第五話

「何でそう思うんですか? 貴方のせいだなんて、そんなわけ無いじゃないですか」
「…!?」

揚羽は思わず乾の顔に手を伸ばし、無理矢理自分の方を向かせて問い掛けた。
それはまるで、拗ねた小さな子供にするように。
そして事勿れ主義の自分としては信じられない事に、見た目恐ろしげな過剰拡張者に対し一喝した。

「乾さんは私を守ってくれた、それで良いじゃないですか!」

そう言った揚羽に気圧されたのか、乾は驚いたように硬直していたが、ややあって「ああ、」と頷いた。

「十三はネガティブだからな。この(ギャグみたいな)顔で」
「ふっ、あはは…」
「…鉄朗、てめぇ」

そう言った鉄朗につられ、揚羽は嗤う。
乾だけが反応に困ったように黙り込み、三人で事務所に辿り着いた頃には、メアリーが待ちくたびれたといった様子で出迎えた。

「お腹空いたっすよー。今晩はクリスが鍋作ってくれているから、早く食べましょう?」
「いや、俺は…」
「十三さん、クリスが壁の穴の補修の件について話したいって言ってたっすよー」
「…」

鍋と聞いて何故か喜ばない乾が、メアリーの言葉で更に項垂れた。
クリスとはクリスティーナの愛称で、此処の大家だと鉄朗が教えてくれる。
何かとトラブルの多い乾は大家に目を付けられており、今も壁の修繕費の目処が立たず、乾は大家を避けているらしい。
そこへ鍋を抱えた年配の女性…いや、女装した男性?が現れ、乾に詰め寄った。

「十三ちゃん? 後でたーっぷり話があるから。先に皆で楽しく、食事にしましょう?」
「…」

乾は観念したのか、黙って煙草に火を付けた。
ソファの前のテーブルにカセットコンロと鍋が置かれ、美味しそうな匂いが漂って来る。

「あの…私も、良いのでしょうか?」
「あ? 良いに決まってんだろうが」
「そうっすよ。ドクターの快気祝いなんすから」

こそりと聞いた揚羽に、乾とメアリーが言って、ソファに座る。
渋々といった様子でも食事に参加するという事は、乾は経口摂取が出来るのだろう。
まあ当然か。
煙草を摂取しているという事は、口腔から気道、肺に至る器官があるという事だ。
食道や胃があっても可笑しくは無く、乾を見ていると、拡張技術の底知れなさを感じる。

「はい、鉄朗ちゃん、こっちは十三ちゃんの分ね。餅巾着は一人二個までよ」

クリスティーナが甲斐甲斐しく各々の皿に鍋を取り分け、わいわいと団欒が始まる中、一人だけ迷惑そうな乾。
揚羽もその輪に混じりながら、温かい鍋の味を堪能する。

「そういえば、アナタお医者さんなんですって?」
「はい、揚羽と申します」
「良いわねー、お医者さんが近くに居るって。最近血圧が高くて心配なのよ。今度診てくれないかしらぁ?」

不意にクリスティーナに言われ、揚羽は箸を置いた。
診療所は休業中。
普通なら診療は断るところだが、乾の困った様子を見るに見兼ねて、揚羽は営業スマイル全開で微笑んだ。

「もちろん。私も乾さんにお世話になっている身なので、大家さんは特別に無料で、診察させて頂きますので」
「あらーっ、嬉しい!」

揚羽の意図をクリスティーナが察したかはわからないが、まさに手放しで喜んだクリスティーナが、ぐりんと顔を乾に向ける。

「ねぇ十三ちゃんっ、こういうしっかりしたお嬢さんをお嫁に貰わなきゃダメよ!」
「…っ、ぶっ!?」

背中を丸めてもそもそとがんもを齧っていた乾が、突如クリスティーナに放たれた変化球に吹き出した。

「と、突然何だ!?」
「十三ちゃんがいつまでも独り身で腑甲斐無いから言っているんじゃない。揚羽さんならしっかりしてるし、美人さんだし、良いんじゃないかしら?」
「ふざけんな、そういうのは他人がとやかく言う事じゃ…」
「それっすよ!」

不意に声を上げたメアリーに、クリスティーナに詰め寄られ困惑していた乾を始め、一同が視線を向ける。

「十三さんがヤクザの事務所に乗り込んで、『俺の女に手を出すな』って一言言えば良いんじゃないっすか?」
「…!!」

私って名案!そう言いたげなメアリーの言葉に、乾が頭から蒸気を立ち昇らせながら、口元に両手を当て焦っている。

「確かに、揚羽さんが十三の身内だとわからせる事が出来れば命を狙われる事は無くなるかもしれなし、誰も傷付かない方法かもしれないが…」

鉄朗が神妙な面持ちで考え込む。
そして、

「…言えるか、十三に?」
「「……」」

至極冷静な鉄朗の指摘に、発案者のメアリーとクリスティーナが乾を見た。

「何故!? 何で、普段のあのハードボイルド感は何処に行っちゃうんすか!!??」
「そうよ、十三ちゃんっ、その歳で童〇とか、全然流行らないからっ!!!」
「どっ…」

何だか放送禁止用語が聞こえた気がする。
この現状を見るに、酷く無謀な作戦に思えるが、意外にもこの作戦は採用される事になる。


**

「良いっすか、リピートアフタミー、『俺の女に手を出すな』」
「お、おれの女に手を出すな…」
「おどおどしないっ! もう一度!!」
「俺の女に…手をだっふん…」
「噛まない!」

前途多難。

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