いまでも私を覚えていますか? 昼間でも暗い室内 北向きの格子から見える空は青い 記憶にある面影を思い出して、名前をつむごうとしても、それは息となって消えるだけ 懐かしくてとても大切な、記憶 私は元々、忍術学園と呼ばれる、山奥にひっそりと佇む学校の生徒だった それでも、私は忍者・・・正確に言えば、私はくの一だけれど・・・それになるために入学したわけではない 忍術学園は、忍者になるためではなく、一般教養のみを学ぶためとしても入学が許可されている それでも、忍者としての授業をこなすことには変わりないけれど 本格的な“忍者”としての授業は4年生から 行儀見習いは、3年生までというのは、忍たまもくのたまも同じ 私はそこに6年前に入学し、くのたまとして、3年間学園で学ぶ 予定だった 私の実家は土地を持つ、小さな力のある農民 いわゆる、地主というものだった 私はその次女で、貴族や武士といった縛りなく、地主であっても農民だった我が家は、特に婚約が、などとは言われなかった だからきっと、私は村に居る幼馴染の誰かと結婚するものと思っていたのだ でも、私は学園で覚えてしまった 人に恋をして、誰かを心から愛するということを 「あれっ、ここはどこだ?」 「神崎くん・・・また迷い込んだの?」 「あ、天雨!じゃあここはくのたまの敷地なんだな、ならば教室はあっちかー!」 砂埃を立てながら外を走る萌黄の制服 走る風に任せて靡くストレートの髪の毛 神崎左門 三年の方向音痴の一人で、決断力のある方向音痴といわれる、私の好きな、ひと 「ちょっとまって。そっちは私たちの長屋だからっ!」 「ならこっちか!」 「そっちは裏門に行くからっ!落ち着いてってば!」 忍たまの敷地内だけでなく、くのたまの敷地にも迷い込む彼を、保護者と言われる富松に引き渡しに行くのは、私の役目だった いつの間にかそうなっていた役目 けれど、それが私にとっては一番幸せだった ただ近くに居るだけで、声を聞けるだけで、私は確かに幸せだと思えた 彼はきっと忍者に成る身 最初から行儀見習いで、農民として生きなければならない私と、道は交わらない 途中で居なくなってしまうけれど、それでも記憶の片隅に残れば そんな事を思いながら過ごしていた、もうそろそろすれば桜が咲くだろう、3月の初め 私の家から、もどってくる様にと文が届いた それにより、私は皆よりも少しだけ早く、学園を後にすることになる いまでも私を覚えていますか? [*前] | [次#] ページ: |