03. 貴婦人の泣きどころ



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蝉の音が外から騒がしく聞こえる。その中で、ビルの一角にある部屋は他の部屋とは違い、クーラーがガンガンに冷え込んでおり、外の熱気にうなされた者を一種の南国の――氷に閉ざされペンギンが出迎え歓迎してくれるような――楽園へと導かせる。だが、それは一瞬にして中へ入った時のだけの事。長らくその室内にいればやがて南極の寒さを身に襲われ、薄着の腕を両腕で担ぎこむ事となる。此処に、二名の人物がいる。それらの人物は、最初は心地よい寒さに身を投じていたが、一匹の悪魔がその隙に入り込む事で、その心地よい寒さは極寒の寒さへと変えられる。一人は電気代を憂慮し、一人は冷え込む体を憂慮する。その一匹の悪魔を探すものの、全く見付からない。やがて諦めた二人は仕方なく他の部屋へと行き、他の悪魔を召喚し始めた。二人が召喚したものを合わせて数は両手で足りる程となり、一匹の悪魔を探すにしても足り過ぎる程の量となった。その数は、それだけ二人が骨を折らされたと言う事を意味しているのか、それとも怒りを表しているのかと言う事は、二人がその一匹の悪魔を見付けられる時までしか分からない。ともかく、二人は合わせて両手の数で足りる程の悪魔を召喚した後にその一匹の悪魔を探すよう、探索を命じた。それぞれの悪魔からブーイングが出る。一人が構えた事により、悪魔達が恐怖に凍りつき、その探索隊へと駆りだされる事を心から喜んでいるように振る舞い始めた。ソファに座り寛ぐ二人を余所に、悪魔達はビルの中の思い当たる所を捜索する。一人が「他人様の迷惑にならないように」と口を出す。一人は「見付けたら縛ってでも持ってきて下さいね」と言った。一人は表情を変えず、一人は喜ばしいように笑顔を顔に張り付けて言った。目には怒りを宿し、両者ともその負担、苦労の割合に対する怒りの表示が違うだけだった。悪魔達はその二人の様子に恐れを感じながらも、必死に一匹の悪魔を探り出そうとした。
一人は仮眠室へと向かい、何時も誰かが使う膝掛けを手に、事務所へと戻った。――ななしは何時も思い人が仮眠に使うであろう薄い毛布を肩から膝裏へと巻き付けながら、蒸し暑い空気の中を歩いた。男女の情に疎いななしでさえも、自身の胸に巣食うその思いに気付いた。
対して一人は自分が冷えの対策にと持ってきたガーディガンを腕に通した。そうして自分が持ってきた備品を収めた所を開き、冷える足に掛ける膝掛けを取り出した。次いで台所へと向かう。――さくまは全くの誤解であるにも関わらず、何となくななしに避けられていると言う事は気付いていた。思えば、最初からだったように思える。最初は自分もあれも分け隔てなく距離を作っていたように思えるが、自分だけに対してだけ、その埋める距離の作業を置いて行かれたように感じる。さくまは隔てた距離が埋められた男の事を思い出しながら、言い尽せない胸に焦土を感じた。まるでその思いが自身の思考だけでなく全てを焼き尽くして煤焦げた痩せた土地を見せるくらいにだ。さくまは軽く項垂れる気持ちを感じながらも冷蔵庫から箱を取り出す。さくまはまだななしがせめてもの、せめてものと歩み寄ろうとする事に気付いていない。それはさくまの目には触れられず、さくまの目にとっては一歩も動いていないと思われる程微細で小さな動きだった。
ななしが仮眠室へ何か身に羽織るものを取りに行く際、冷蔵庫にケーキか何か入った箱があるから、勝手に食べるようにと言伝をやった。物言いは突き放すようにも感じられたが、それはななしが気を緩めず、他者に対して気遣いをやる時によく見られるものだった。自分の上司といる時とは違って他者に見せる気遣いをよく傍らで見せられたさくまは、ななしの物言いに眉尻を下げつつも、肯定を示す。物言いは突き放すようでも、奥には感謝や気遣いが隠されていると言う事を気付いていた。思えば、自分の上司とななしは全く正反対の人物であるかもしれない。自分の上司が優しく物を言う時には絶対に心の裏では何か良からぬ事を企んでいて、ななしが突き放すように他者の傷付きを関係無しに率直に急所をつく時には何かよからぬ事ではなく、他者がそれに気付けば何かしら事態は好転する、と踏んで厳しく言う時だ。さくまは苦笑を洩らす。とにかく、自分の上司とななしは全く別の、正反対の行動を取るのだ。アクタベは人の不幸、いや人の生み出した惨状の過程と結果について愉しそうに喉を鳴らして嗤う時があるが、ななしは寧ろ悔み、嘆く。本当に真反対なのだ。例えななしの同僚から自分の上司と同じ所があると言われても、絶対に心の中では悲しんでいる、泣いている、とさくまは踏んでいた。物事を論理的に考えたものではなく、ただ直感だった。女の勘でそうだと踏んでいた。
そうなのに、とさくまは唇を噛んだ後、噛んだ唇を離して、棚から紅茶の葉を取り出す。乾燥した紅茶の葉はティーパックの中に収められ、後はお湯を注ぎ入れて掴みと取って上下に揺らすだけとなっている。さくまはお湯を沸かしながらぼんやりと待つ。この紅茶の茶葉は自分が好きな類のものだった。
ななしが蒸し暑い空気の中から極寒の部屋へと戻り、ブルリと急激に変わった気温に身を震わせた。肩に掛けた薄い毛布を前へ寄せた。一向に成果が上がらず愚痴を零す悪魔の探索隊に対して一言二言と助言と指示をやってから、また探索へと行かせた。悪魔の探索隊の内一匹が、お前がやれと愚痴を吐く。ななしはギッと睨みで悪魔を物怖じさせた。悪魔が物怖じしてそそくさと外へ出る頃、さくまが紅茶の準備を終える姿を目に留める。ななしはある食品会社がよくCMとかで流す紅茶の商品のパッケージや商品名をぼやきながらケーキへと急いだ。ななしは今すぐ向かわなければ自分の午後の紅茶を誰か余所の者へ取られようと思ったからだ。さくまは、急いで元の場所に戻り、座ったななしに苦笑する。ななしは自分が座っていた場所に座りながら、足を宙に浮かせて、さくまが午後の紅茶を置くのを待った。さくまはその商品名と食品会社とは何の関連もない茶葉から沁み出た紅茶のカップをテーブルに置きながら皿を置いた。カチャリカチャリ、と食器の擦れ合う音がした。さくまが用意する食器に、ななしは現れるべく、待ち望んだケーキが現れる事を期待して胸を膨らませた。さくまは、まるで子供のように玩具を待ち焦がれるような顔をしたななしに苦笑の一つを零しながら自分も元の場所に座り、持ってきたケーキの箱を開いた。待ち切れず覗き込んだななしが「え」と絶望と落胆の混ざった顔で肩を落とす。さくまは、ポロポロと涙を零しそうになったななしに首を傾げながら箱の中を覗き込む。何も変わった事はない。ただ、そこに一種類の洋菓子しか存在しない事を除いては。ななしは落胆しながら、落胆の声で絶望を話した。

「ケーキが、ない…。」
「え、ケーキ?マカロンしか買ってないような気が…」
「違う。ちゃんと買っておいたもん。…二人分。」
「…」

アハハ、とさくまは軽い苦笑いを零した。それに自分が入っていればいいが。さくまはななしの言った「二人分」に軽い愚痴を心の中に零しながらそう思った。ななしは落胆しながら洋菓子の一つを取る。もう既に、ななしの待ち望んだケーキの姿はそこになかった。さくまは落胆するななしの肩を持ちながら、何とか元気づけようと口を開いた。ななしの目の縁には涙が溜まっていた。一々女々しいなぁ、面倒臭いなぁ、ガキっぽなぁ、とさくまは思いながら適当な慰めの言葉を吐いた。だがななしは軽くさくまを睨むだけで、プイッとさくまから顔を逸らしてしまった。だから面倒なんだよなぁ、この人のこう言う所。さくまは溜息を吐いた。自分の上司も何考えてるか分からなくて散々な目に遭わされる事もあったが、ななしも別の意味で散々な目に遭わされる。上司は自分の労力や気苦労を無駄なものや徒労へ終わらす事が多々あるが、ななしは調子を狂わせる。さくまは胸をムカムカとさせながら溜息を一つ吐いた。痛む頭を抑えるように頭痛のする箇所を額から押さえた。上司も頭を悩ませるが、ななしも頭を悩ませる。さくまは溜息を吐いた。ななしはジッとケーキの姿のない箱を睨んだ。きっとあの悪魔の仕業に違いない。極寒の寒さを与える空調を操るリモコンごと姿を消した一匹の悪魔を恨めしげに思いながらななしは口を開いた。さくまも口を開いた。

「ほ、ほら!もしかしたら美味しいかもしれませんし…!食べましょうよ!」
「…今、食べる所だったんだけど。」

ぐ、とさくまが喉を詰まらせる。同時に作った笑顔が上げた口の端から歪に歪んだ。ななしは食べる所を邪魔されて、思わず鬱陶しさを含んだ目でさくまを睨んだ。さくまは笑顔を作りつつも、歪に歪む口の端を上げさせた。どうしてこの人はこうもここまで面倒臭いんだ!とさくまは思いつつも必死に笑顔を作ろうとした。おべっかいを使うつもりでもないが、此処で機嫌を崩されると何か面倒な事が起きるような気がした。

「そ、そうですか…それは悪かったですね。」
「うん。」

ななしは率直に応えて頷く。ピキ、とさくまの上げた口の端が更に歪に歪み、左頬の筋肉が上へ痙攣したが。空咳を一つしたさくまによってそれを失くした事とした。ななしはピキリと頬を痙攣したさくまの表情を目に留めながらも、食べようとしたマカロンの手を一旦留めた。どうもここでこれをしては気が引けるような気がした。ななしは空気を読んで、さくまが座るのを待った。さくまが一旦座るのを見てから口を開いた。

「あ、さ、先に食べちゃうんですか…。」
「ん?駄目なの?」
「いや、いいですけど…。」

何処か諦めたようにさくまが目を逸らし、首を横に振る。ななしはさくまの様子に首を傾げるものの、やはり何処か傷付くような感じを受ける。ななしはモグモグと口を動かしながら、その出所を探ろうとした。さくまとは違う感性でものの傷付きを感じながら、ななしは口を動かす。さくまはななしの無意識の意志表示に傷付く事が多々ありながらも、息を一つ吐いて崩れた調子と整えようとした。ななしと同様にさくまの手が箱へと伸びる。ななしはモグモグとマカロンを食べるようなつもりをしながらも、さくまの手の行動を見ていた。さくまの整えられた長い爪がマカロンの生地に触れ、長い指がマカロンを掴む。アクタベの手と比べた時を思い出し、ななしは自分の手を見る。自分の指は短指ほど短くないものだと思うが、男の手だからだろうか、アクタベの方が大きく、自分の指はアクタベの指の第一関節に触れるか触れないかの長さまでしかない事を思い出す。同時にさくまの指の長さと自分の指の長さを見比べる。ハッキリとさくまの方が指が長かった。そして爪の形状も女性的に近かった。ななしは細長い指と五角形や角の丸まった五角形に近い形状の持つ爪の形を持つ自分の手を恨めしげに観た。同時に、自分が如何にどんなに子どもっぽい事かと言う事もさめざめと見せ付けられた。ななしは眉間を顰めて気付かれないように溜息を吐いた。さくまは口の中に広がるマカロンの味に気を取られていた。

「あ、美味しい。」
「…え、本当?」
「えぇ。美味しいですよ、本当に。一体何処で買ってきたんですか?」
「どっかの地下デパ。欲しかったのがあったから買った。ついでに。」
「へー、ななしさん、そう言った所苦手そうなのに。」
「うん。アクタベさんが仕事で、ってったから、仕方なく。付いていった。」

その言葉にさくまの行動が固まる。その言葉は聞きたくなかった。どんなに自分がななしが危ないし不安だからと仕事に付いて行こうかと言う事を尋ねると「駄目」「嫌」「危険」との一点張りだった。危険だからこそ慣れた自分が行った方がいいのに。一緒に行った方がいいのに。さくまは小さく自分の食べさしのマカロンに口を付けながら沁みる傷口を治そうとする。ガーゼを被せようとする。それはとても傷口によく沁み込む消毒液に浸らされたガーゼだった。よく、自分の誘いを断る癖に、何故アクタベの誘いにだけそうも応えるのか。自分の上司との対応の差を見せ付けられながら、さくまは小さくマカロンの破片を口に転がした。嫌に見せ付けるムカムカとした思いがさくまの胸中を絞め付け、喉から胃へマカロンが落ちる事を許されなかった。さくまがそのように傷付く所以を、ななしは分からない。ななしは情よりも先に事態の好転と解決を計る。例え傷付こうともその治癒能力を信じてななしは否応が無しに事実を突き付ける。情より事態の好転と解決を図ろうとする所がななしの人間として欠けている所であるだろうかもしれないし、それによって傷付く自身がいる事への不平等で釣り合わないぐらつくだけの天秤が自身の胸の内に存在する事が、自身として欠けている所であったかもしれない。ななしはさめざめと見せ付けられる事実のうち幾つかを思い出しながら、仕事への回顧を閉じた。アクタベはどんなに酷い事態に陥ろうとも姿勢を一切崩せず、事の事態を解決しようとした。その姿勢から恐らくは大丈夫だろうと思い、自身が話せる事を話せるななしだが、さくまに対してはどうも、そうは出来なかった。ななしは考え、胸を苦しませる思いに取りつかれる。さくまにそれをやられては、どうも離れられるような気がした。それならば、とななしは先程さくまが美味いと評したマカロンを大きく口を開いて入れた。一層の事、関わらなければいいのではないか。ななしの心は宙から沈んだまま、口を動かす。ななしの気分が泥の中へと落ちた。だが泥はまだ固かった。土の表面をまだ保っていた。落ち込みから回復したさくまは、とてもよく沁みる消毒液に浸ったガーゼを傷口にべったりと張り付けたまま、明る気に口を開いた。顔を上げたさくまにななしは視線をマカロンから上げた。

「そ、そうですか!それは大変だったですね!」
「うん、大変だった。特に……買い物をしている最中に連れてかれるのが。」
「あ、買い物ですか。」
「うん。折角だから、買い出しにでもね。」

だって…とななしが仕事に対しての助言ともなる言葉を吐きだす。こうこうこうすれば尾行であっても何となく気付かれないしばれて通り過ぎるにしても不自然もないでしょ?そうでしょ?と尋ねるななしに、さくまは上の空で応えるしかなかった。またもしても、また関係を見せ付けられた。さくまは眼鏡が曇るような気をしながらも、相槌を打った。だがさくまの考えはななしの思考や話ではなく、自身の内に渦巻く気持ちにであった。あれ、どうして?さくまはポロリと自分の目から涙が零れるような思いをした。その肩から膝へと回す薄い毛布の持ち主である人物の名前を自ずから吐いた所為であろうか、ななしは先程の他者に向ける視線や姿勢とは違い、柔らか気な表情を見せる。あぁ、とさくまは心の内で唸った。どうしてこうも違うのだ。さくまは頭を振りたい気持ちを抑えて、グッと握る拳で気を落ち着かせようとした。目頭が熱い。ななしは首を傾げながら尋ねる。

「あぁ、寒い?やっぱり……早く見付かった方がいいよね。…協力に行こうかな。」
「いいです、此処にいて下さい。」
「そう?でも、寒いんじゃ…。」
「大丈夫です、大丈夫です……あ、そうだ。ななしさん!この頃、仕事が溜まってるじゃないですか!冗談じゃありませんよ!あの量!お陰で私の仕事が滞っているんですからね!」
「とどこ…?あぁ!捗ってない、って事ですか!」
「あぁ、じゃありませんよ!本当!お陰で私の時給が危な気に…!」
「大丈夫じゃない。ほら、探偵の仕事とかで、さ!」
「あれは臨時収入でしかないですよ!あぁ…貯金を崩したくないと言うのに…!」
「あははー、さくまさんは本当小心者だなぁ。お金あるんだからドバーッと使えばいいのに!」
「そんな事言ったって!あ、それならななしさんだって同じじゃないですか!いちおー安定した収入があるものの…確かななしさん、職に就きたいとか言ってませんでしたっけ…?」
「うん、そう。でも伝統職人になろうとしても、何時も何処も手が空いてるから、取ってないからとか言うんだよね。」
「うわぁ…。」
「しかも毎回アクタベさんにニートって、偶に言われるし。」
「うわぁ……大変ですね。」
「うん、大変。しかも働く気があるのにだよ!?困っちゃうよ!私、本当あるのに…あるのに…!た、ただ…働く気のある職場が見付からないとか言うだけで……!」
「あー、もう。泣かないで下さいよ、泣かない、泣かない。ほら、元気出して?」
「泣いてないよ。」
「ならそんな紛らわしい事しないで下さい。」

さくまは一旦席を立ち、ななしの隣に座りながらななしの肩に手を掛け、頭を撫でる。薄い毛布越しにさくまの手がななしの肩に触れる。ななしは涙と鼻水のちょっと垂れた顔でさくまにそう返した。さくまは思わず率直に本音をそう返した。率直に出た本音にななしは安堵の息を吐きながらさくまに笑顔を見せる。さくまは先程まで強張っていたななしから安堵の息と同時に笑顔を見せられた事に固まる。あぁ、本当に、この人は。さくまは不意の変化に胸を鷲掴みされた思いを感じながらも溜息を吐く。これだからこそ、離れられたり嫌われたりすると、他の人と違って傷付く事が多々ある。本当になんなんだろうか、さくまは溜息を吐く。だがななしやアクタベ、自分の上司に話せばきっと脳の錯覚だろうと誤魔化されたり突き付けられたりするだけだろう。さくまは頭を抱えそうになりながら溜息を吐いた。友達に話して…あぁ、そうだ。性別の所だけ誤魔化して、伏せて言えば大丈夫か。さくまは腑に落ちない気持ちを抱えながらも話を続けた。ななしは味覚が美味と感じ始めたマカロンに手を伸ばしながら食事を進めていた。オヤツがななしの口の中に入る。

「って言うか…それだとななしさん、臨時収入が入ったらドバーッと使うようなのを受けるんですけど…。」
「うん?そうだよ?だって臨時収入入ってもどうせ泡銭は身に付かずじゃん?だから使える時に使おうと思った時だけ、その額を使うんだよ?後はもう、思うがままに。」
「ままに、ってもう…だからそんなに…あぁ、もう。」
「何だよ、もう。どうしたんだよー。大丈夫だよ、毎日アクタベさんに無駄金使うなって言われてるから!それに、いざとなったら売るし!」
「いやそれ、買った意味ないですよね?」
「うん。でも自分の身を粉にして働いた思いだから。そうしたのはちゃんと貯金に預けてるよ。」
「預けてるよ、ってもー…。そんなんだから不安になるんですよ。もっとしゃんとして下さい!しゃんと!」
「えー…!」
「えー、じゃありません!えー、じゃ!もう!悪銭身に付かずって言いますけど、そうでも貯金する時にしなきゃ酷い事になりますよ!」
「えー…。そんなに悪銭してないよー…………そんなに。」
「何ですか、その…少しはしてるよって言いた気なのは…。」
「んー…別にー…?だって悪銭身に付かずでも、使う時には使わなくちゃ!」
「あー…もう、だからですねぇ…!そうなんですから駄目なんですってば!ほら、ちゃんと後先の事を考えて…!」
「…」

ななしが一頻黙る。困った母親のように目を伏せて説教を垂れていたさくまは一向に反応の返さないななしに疑問を感じて、説教に集中して閉じた瞼を開ける。ななしの顔を見る。ななしは、あのななしが契約した悪魔と同じような目をして、顔は笑っているのに何処か笑っていないような顔をして、さくまを見ていた。あ、とさくまは体が固まると同時に気付く。偶に、ななしが認諾して仕事に付き合った時に、よく依頼人に悲劇の事実を突き付けると同じ顔をしていた。ななしがその意思を持っているとは限らない。ただ、その行う事実の流れから、物事の流れから全ての全体を把握し、そこから痛点を突くだけだった。それが無意識の内に行われるから恐ろしい。さくまは耳の塞ぎたくなるような言葉を耳に入れ、言葉を吐いてからななしが首を傾げる様子を見た。全く、順序が逆だ。自分の上司に対しては動作を見せてから口を開くと言うのに。さくまはななしのその笑顔を見せ付けられて後に吐かれた言葉に耳を塞ぎたくなった。

「だって、何時死ぬか分からないのに?」

ななしはその後、首を傾げてから本当に心の底から吐く軽口を叩いたが、ななしが首を傾げるよりも前に吐かれた言葉にさくまは捕らわれた。ななしの叩く軽口に応える事は出来ず、さくまは耳を塞ぎたい思いにとらわれる。どうしてこうも、この人はこんな残酷な思いを吐くのだ。何度目の前の人物が残酷な思いや場面を見せ付けられたか、自分の上司が自分と同じように残酷な言葉を吐かれ、残酷な思いに傷付けられたかと知らず、さくまは耳を塞ぐ。「…大丈夫?」とななしが自ら言った言葉の重要性に気付く事なく、心の底から気遣うような声が聞こえる。さくまは耳を塞ぎながら首を横に振った。どうしてこうも、この人はこんな酷い事を容易く言葉に出してしまうのだ。さくまは胸のつんざく思いをしながら、ギュッと目を瞑った。
悪魔の探索隊はまだ一匹の悪魔を見付けない。漸く、その極寒の地へ二人を置き去りにした悪魔の奪ったリモコンが手元に残るまで、それが続いた。


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