁ、私が無言で尋ねるアクタベさんのプレッシャーに応えただけの事なんだけど。私の洋服箪笥からクローゼットを漁るアクタベさんを背にしながら思う。一段一段ずつ開いて、じっくりと確認するような音が聞こえる。私はタオルを四つ折りに畳もうとした。
「ないぞ。」
「嘘。じゃぁ、どうしたの?」
「知らん。」
「と言うか、第一、どうしてわざわざそんな事が分かるの?」
「把握しているからだ。」
何か妙に几帳面な所がありそうで神経質だと思わせるアクタベさんの返答に、「それもそうか」と妙に納得させられる。私は四つ折りに畳んだタオルを横に置いた後、もう一個のタオルに手を伸ばした。要領の掴めないアクタベさんが眉を顰めたまま、洗濯物の山の前に座った。
「何故、ないんだ。」
「そんな事聞かれても。分からないなぁ。」
「お前、何か心当たりがあるんじゃないのか。」
「そんな事言われても。ってか、第一、なんで私にばかり被害が行くの?」
「お前ばかりがオレの私物に触るからだろおが。」
「……それだったら、他の人に、も触らせてるような素振り。」
「見付け次第、だが。」
句読点の間にグーを見せ付けたアクタベさんの行動を見ながら溜息を吐く。と言うか、どうして第一に、私がそんな事をしなくちゃいけないんだろう?私は完璧濡れ衣を着せられている状況に対してそう思った。アクタベさんは作ったグーを下ろして、淡々とシャツを畳む。「だから、お前以外がオレのシャツに触る事は、先ず無い。」何故そうも自信満々に言えるのか、と言う事が私は分からなかった。
「ねぇ。それじゃぁ、事務所ではどうだったの?ほら、さくまさん……。」
「あ?」
「洗濯機、あったでしょ。さくまさんに洗濯物任せてたとかないの?ほら、その時に……。」
「どうして従業員の話がそこで出る?お前、頭が可笑しいんじゃないのか。」
「……。」
確かに、論理的に無くなった一枚のシャツについて話を進めるならば「可笑しい」事であるが……。私は言葉を詰まらせながら考えた。けど、一度浮かんだ疑問に付した疑惑が容易く消えなかった。同じ女として、例えその気がなかろうと妙な気がなかろうとも、私にとっては大きな障壁の一つでもあるのだ。……バストもでかいし。私は論証的な思考で話を進める為、わざといじらしい自分を押し殺した。そう、私は子どもではないのだ。正しい論議を進める大人のように、私は話を進める。
「大人の都合よ。」
「じゃ、オレは大人だからその都合を聞ける訳だな。」
「それは……。」
「聞けるよな。」
至近距離で脅されたような気迫を受けながら、私はタオルを畳む。さり気無く、アクタベさんが私の畳んだタオルを畳み直した。
「……それだと、話が拗れるから、や。」
「ハッ。」
何故そこで鼻で笑うのかと言う事が分からない。アクタベさんが顎を反らして鼻で嘲笑った様子を見ながら思った。畳み直されたタオルの代わりにアクタベさんのシャツを叩く。後でアイロン掛けてあげよう。
「事務所にあるんじゃないの?」
「そんな事ある筈がない。何だって、こことあっちじゃ使い分けてんだ。んな訳がある筈ない。」
「ん?今、使い分ける……?」
「言っておくが、オレはお前みたいな失敗はしない。例え此処で着た奴を向こうで向こうのに着替えたとしても、必ず着替えた奴を此処に持って帰るから、数を間違える事なんて、絶対にありえない筈だ。」
「う、うーん……?」
とにかく指示語と代名詞が多かったから分かり難いけど、アクタベさんの気迫と言葉尻から、多分そんな事は絶対にない筈だ、と力説してるに……近い?私は首を傾げながら思った。「どうしてないんだ……」とアクタベさんはぼやきながら私の下着を畳む。あ、何で!さり気無く私の下着を畳もうとしたアクタベさんの手から取り返す。アクタベさんが少し嫌そうな目をして私を見る。「あぁ、そうだ。」と私は口を開いた。
「悪魔の臓物や返り血を……」
「それは無い。それも数に入れている。」
頭の中でカウントしている数字にか、それとも捨てた数字にか。私は二つの数字に訳が分からないまま、アクタベさんに話を促した。それでは、分からない。私は匙を投げだしそうになった。
「あ、も……許せないな、そりゃ。」
「おい、何を勝手に……。何を考えた。」
「ん、いや、そりゃ……。」
アクタベさんの私物を勝手に盗むストーカー野郎がいる事が許せない事だな、と思った訳ですよ。と話せば、アクタベさんは訝しそうな顔をして私を見た。アクタベさんの手が私のズボンを畳む。
「んなの、お前の方が狙われ易いじゃねぇか。」
「妙にそっち系の人に狙われるアクタベさんに言われたくない。」
「言うな。」
うわ、怖い。アクタベさんの顔が一気に般若宜しく不動大明のような恐ろしい顔になったのを見ながら思った。アクタベさんが畳んだ私のズボンを床へ置いた。うわぁ、何時の間にか、洗濯物の山がこんなになってる。
「多いなぁ。」
「溜まっていたからな。最近天気悪いし。」
「うん。これに交ってるんじゃない?」
「お前、オレの話をちゃんと聞いていたか。」
アクタベさんと山になった洗濯物の山を見ながら会話を交わす。
「この洗濯物の山を作る時に、気付いたんだ。」
それは端から数えてました、と言うような素振りだった。
プチッと糸が切れる。まるで分厚いゴムのフィルムが溶けて、それに覆われた複数のコードが引力に耐え切れず千切れて行く様子と似ていた。私は以前見た映画を思い出したけど、機械に囲まれた場面と違って、樫と楠に囲まれていた。私は大きな木の下で本を読んでいた。まるで不思議のアリスが目覚めた時みたいだと思ったけど、妙に私が置かれた場面は違うような気がした。私は羽ペンを持つ。そして開かれた本に修正を施したのだ。修正と、訳注、付加。それらを私は黒インクの詰まった瓶を草むらに置いて、膝を黒インクで汚しながらカピカピの古い紙へ文字を加えた。その文字は普段見慣れているものと違い、奇妙な形だった。けれどもどうしてか、私に郷愁を覚えさせた。頭の中に情報が流れ込み、それを書に記す。そうして私の仕事が完遂されるのだ。けれども手の甲を鋭く蹴られ、痛みに呻いて押さえれば、草を踏む音が聞こえる。倒された四角形の瓶から黒インクが川のように流れる。草と地面を黒へ汚すインクを眺めながら見上げれば、そこに見慣れたような眼光がただ二つだけ、あった。私が悲鳴を上げようとする前に、黒インクで塗りつぶされたような手が私の手首を掴んだ。
「羊皮紙がない。」
「え?」
「羊皮紙が足りない。少なくなっている。おい、お前。最近使ったか。」
「いや、全然……。寧ろ、社会貢献をしようと頑張っている所だけど……?」
「そうか。」
とアクタベさんは訝しそうな顔をしながら、少ない羊皮紙の束を睨んだ。確かに……少ない。私は段ボールの半分程まで残っていたと思われる羊皮紙が、何時の間にかその三分の一にまで減っている事に疑問を覚えた。「もしかしたら……泥棒かも。」と呟いたら「そんな事はない。」と強い口調でアクタベさんが断定して言った。
「普通の人間はこの価値が分からない。例え悪魔使いがこの事務所へ侵入しようとしたとしても、施錠させられた鍵を開けられる訳もない。」
「でも、鍵を開けるような悪魔だったら……。」
「オレの許しなしで事務所に潜り込もうとする悪魔がいるのか?」
「うーん……。」
中々、有り得ない話だとは思うけど、アクタベさんが言うと有り得そうだ。何か、オーラ的に。雰囲気的に。きっと、アクタベさんのオーラや雰囲気と言ったものがそこにある物に残っているんだろう。私はそう考えて、「うん、そうだね。」と頷いた。
金髪カールした子が私に振り向く。私は両手に本を抱えながら、何故かそれが羨ましいな、と思えた。どうしてだろう。どうしてなのか、分からない。私はその子の背中に白い羽があると気付いた。そして金髪、緑眼、背中に生えた白い羽を見て、私は「天使」を連想させられた。背筋が凍った途端、ポンと肩を叩かれる。そしてそこにある筈のない黒ずくめの人物を見て、私は凍った悲鳴を上げた。
両手に持った本を落とす。その人が「勿体ない」と示すような言葉を吐きながら拾い上げる。柔らかい雲に沈む。足掻く。足が縺れる。まるで柔らかい雲がスネアのように足に食い込むような痛みを受けながら、私はその場を離れようとする。それが近付いて私に耳打ちをした。咄嗟に振り向く。けれども額にある筈のない物を見て凍りつく。スネアから足が外れない。私は膝を何度も動かした。雲を蹴り上げたが、まるで感触がない煙だ。私はふわふわと浮かぶ雲の破片を蹴りながら綿菓子のように柔らかい雲を握り締めた。耳に障る笑い声が耳に付いた。
「おい……おい!」
「う……。」
「手前ぇ……蹴るな。」
肩を揺さぶられて起こされた一声がそれである。私は綿菓子に塗れる夢からアクタベさんを見て、そう思った。目を擦る。そう言えば、お腹が空いたような気がする。グゥ、とお腹が鳴った。
「お前……まだ朝には早いからな。真夜中だからな、今。」
「うー……。」
「……まぁ、あんだけ暴れりゃ、減るわな……。」
等とアクタベさんが呟いた後にそっと近付いたような気がした。んー……綿菓子。私は唇に触れた、柔らかくて固い感触を受けながらそう思った。グッとまるでフックショットで襟首を掴まれたように体が引き寄せられる。トン、と背中に何かが付く。肩を掴まれて耳元で吐かれる。それに私は顔を蒼褪めた後、真っ暗な中を歩いた。懺悔を行えと言う声が私を責める。悔恨を働けと悪魔が責める。私は真っ暗な中で頭を抱えた。自暴自棄に行う。自我が因果応報を働けと騒ぎ立てる。私は無言で頭を横に振った。ならばお前が今まで過ちを犯す為に犠牲にした者たちはどうなるのだ、と黒い人影が私の左肩を叩く。膝に置いた本が開いて落ちて、複数の文字がそこからパラパラと落ちて行った。私は体を抱えて悲鳴を上げたくなった。
「ななし。」
「ん、えー……?」

目を擦る。ダルマ落とし、えーっと……それは何だっけ?
アクタベさんが小さいハンマー片手に、グラグラと揺れる木の破片で出来た塔を眺めながら溜息を吐く。訂正、木片で作られた塔だ。丁度、横4cm縦12cmくらいの長方形に整えられた木片だ。私は目を擦る。アクタベさんは頬杖を突きながら言った。
「暇なら付き合わんくてもいいぞ。」
「いや、付き合うよ……。眠いだけだし。」
と目を擦ると、アクタベさんが不機嫌そうに眉を顰めた。私はチェリオだか何だかと言ったような玩具に手を伸ばして、木片を抜き取ろうとする。「あ。」飽きたらしいアクタベさんが手に持った小さなハンマーでチェリオの塔を崩した。あ、訂正。横何とかセンチと言う木片で作られた不安定な塔を崩した。あ、あーあー……。私が木片を抜こうとしたチェリオと言う塔は、今しがた積み木のように崩れ去ってしまった。頬杖をついたアクタベさんはクルクルと片手で器用にハンマーを回しながら「フン」と鼻を鳴らした。
「ねぇ、アクタベさん。そもそも、どうしてダルマ落としなんかあるの?」
「さぁな。気分転換にだ。」
「気分転換に、ねぇ……。」
と言って、横に置かれたマトリョーシカに目を向ける。恐らく、グリモアの収集する為に立ち寄った所で買ったのだろう。ロシアに行った事を何となく匂わせる、小さな人形が重なって詰められた人形を手に取る。相変わらず、可愛らしい顔をしている、頭巾を被った子だ。
「私も行きたかったなぁ……。」
「じゃ、行くか。今度情報を掴んだ時にでも。」
「うん。」
と言いながら、発祥地が今一思い出せないチェリオの塔だとか言う塔を組み立てる木片を手にした。積み木で作られた塔やお城を組み立てるかのように、塔を組み上げていた木片を重ねる、アクタベさんの手伝いをする。またきっと、さっきのように作って、木片を引き抜いて倒すつもりなのであろう。いや、倒さないように引き抜く、と言うのが本来の遊び方なんだけど……。私は四つの木片を縦に並べたり横に並べたりして重ねる様相を重ねながら、黙々とアクタベさんと一緒に塔を作った。テレビでは相変わらず愛憎を繰り返すオペラが流されている。私は役者の台詞に感化されて、思わず言った。
「バベルの塔……。」
「ソイツは煉瓦だ。」
そうか、とアクタベさんの言った事に納得しながら、私は罪の破片をまた積み上げた。隣で悔恨が、右では懺悔が笑いながら告げ口をする。けれども、私は「悔恨」の事を「ぶこん」と読み間違えているから、きゃつの言った事が何であるのか、と言う事は分からないのだ。
「魔法使いって、偉大ね。」
「火刑に処されて殺されてしまうがな。」
不愉快そうな顔をしたアクタベさんが、吐き捨てた。

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贖罪に提出。
究極の言い訳は、「アクタベさんが「憤怒」」、です。
罵って蹴って下さい、アクタベさん。



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