第六話

「…と、次はお前だな」

不意にふわりと身体が浮いて、抱え上げられる。
揚羽は慌てて十三の肩に掴まるが、すぐに近くのソファに下ろされた。

「十三、さん…?」
「お前の手当の番だろう?」

そう言って、十三が桶にお湯とタオルを用意する。
メアリーと鉄朗は気を利かせてか、奥の部屋に戻って行った。
静かな室内に、十三と二人きり。
揚羽の前に十三が大きな身体を丸めて膝まづき、破れて汚れたストッキングを、ごつごつとした不器用な指先で引き下ろす。
好きな男の前に素足を晒す、その羞恥心から揚羽は思わず俯くが、足に押し付けられた温かなタオルにはっとした。

「じ、自分で出来ますから…っ」
「俺がやりたいって言ったら、駄目か?」
「…っ、」

そんな聞き方は狡い。
嫌だなんて言えずに、揚羽は黙り込む。
それを了承と受け取った十三が、揚羽の足を手で支え、お湯で絞ったタオルで泥を落としていく。
その手つきが余りに優しく、十三の触れた所から熱くなる。

「…っ、ん、」
「どうした、痛いか?」
「…違、います…」

思わず吐息を漏らしてしまった揚羽は、十三が鈍感で良かったと、この時ばかりは安堵した。
大方泥汚れが落ちた後、膝に貼り付けられたガーゼを外されて、傷を確認される。
既に血は止まっていたが、擦過傷は深い。

「…傷にならねぇと良いがな」
「大袈裟です。こんなの…」

十三が膝に触れる、それさえ痛みよりも熱を伴った甘い痺れが走り、揚羽は息を詰める。
きっと十三に知られたら、軽蔑されてしまう。
単純に手当されているだけなのに、欲情しているなんて。

「危ない目に遭ってるのに、迎えに行ってやれなくて悪かった。俺と関わる事で危険な目に遭わせるかもと、気付いてはいたんだがな…」

揚羽の内心など知りもせず、十三が何故か自嘲するように言った。

『あんたに恨みはないけどよ。乾にはでかい顔されて、俺ら苛々してんだわ』
『ましてGSUなど人である事を捨てた狂人…それが今更人として生きようなど、烏滸がましい』

揚羽は、路地で襲って来た拡張者と、先程クローネンが言っていた台詞を思い出す。
十三には、何か自分が恨まれる心当たりがあるのだろう。
聞くならば今しか無いと、揚羽は口を開いた。

「『Gun Slave Unit』って、何ですか?」
「…!、…チッ、クローネンの野郎に聞いたのか」

唐突な揚羽の質問に、僅かに驚いた様子を見せた十三だったが、直ぐに何かを察して舌打ちを放った。
十三は生身の人間に比べ、聴覚が優れている。
クローネンとの会話を聞かれていても、何ら不思議は無い。

「…余計な事なら、すみません。でも、十三さんが誰とも付き合うつもりか無いと言った理由が、もしも私の知らない十三さんの過去にあるのなら…」

自分は格調処理もしていない生身の人間で、まして戦争の悲惨さや哀しみも良く知らなくて、十三の葛藤や苦渋もわからない。
しかし。

「私じゃ、駄目ですか…私では、貴方を支えられませんか?」


**

『話がある』

そう言って、揚羽を呼んだ。
人には無い強大な力には、必ず反作用が付き纏う。
十三は自分の過去やGSUが特別な理由、ある一部から恨まれ疎まれている理由を揚羽に話して、注意を促すつもりだった。
何かあれば俺が守るからと、だから傍に居て欲しい、そう言いたかった。
しかし、いざ揚羽を前にすると、決意が揺らいだ。

「私じゃ、駄目ですか…私では、貴方を支えられませんか?」

そう言った、真っ直ぐな濡れた双眸が余りに綺麗で、十三は怯んだ。
何も知らずに伸ばされた、その手を果たして掴んで良いのかと。

(そんなものは、一時的な気の迷いだ…)

クローネンも言っていた通り、揚羽は自分とは住む世界が違う。
彼女を自分の業に本当に巻き込んで良い筈は無い。

「…お前は、何も知らなくて良い」

戦争の醜い真実も、ベリューレンの悪行も、生身を捨て道具に成り下がった愚かな男の半生も…
汚い事は何も知らない綺麗な世で、幸せに生きてくれるなら。

「もう俺に関わるな。俺とお前は、特別な関係は何も無ぇ…」

大切だから。
何よりも、誰よりも、傷付いて欲しくないと思うから。

「…そう、ですか。余計な事を聞きましたね、すみません」

そう言った揚羽が、哀しげに微笑んだ。
十三の、当に無くした筈の心臓が、きりきりと痛んだ気がした。
本当はそんな顔をさせたかったわけでは無い。
笑っていて欲しいのだ。
たとえ、彼女の未来に自分が居なくとも…


「おはようございます」
「ああ、」

何も無かったような雰囲気で、別々にコーヒーを飲む十三と揚羽に、メアリーは驚いた。
時間が遅かったのもあり、揚羽は泊まったのだろう。
それは良い。
メアリーのメロドラマに侵された脳内では、てっきり二人が寝室を共にするであろうと思っていたのに、甘い空気を微塵も漂わせずに離れてマグカップを啜っているのは何なのか。
聞きたい、十三に今すぐ事の次第を聞きたい…
そう思いながら、メアリーが十三に視線を向けた時、揚羽が鞄を持ち上げた。

「お世話になりました。さようなら」

あたかも、これが最後であるかのように。
去って行く背中に違和感を覚えたのはメアリーだけであったのか、十三が振り返る事は決して無かった。

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