第二話

強い紫煙の匂いが立ち上る。
用意されたコーヒーを口に含んで、揚羽は改めて真向かいに座る男の姿を眺めた。
特徴的な、銃の形の顔。
何処に目があるのか、いや、果たして人でいう目のような器官があるのかもわからない。
口はちゃんとあるようで、火を付けた煙草を咥えながら、彼…乾十三は揚羽を見返した。

「拡張者が珍しいか?」

不意に聞かれ、揚羽ははっとする。
普通の人間ならば、まじまじと観察される事を快くは思わないだろう。

「…すみません。私は医師をしておりまして、人の身体には慣れているのですが、拡張者となると、あまり…」
「そうか。…で、その拡張者とのいざこざ、詳しく話して貰おうか?」

乾に言われ、揚羽は一呼吸つく。
そして自らが見舞われているトラブルについて話し始めた。

「始まりは一月前でした。付近を取り仕切るというヤクザが突然診療所に現れて、土地を立ち退くように言って来たのです」

良くある話だが、ちょうど揚羽が診療所を構える土地一帯に高層ビルの建設の話が持ち上がっているという。
付近に住む住人らは不当な立ち退きを要求され、素直に従わない者はヤクザに脅しを掛けられる始末。
メアリーの診察の際に現れたのも、揚羽を脅しに来た遊龍会の舎弟だった。
揚羽がこの正体のわからぬ過剰拡張者に頼ろうと思ったのは、この男…乾十三ならば必ず力になってくれる、そうメアリーに言われたからだった。

「脅しはどんどん酷くなり、最近では命の危険を感じる程で。私は、父から引き継いだ診療所を守りたい。どうか、助けて頂けないでしょうか? 乾さん」

藁にも縋る思いで頭を下げた揚羽に、乾は吸っていた煙草を口から離し、灰皿に押し付ける。

「メアリーからくれぐれもって言われてるしな。あんたの依頼を引き受けよう。報酬は働きに応じて後払い、それで構わねぇか?」
「それで構いません。ありがとうございます」

乾の終始穏便な態度に少し驚きながらも、揚羽はほっとした。
正直、自分の依頼をこんなに簡単に引き受けて貰えるとは思っていなかった。
ヤクザ相手に単身で事を構えようなんて、普通は思わないからだ。
それを証拠に、最初相談をした警備局も知らぬ存ぜぬで、いざこざは当人同士でと、まともに取り合ってくれなかった。

「…あ、来てたんすね、ドクター」

不意に声がして、戸口を振り返るとメアリーと、買い物袋を下げた見知らぬ少年が居た。

「メアリー。今乾さんに話を聞いて貰っていたの」
「ああ、良かったっす」

メアリーは松葉杖を操り室内まで歩いて来ると、ソファに座る乾の隣に来て銃頭を見下ろした。

「それなら十三さん、今依頼立て込んで無いっすよね。暫くドクターの護衛、頼みますから」
「え、護衛って…」
「ドクター、こう見えて十三さんは凄く強いんっすよ!」
「でも…」

揚羽はちらりと、不気味な沈黙を守る乾の様子を窺った。
戦車を相手にする訳でもあるまいし、過剰拡張者の護衛なんて大袈裟ではないか。
それに、いくら何でも護衛なんて迷惑では?
そう思って乾の反応を見ていると、当の乾本人は何でも無いというような口調ですっぱり言う。

「俺は別に構わねぇ。先生、あんたが迷惑じゃ無いならな」
「迷惑、なんて…」

むしろ有難い。
帰り道で襲われても嫌だし、例え見掛け倒しだとしても乾のような過剰拡張者が傍に居れば、ヤクザもそう簡単には手出し出来ないだろう。
乾の事が怖くなくなった訳では無い。
しかし、揚羽はひとまず苦手意識を隅に置き、乾の申し出を受け入れる事にした。

「宜しくお願いします」
「ああ、メアリーの大切な先生だからな」
「そうっすよ、十三さん! ドクターに傷一つ付けたら、腕一本解体してバラしますからね?」
「…怖ぇ事言うんじゃねえよ」

サイドバックからドライバーを取り出したメアリーに、乾が声を引き攣らせる。
その様子を見ていた少年が、買い物袋を持って奥に消えた。
それから程なくして、揚羽は乾と一緒に事務所を出た。
乾が言うには、こうして一緒に歩くだけで大抵の雑魚は報復を恐れ揚羽に手を出そうなんて思わなくなるらしい。
だから却って二人で居るのを見られた方が良いのだと、再び煙草に火を付けながら乾が言った。
その意味が揚羽には良くわからなかった。
過剰拡張者だという以外に、乾十三という男は一体何者なのだろうか。

「着いたぜ」

乾に言われ顔を上げると、もう診療所の前だった。

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