もう一度だけ 名前を呼んで | ナノ

前夜








「っ蓮!」


慌てて駆け寄ると、うっすらと蓮は目を開けた
そして声なき声で、遥人と私の名前を呼ぶ
私はすっと息を吸って精神を落ち着かせると、すぐに言葉を紡ぐ


「十二の方角を司りし陰陽の神々よ、我が思いに応える神よ、我が呪の葉を捧げるものとし、我が前に在りし者の傷を癒したまえ」


ふっと風が吹き、蓮の表情が少し良くなる
私はほっと息をつくと、蓮の額に自分の額を当てる
そして意識を集中させる
とぷん、と水の中に落ちるような感覚がした
まあ、それはただの気のせいだということは知っているのだが




ふよふよと浮かぶ
視界はきょろきょろとせわしなく動き、いろんな場所を行ったりきたり
ずいぶんと楽しんでいたようで、わくわくとした、まるで探険をしているかのような感情が伝わってくる
その途中、ある部屋に近づいた
疑問を感じているようだ、どうやら違和感が在ったらしい
そっと中を覗き込むと、そこは昼間だというのに締め切られた、真っ暗な部屋
ぎろり、と対の目がこちらを見た

アレハ、キケンダ

すぐにきびすを返して、逃げるようにそこを後にする
けれど対の目はどんどんと近づいてくる
実体があるはずなのに、どうして誰も気がつかないというのだろうか
不思議で仕方が無い
でもそれは、廊下を歩く人々の後ろに黒い影が見えたことで、一気に解決した
どうやら、"コレ"が城の人間をすべて自分の配下にしているらしい、と





そこまで見て、私は蓮から額を離す
しっとりと汗をかいた手のひら
どうやら思っていたよりも緊張をしていたらしい


「・・・どうした、遥人」「面倒なことが確定になりそうだ」


声をかけてくれた藍に、私はため息をつきながらそう返した
だってそうだろう?
城の人間は全部憑かれている
丸ごと祓うだなんて芸当、平安のじい様くらいしか出来る人を、私は知らない
残念ながら私は、あの域になど足下も及ばない人間だろう


「とりあえず、蓮は安静にしておいてくれ」
『ごめんね、遥人・・・』


しゅんと耳を伏せて俯く蓮に、私は首を振って頭を撫でた


「今は治すことだけを考えておいてくれ、私は蓮が無理をして二度と会えない、なんてことになるほうがいやだ」


だから、今日は留守番だ、と告げれば、蓮はおとなしく頷いて目を閉じた
私はそれを確認すると、小さく呪をとなえ、小さく結界を作った
闇が濃くなったときに襲われないように
すぅすぅと小さく寝息を立てる蓮
私は静かに長屋を出た


既に日は暮れかけている
早めに終わらせるために、今日行くべきだろう


「荷は重くなるが・・・」
「俺はかまわない、遥人が行くというならばついていく」
「・・・ありがとう」


私は沈み行く太陽に闇の気配が濃くなるのを感じながら、遠くに見える城を見据えていた





前夜







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