第二話


三日月が近侍を務めるようになって、どれくらい経つか。
任務でどうしても傍にいられない時以外、常に主に付き従ってきた。

人の身体を得て不便に感じたことは、自らの意思に関係なく、肉体が勝手に反応してしまうことがある点だ。
人間は随意的に動いている部分と、独立して機能する部分に別れる。
いちいち考えなくても呼吸し、細胞は勝手に酸素を取り込み、血液は回る。手入れを怠れば劣化するのは同じだが、刀のそれとは大幅に違う。

この本丸で刀剣たちにとって不幸なのは、主が妙齢の女性であったことだ。
言わずもがな、刀剣たちは皆若い男。男が女を前に考えることなど、たかが知れている。
誰が主の寵愛を得るか、そう我先にと競う不毛な争いに一石を投じたのが、三日月宗近だった。

実力、名実ともに最良な三日月が主の傍にいれば、誰も文句を言えない。
主の寵愛を得ようと躍起になっていた面々も、いつしか鳴りを潜めたのだが…

「…明日、貴方に任務に行ってもらいたいの」

御簾の内から主の声が言う。
腕から抜かれたシャツがストンと床に落ち、衣擦れの音が続く。

「平安時代での任務よ。貴方が適任だと思う」

余所行きの洋装から審神者装束に着替えながら、主は言葉を続けた。
その姿は見えないが、御簾の内に無防備にも肌を晒した揚羽がいる。御簾を開けるのは、至極簡単。
だが若い刀剣ならいざ知らず、三日月はこの程度のことでは動揺しない。
自分を律することに長けているのは、やはり年月を経た故か。

「あいわかった」

そう目を伏せたまま返答し、三日月は背後の気配に意識を集中した。
男の身体は自分のことであるが故わかっても、女の身体は想像の域を出ない。主は異性交遊に関して一切制限はしないが、三日月は外で女を抱く気にはならなかった。
女が欲しい、その欲望は主が欲しいという想いと同義。
所詮、自分も他の刀剣たちと同じなのだろう。

「俺が留守の間、近侍はどうする?」
「鶴丸にしようと思ってる」
「そうか…」

鶴丸なら大丈夫か、そう三日月は思う。
あの男はふざけているように見えて、その実ちゃんと考えているし、欲や情に流されるような奴でもない。
衣擦れの音が止まり、袴姿の主が御簾を開けて現れる。
何と美しく、凛々しい姿か。
思わず見惚れそうになるのを耐え、三日月は微笑んだ。

「ならば俺は心置きなく、出陣しよう」



任務のため、三日月は骨喰藤四郎を伴い平安時代へと降り立った。

「今のところ、大きな動きはないようだ…」
「では、ひとまず待機とするか」

三日月は小高い丘から京の町並みを眺めながら、言った。
本丸に戻れるのは何日先になるだろうか。
今回の任務は西暦でいうと約千年。未来からの予想は当然振れ幅が大きく、三日月でさえこの場に何日滞在することになるかわからない。

「では宿を探そう」
「そうだな」

骨喰に促され、三日月は歩き出す。
主がいる西暦二千二百五年と同じ世界のはずなのに、この空の下をどんなに辿っても主はいない。
そう思えば、何故か取り残されたような孤独感に襲われる。

「三日月、」

不意に呼び掛けられて、三日月は骨喰を見た。

「どうした?」
「主が第一部隊の編成を考えていると聞いた。初陣は誰が選ばれるのだろう?」

そう聞いてきた骨喰に、そういえばそんな話もあったかと思い出す。
数と強さを増している時間遡行軍への対抗のため、戦力の増強はやむを得ないと主が言っていた。だが肝心の部隊編成に関しては聞いてさえいない。

「さあな。まだ考えているのだろう」
「けど、三日月は間違いなく選ばれるんだろうな。何しろ主の信頼が厚い…羨ましいな」
「まあ、主とはそこそこ長いからな」

三日月宗近は割と早い段階から顕現し、本丸での主戦力に数えられてきた。
ちなみに、鶴丸国永や和泉守兼定らも同じ時期に顕現された刀剣で、任務を多くこなしている。
おそらく彼らも選ばれるだろう、そう三日月は予想する。

「だが、俺は主の近侍を務めるくらいがちょうど良いのだがな」
「欲がないな。武勲を上げて主に誉められたいと思わないのか?」
「いやなに…」

欲だらけさ、そう三日月は胸中で呟きを落とす。
骨喰はまだ若い。
主に認められてこそと思うのだろう。
だが三日月は、最も人間臭い部分で主を求めている。それは、忠や誠も及ばぬ領域だ。

「俺は、長く生き過ぎたのかもしれん」
「三日月?」

骨喰が不思議そうに三日月を見る。
だが三日月は多くを語ろうとはせず、代わりに微笑んだ。
その時、

「骨喰」

三日月はふと人の気配を感じ、低い声で呼び掛ける。骨喰も何かに気づいた様子で頷き、咄嗟に二人で草むらに身を隠した。
暫くすると、荷車を運ぶ数人の人間が道を通る。何を運んでいるのだろう、そんな疑問を覚えるも、すぐにわかった。
申し訳ない程度に懸けられた麻布の下、荷車の荷台から黒ずんだ人の腕や足が覗いていたのだ。

「あれは…!」
「おそらく、飢餓で死んだ町民の死体だろう」

驚きに目を見張った骨喰に対し、三日月は動じず分析する。

「この時代、都の治安は最悪だからな。飢餓による死者と疫病が蔓延し、死体を町に置いておけず、こうして山にでも捨てているのだろう」

平安末期、優雅な貴族の生活と平民の格差は広がる一方で、町には死体と鼠が溢れたと聞く。
物盗りや殺人が多発し、怨みを孕み怨霊が跋扈した。
町民は防犯のために武装し、これが武士の始まりとも言われる。

「今日のところの宿は、都から離れたところにしよう」
「ああ」

三日月たちの眼前で、死体を捨てた男たちがそそくさと道を戻っていく。
それから三日月たちは都の少し手前の山中に小さな旅籠を見つけ、待機することとした。
一度都に偵察に行った骨喰が戻った頃にはすっかり日も暮れ、辺りは不気味なほどの静寂に包まれていた。

「どうだった?」

そう聞いた三日月に、骨喰は床に腰を落ち着けながら、答えた。

「動きはない。都は静かなもので、日が暮れたら出歩く者は一人もいない。それに、町の荒廃は想像以上だ」
「戦や天災が多発した時期でもあるからな」
「…ああ」

都での予想以上の平民の生活水準の低さにショックでも受けたのだろうか。
項垂れた骨喰に、三日月はのんびりと笑う。

「まあ、茶でも飲まんか?」
「…貰う」

三日月から湯飲みを受け取って、骨喰は沸かしたばかりの温かいお茶を喉に流して、溜め息をついた。

「だが、これでは時間遡行軍が何時現れるかわからない。せめて敵の狙いがわかれば、その近くで待機出来るが…」
「ふむ、今は延久四年だな。朝廷では権利闘争が繰り広げられ、天皇がころころ変わった時期だ」
「となれば、時間遡行軍の狙いは朝廷への介入? 天皇を直接殺すことは考えにくいが…」
「わからんが。何らかの方法で影響を及ぼそうとすることは考えられるな。こんのすけ、近くに何か歴史上の事件はあるか?」

そう聞いた三日月に、今回随従しているこんのすけが首の鈴に触れた。

「お待ちください…関係あるかわかりませんが、二日後に白河天皇が即位する予定になっていますね」
「白河天皇か…」

白河天皇は延久四年、二十歳で即位し、譲位した後も上皇として院政を敷いた野心的な天皇だ。
三日月は僅かな間思案して、ふむ、と頷く。

「確かに、その可能性はあるな。近くで張るのも良いかもしれん」


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