第一話

舞い上がる粉塵。
目の前に立ちはだかる大きな背中。
表情のわからぬ見慣れぬ銃の形をした頭は、普通なら悲鳴を上げる所。
しかし、コンクリートを大きく抉った爆風に顧みず、飛び出した巨躯に守られた事実に揚羽は目を見張る。
最初揚羽を庇い抱え込んだ無機質な分厚い胸からは、苦い煙草の匂いが漂った。
そして、爆発。
振り返り揚羽に向けられた背中は服が大きく焦げて、拡張体の人工皮膚が露出していた。

「乾さん…っ、」
「下がってな…あんたは俺が守るからよ」

そう言った渋い低い声に、揚羽は彼に対する恐怖を忘れていた。


三十時間前…

「経過は良好ね。鎮痛剤と抗生剤は一日三回、ちゃんと飲んでいるかしら?」
「もちろんっすよ、ドクター」
「よろしい」

新たな肉芽が形成されつつある傷を消毒し、ガーゼを当てながら、揚羽は微笑んだ。
拡張技師であるメアリーは、幼子の頃から知っている揚羽の患者だ。
医師免許を取り父の診療所を引き継いだ時、その頃はまだ終戦間際。
衛生環境も最悪で、漂うのは絶え間ない血と腐った肉のにおい。
最近では拡張技術が進歩し、戦争で負った傷を機械で補う者も増えた。
おかげで生身の患者は減り、メアリーのような技師の仕事が増えたのだが…

「生身は機械のように取替えが効かないのよ。くれぐれも無茶だけはしないように」
「わかってますって、ドクター」

へらりと笑い、メアリーが立ち上がる。
包帯を巻いた足にサンダルを履き、松葉杖を手に取った。
その時、玄関先が騒がしくなる。
今は患者はメアリーのみで、来客の予定も無い。
それならばと思わず表情を顰めた揚羽の隣で、メアリーが首を傾げた。
突然診療所の中に踏み込んだ何者かが、どかどかと荒い足音と共に診察室に現れる。

「今は診察中よ!」

思わず声高に叫んだ揚羽に対し、急な来訪者は不躾にも室内を舐めるように見回すと、揚羽とメアリーを人形のような濁った双眸で睨めつけた。

「拡張者…!」

メアリーが小さな身体で揚羽を庇うように、左手を広げる。
診察室の天井に付くような巨体をした拡張者が揚羽の前に立ちはだかると、にたりと嗤う。

「一体何すか!? この診療所に何の用事が…っ」
「何だァ、お前は。俺が用があるのはそこの先生さ」

拡張者の視線が揚羽に向けられる。
恐ろしい、そう思う。
身体の各所に成された拡張により、男の身体は兵器と言っても過言では無い。
本気を出せば揚羽の生身の肉体など、簡単に捻り潰すだろう。
思わずぐっと唇を噛み締めた揚羽は、震えながらも強く声を張り上げた。

「此処は父の診療所よ。貴方たちには渡さない…!」


**

何故自分はこんなところに居るのだろと思う。
拡張者に苦しめられている自分が、拡張者の手を借りようなんて。

『紹介したい人がいるっすよ!』

メアリーの診察から二日経たずして、揚羽は彼女に言われるまま、寂れた路地を歩いていた。
見上げた先に「乾相談所2F」と簡単な看板だけがある、目立たないビル。
こんな場所に本当にメアリーが言う男の事務所があるのだろうか。
渡されたメモを頼りに階段を下りると、小さく「乾相談所」と書かれた飾りっ気の無いドアが現れた。
鍵は掛かっていないらしい。
ドアを開くと、こじんまりとした室内にはソファとテーブル、そして恐ろしい姿をした拡張者が居た。
頭部は大きな大砲…いや拳銃だ、あれは…、表情を窺えぬ無機質な顔を揚羽に向けて、「それ」は言った。

「よぉ、あんたか…メアリーの紹介は」

メアリーの名前が出た事で、揚羽の中の警戒心が僅かに消える。
しかし、恐怖が消えた訳では無かった。
目の前に居るのは、診療所に来た拡張者とは比にならない。
全身を拡張した、過剰拡張者。
これまで揚羽が出会った事の無い存在に、自然と足が震え、冷や汗が背中を伝う。

「…俺が怖いか」

不意にそう言った彼に、揚羽ははっとした。
仮にもメアリーの紹介で、これから頼ろうとしている相手に何て失礼な態度を取ったのか。

「…す、すみませんっ、私ったら…」
「良い、そういう反応は慣れてるさ。取り敢えず座りな。俺が怖いってんなら、必要以上に見なけりゃ良い」

何でも無い様子で言って、彼…乾十三は揚羽にソファを勧めた。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -