第四話


黒い煙がもくもくと空に上がる。
その様子を眺めながら、刀剣たちは動きを止めた。
刀を収める者、刀の血糊を拭っただけで持ったままの者、それぞれに戦いの終結を予感する。
寺院から出火した火災は、内裏に燃え移る前に何とか鎮火したようだ。
現在皇太子である白河天皇は無事、被害は内裏の外で収まった。
未来の歴史にも影響は確認されていない。


「…以上が、今回のあらましです」

語った揚羽は、そこで言葉を切った。
審神者として当然報告すべきことを終え、まだ齢五十にならない自らの主を見据えた。

日本国天皇、我が国の国主。

神に並ぶ力を持つ審神者を纏め、今の体制を整えたのは、数代前の天皇だ。
以来、審神者は天皇に仕え、その命にしか従わない。
審神者は天皇が誇示できる唯一の戦力だが、その力は略奪や侵略のためのものではない。
あくまで国と国益を守るためのものであることが、暗黙の了解とされている。
故に一人の審神者が所有できる刀剣の数には限りがあり、部隊の数にも限度がある。

「状況はわかった。では、どうする?」
「現状の戦力で時間遡行軍に対抗するのは難しい。早急な戦力確保が必要かと」
「よかろう。ならば、そなたにある刀剣の管理を任せよう」

そう言った天皇が口にした名前に、揚羽は目を見開いた。



三日月たちが無事に帰還し、平穏な日常に戻った本丸では、こんのすけたちが集まり額を付き合わせ何やら神妙な面持ちで話し合っていた。

「いやいや、でもまさか」
「いえいえ、私は聞いたのです。これは真のこと」
「主様が…そんな。私たちはどうなるのでしょう?」

声を潜めながらも真剣に話すこんのすけたちは、後ろから近づく不穏な気配に気づいていなかった。

「わっ!」

突然大きな声を掛けられて、こんのすけたちは文字通り飛び上がる。
恐る恐る振り返った視線の先、鶴丸が腹を抱えながらけらけらと笑っていた。

「あはは、驚いたか? お前たち、こんなところで何を真剣に話しているんだ?」
「…鶴丸さん…」

不味い奴に絡まれたと、こんのすけたちは表情をしかめるが、すでに後の祭りとはこのことだ。
逃げようにも鶴丸はこんのすけを捕まえて、問い掛ける。

「何の話だ? 俺にも教えてくれよ」
「な、何でもありません」
「そう、そうです! 油揚げの話です!!」

そうだそうだと一様に頷くこんのすけ一同。
だが鶴丸は納得せずに、捕まえたこんのすけの目を覗き込んだ。

「本当か? 主がどうとかと聞こえたが?」
「…!」

ぎくりと肩を震わせたこんのすけに、鶴丸は畳み掛けるように追及する。

「主が、何だって?」

こんのすけの全身から滝のような汗が滲む。
鶴丸の有無を言わさぬ気迫に圧倒されて、もはや誤魔化しは効かないことを悟ったこんのすけが、重々しく口を開いた。

「実は…」



三日月は縁側で爺むさくお茶を啜っていた。
任務の直後だからと主に暇を与えられ、不本意にも近侍を鯰尾藤四郎に譲り。
とくにやることもなく、三日月が庭を眺めながら温かな日差しに目を細めると。

「三日月!」

騒々しい足音と、聞き飽きたような声が廊下の向こうから迫ってくる。
ドタドタと響く音を聞き流しながら、三日月はお茶を口に含む。
あいつかな、まあ間違いなくそうだろう、そう思った通り現れた鶴丸に、三日月は今気づいたような視線を投げ掛けた。

「おや、」
「三日月、話がある」

気のない三日月に対し、鶴丸は切羽詰まったような顔でにじり寄る。

「さて、何の話だ?」
「お前は知っていたのか?」
「何をだ?」

話の内容に全く検討すらつかない三日月だったが、鶴丸の言葉に心臓が凍るような衝撃を覚えることになる。

「主の縁談だ。こんのすけたちが騒いでいたから、何かと思って聞き出した」
「縁談…?」

そんな話は知らない。
主の傍に居て、そんな話は一度もなかった。
思わず瞠目した三日月の様子を窺いながら、鶴丸は溜め息を落とす。

「その様子じゃあ、知らなかったみたいだな。どう思う?」

そう問う鶴丸に、三日月は返す言葉が見つからなかった。
主は妙齢の女性だ。
そうなる可能性はあったはずだ、だが想定すらしなかった。

揚羽が、誰かのものになるなんて。

喉が詰まり、呼吸が止まる。
怒りに似た感情が沸き起こり、胸中に不快な吐き気が広がっていくが、それを表情に出すような真似は三日月はしない。
それでもやっとのことで絞り出した声は、僅かに掠れていた。

「…そうか、縁談か。めでたいな」
「めでたい? それは本気で言ってるのか?」

怒りを露にしたのは鶴丸だ。
三日月の胸ぐらを掴み、怒声を上げる。

「俺を含め、皆主を慕ってる。中には主にそれ以上の感情を抱いている奴だっている。主の傍にいるのが三日月、お前だから…お前なら良いかって、俺は身を引いた。なのに…めでたい? 何処の馬の骨とも知らない奴に譲ってやるつもりかよ!?」

珍しく怒りをぶちまける鶴丸を、三日月は至極複雑な心境で眺めた。

「…わからぬ。それが主の望んだ幸せなら、我らに口を出す権利はあるまい」
「それは本心じゃないんだろう?」
「鶴丸、放せ」
「俺は知ってるぜ、お前が主をどう思ってるかなんて…」

そう口走った鶴丸に、三日月は拳を握る。
思わず振りかぶった拳は鶴丸の頬にヒットし、細い身体は床の上に転がった。

「…っ、オイ!」
「俺が冷静だと思うか?」

縁側から廊下に上がりながら、座り込んだままの鶴丸を前に、三日月は言った。
鶴丸は殴られた頬を押さえ、眼前にある整った顔を唖然として見上げる。

「俺は冷静なわけではない。今にも腸が煮え繰りそうなのを、何とか耐えているのだ」

それは誰に対しての怒りかはわからない。
そんな重要なことを隠していた主に対してか、喧しく喚き立てる鶴丸に対してか、それとも…

普段は穏やかで虫さえ殺さぬような三日月らしからぬ言葉に、鶴丸は瞠目した。

「…お前でも、そんな顔するんだな」
「お前は俺を何だと思っている?」

やや表情をしかめた三日月に苦笑して、鶴丸は頬を拭う。口内に血の味が広がるのは、どこか切れたのだろう。

「…ところで、今主は?」
「中央に報告に行っている。今回は初の部隊運用に加え、時間遡行軍の戦力は、最早我らの想定を上回っているからな」

そう言って、三日月は天を仰いだ。
じきに日が暮れる。
主に随従するべきであった、そう思った。
だが今は、主に会わずに済んで安心している。

きっと自分は主を問い詰めてしまう。
何故結婚など、詰まらない選択をするのかと。

想いだけなら誰にも負けぬ自信があるのに、三日月では主の願いを叶えてやれない。
そんな自分に、果たして想いを伝える権利があるのだろうか。

「今の俺は、主が奪われるのを指を咥えて見ているしかないのだ…」



滑らかな刀身に触れる。
力強い脈動のようなものを感じ、ゆっくり指の腹で刀の形状を確かめる。
刃渡り約六十六センチ。
幅広で重厚な刀身を特徴とする太刀は十世紀末に活躍した刀匠三池光世の作であり、前田家家宝、そして天下五剣の一つに数えられる…

「大典太光世」

その霊力の強さゆえに病魔すら退け、人々に憚られ、蔵に収められ崇め祀られた。
何か引き込まれるような強い何かを感じて、揚羽は目を閉じ息を吸い込んだ。

天皇に管理を任されたとはいえ、この刀剣を果たして自分が扱えるのだろうか、そんな思いから顕現を迷う。

厳重に布で覆い、本丸に持ち帰ったのが半刻前。
刀とただ睨み合いを続けても意味がないと悟り、揚羽は意を決めた。


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