第二話

『俺は誰かと連れ合いになるつもりは無ぇよ』
『俺みたいな奴は、誰かに愛されて真っ当な幸せを掴むなんざ許されねぇのさ…』

その台詞が、ずっと脳裏に引っかかっている。
何か、見落としているような…

「揚羽ちゃん、」

不意に呼ばれて、揚羽ははっとした。
今は往診中だった。
いけない、そう思い目の前に意識を戻すと、クリスティーナが心配そうに揚羽を覗き込んでいる。

「何だか上の空ねぇ。どうしたの?」
「…すみません。ちょっと考え事を」
「そうなの? てっきり何かあったのかと思ったわ」

クリスティーナに言われ、揚羽は苦笑しながら聴診器を鞄に仕舞う。
代わりに束になった錠剤を取り出して、テーブルに置いた。

「いつもの血圧の薬です。三十日分ありますので、一日一回一錠、起き抜けを避けて内服してください」
「ありがとう。ほら、私って歳のせいか最近足腰が不安なのよね。往診に来てくれて、助かるわ」
「いえ…、お力になれれば幸いです」

そういえば、今日は十三は居るのだろうか。
ふと考えながら身支度を整えていると、クリスティーナが口を開く。

「揚羽ちゃん、今日は予定は? 十三ちゃんたち誘って、夕飯一緒にどうかしら?」
「今日ですか? 今日は特に何もありませんが…」

元々今日は午後から往診に宛てていた為、診療所は休診だし、他に往診の予定も無い。
しかし、揚羽はクリスティーナの誘いを断るつもりでいた。
何故なら…

「じゃあ、決まりね。十三ちゃん呼んでくるわ!」

揚羽が答える前に、クリスティーナが言った。
十三を呼んで来る?
ならば今、十三は今事務所にいるのか。
だがまだ時間は十六時だ。
夕飯には早くはないだろうか。
揚羽がそうこう考えているうちに、クリスティーナは階下へ駆けて行く。
足腰が不安と言っていたのは、何処の誰だったか。
そうして五分も経たず、十三が文句を垂れ流しながら現れる。

「一体何だって、前にも俺は団欒は苦手だと言っただろーが…て、揚羽?」
「…こんにちは、十三さん」

ヒラヒラと掌を宙で泳がせながら、揚羽は苦笑を返した後、思わず十三から視線を逸らした。
あれから色々考え過ぎて、昨日の今日でどんな顔をして十三に向き合えば良いかわからなかった。

「じゃあ、夕飯の買い出しは二人に任せるから」
「え、」

クリスティーナが言って、財布から取り出した数千円を十三に握らせた。

「任せるから、じゃねーよ。揚羽はまだ仕事があるだろうよ」
「いえ、仕事は大丈夫なんですけど、」
「二人で行って来なさいよ。十三ちゃんは荷物持ちね、良い?」
「荷物持ちは構わねぇがよ…」

そうしてクリスティーナに押し切られる形で、揚羽と十三は送り出された。
クリスティーナの家を出て、近くの商店街まで歩く途中、十三が煙草に火を付けながら、言う。

「ちっ、クリスの野郎、人の話を聞きゃしねぇ。…悪かったな、揚羽」
「いえ…、」

隣を歩きながら、もう随分嗅ぎなれた十三の愛煙の匂いに鼻腔を擽られる。
思考の片隅で、仕切りに何か、本能が警戒を呼び掛けるような感覚がぐるぐると渦巻いている。
この男に近付いてはいけない、惹かれてはいけない、そう思う度、とても胸が苦しくなる。

『俺は誰かと連れ合いになるつもりは無ぇよ』

その言葉を聞いた時、胸に走った痛みの正体に揚羽は気付いている。
しかしその感情を認めてしまえば、もう自分の中に押し止められなくなってしまう。
十三の事はまだ良く知らない。
何故他人を遠ざけるような事を言うのか、過去に何があって全身拡張したのか…
そして何を知ったとしても、それに向き合う覚悟が自分にあるのかも、わからない。

「…揚羽?」

不意に呼び掛けられる。
はっとして顔を上げると、十三が怪訝そうな様子で揚羽を見ていた。

「え、何か、言いました?」
「俺は何買うんだって聞いたんだが…」
「…すみません。クリスティーナさんにメモを貰っているので、えっと…」

言いながら、十三に突然二の腕を掴まれる。
思わず立ち止まった揚羽の目の前を、車が通り過ぎて行く。

「!」
「…上の空だな。大丈夫か、本当に?」

クリスティーナにも同じ事を言われた気がする。
だが、言えない…
実は十三の言葉が気になって、一晩掛けて戦時中の軍の拡張者の位置付けや、非人道的な作戦の噂等調べたのだが、世間に公表されている以上の事はわからなかったなんて。

「すみません、ちょっと寝不足で…、十三さん?」
「…」

不意に、十三が通りの向こうの何処かを見ている事に気付く。
何を見ているのだろう…
揚羽が怪訝に思いながら、十三の視線の方向を確かめようとした時、揚羽の身体が宙に浮いた。

「…!?」
「何でも無ぇよ。それよりか、」

何故か十三に抱き上げられている。
所謂、お姫様抱っこというやつだ。
背の高い十三に抱き上げられると想像以上に地面が遠く、揚羽は慌てて十三の肩にしがみついた。

「じ、十三さん!?」
「どうも今日のお前は危なっかしいからな。俺が抱いてりゃ目を離す事も無ぇし安全だろう?」
「…っ、そういう問題じゃ無いです、下ろしてくださいっ!」
「駄目だ。大人しくしてろ」
「…っっ、」

十三の低く艶めいた声が、耳朶の横で聞こえた。
それだけで抵抗心を毟り取られ、足腰が使い物にならなくされてしまいそう。

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