第三話

診療所の奥に、揚羽の居住スペースがある。
がらんと静まり返った待合室を横切りながら、振り返ると乾が困ったように入口で立ち尽くしていた。

「どうされました?」
「…いや、俺には馴染みの無い場所だと思ってよ」

乾の身体の事はわからないが、見たところによると全身のほぼ全てのパーツが取替えの効く機械なのだろう。
恐らく交換出来ないのは、生身の脳だけといったところか。
しかし、記憶に関してはバックアップ可能なメモリーだろうし、脳も果たして何処まで残っているのか怪しい。
拡張手術を希望する患者の境遇は様々だ。
乾が一体どんな理由で今の身体になったのか揚羽には知る由もないし、敢えてそれを聞くべきでないのもわかっている。

「どうぞ、コーヒーで良ければお出しします」
「ああ…」

乾の事務所でコーヒーを貰ったばかりだが、歩いて来るうちに身体が冷えてしまった。
診察室の奥の応接室に乾を通そうとして、不意に後ろから呼ばれたような気がした。
振り返るとこちらに手を伸ばす、切羽詰まったような顔。
実際には表情なんてわからないから、声や動作でそう判断しただけだけど。

「…っ!?」

乾の長い腕に掴み取られ、分厚い筋肉で鎧われた胸に押し付けられる。
一体何なのだと喉元まで出掛かった言葉は声にならなかった。
突如瞬いた閃光が、揚羽と乾を吹き飛ばしたからだった。


**

「痛た…、」

次に気付いた時、揚羽は舞い上がる粉塵の中に居た。
何が起こったのかわからなかった。
ぐわんぐわんと耳鳴りが絶え間なく響き、視界が気持ち悪い程に揺れる。
朦朧としていた意識が急浮上した時、揚羽は乾に抱えられている事に気付き、心臓を大きく跳ね上げた。

「い、乾さん…!?」
「無事か?」

そう聞かれ、自分の身に何かがあった事を理解する。
無事かそうでないかと聞かれれば、頭の芯が痺れているし視界が未だに揺れていて、もしかしたら脳震盪かもしれない。
頭を打ったのか打っていないのかは重大事項だが、ひとまず命に別状は無いと判断し揚羽は乾の問いに頷いた。
冷静になって周囲を見渡せば、診療所の壁に大きな穴が空き、待合室の椅子やら何やらが転がっている。
まるで此処が何処かもわからぬような変わりように動揺しながら、揚羽は呻いた。

「一体何が…」

呻きながら身体を起こそうとした時、乾に床に下ろされる。
そして背中を向けた彼のコートが大きく焦げて、人工皮膚と脊椎が露出している事に気付いた。
方や揚羽はあれだけの衝撃で飛ばされたのにも関わらず、外傷一つ無い。
今は脳内のアドレナリンが過剰分泌されているから痛みを感じないだけかもしれないが、深刻な身体の損傷は認めない。
つまり、乾に庇われたおかげで揚羽は無事に済んだのだろう。

「乾さん…っ、」
「下がってな…あんたは俺が守るからよ」

そう言った乾の怪我はどうなのか。
こちらも動けない程では無いようだが、いくら全身機械とはいえ、爆風の衝撃をまともに喰らった彼のダメージが如何程かはわからない。
わからないから、余計に不安だった。
本当に、平気なのだろうか?
自らが傷付く事を顧みず、何の躊躇いも無く他人の盾になろうとする事が。

(待って…)

行かないで、その言葉は声にならなかった。
過ぎ去りし日、記憶の中で遠ざかる背中が蘇る。
あの日も必死に「行かないで」、そう言った。
帰って来るなんて、嘘だった。
だから、

「…先生? おい、どうし…」

狼狽したような、乾の声を遠く聞いた。
やはり打ちどころが悪かったらしい。
揚羽の意識はそこで途切れ、次に目覚めた時は病院のベッドの上だった。
そして診療所の爆破に関しては、免状持ちの過剰拡張者である乾が関わっていた事でEMSの預かるところとなり、水面下でEMS局長オリビエと乾の間で以下のような会話が成された事は、当事者二人しか知らない。

「十三、通常の手続きとして貴方の依頼人について、少し調べさせて貰ったわ」

オリビエの言うところによれば、揚羽の父親は近所でも評判の腕の良い医師だった。
だが従軍医師として大戦に参加、作戦任務中に部隊は襲撃に遭い、遺体も見つからぬまま生死不明のまま死亡扱いになっている。
そして父親が唯一娘に遺したのが、あの診療所。

「…可愛そうに。あの場所を守り続ければ父親が帰って来ると思っているのかもしれないわね」
「…」

煙草の煙をくゆらせながら、乾は黙ってオリビエの話を聞いていた。
例の診療所は爆発で半壊。
やはり爆発物が使われた形跡があり、あの爆発が人為的に引き起こされた事が証明された。
揚羽本人の体調は数日休めば大丈夫らしいが、どの道当分は休業になるだろう。

「で、どうするの、十三?」

そう問いかけたオリビエに、乾は表情のわからぬ顔を俯けたまま、低く答えた。

「どうもこうも無え。俺は依頼を果たすだけだ」

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