もう一度だけ 名前を呼んで | ナノ

伍漆







応接間に案内すると、唐突に私はぞわりと悪寒が走った
何事だろうかと思う間もなく、私の視界は反転した
広がるのは天井
畳に倒されたのだと気がついた
そしてかけられた体重に、私は内心ため息をついた


「君のお母様にね、さっさと既成事実を作れと言われたんだよ」
「そんなことだろうと思いました」


私は慌てることなく、組み敷かれた今の状態を脱するため動こうとした
そこではたと気づく
・・・体に、力が入らない


「気づいたかい?忍だって聞いてたから、正直通用しないと思ってたんだけどね」
「っどういう・・・」
「体が一時的に麻痺するツボだよ」


忍も人間ってことだね、安心したよ、と笑う犬塚
首筋に舌を這わせられる感覚に、身を固くした


「大丈夫、なにも心配することはないよ。君は僕にすべて委ねればいい」
「っお断り、します」


くすくすと笑うこの男を殺してしまいたい衝動に駆られた
私はこんなに翻弄されるような性格だったか?
否、私は振り回されるより振り回す性格のはずだ
それが、こんな気持ち悪い男に負ける?
・・・考えただけで腹が立つ
けれど意思と体はいま別な場所にある・・・私にはどうしようも出来ないということなのか?
ちくりとした痛みを首に感じて、あぁ、これは鬱血痕がのこるなと思った

そのとき、廊下がざわつく気配がした
遠くの方から誰かを呼び止める声がする
・・・誰だろうか

そして思い切り開かれた襖
男の向こうに見えた姿は


「・・・っさぶ、ろ」
「誰だい全く、空気を読まない人だね。お楽しみの場所にはいるだなんて」
「お楽しみって、襲ってるようにしか見えないのに?」


冷たい眼
何時もの三郎はどこにもいない、忍の眼だった
殺気立つ三郎に、犬塚は身を固くした


「二葉は私のものだから、返して貰う」


そう言って、犬塚をどけて私に近づいた三郎
温かいその手が私に触れたとき、私は無性に泣きたくなった






だって理解してしまったのだ
私は三郎にがらんじめにされて、この腕から逃れられないことを
そして、私自身に逃れる意思すらないということを






それは蜘蛛の巣に引っかかった蝶にも似て










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