都条例についての追記的文章 2010/12/04 12:00 12月1日付け東京都青少年健全育成条例改正問題について 上記の記事の追記的文章になります 12月1日の記事で、私は反対のように書いていますが、児童ポルノ自体の規制に反対しているわけではありません ですが、現在の条例案は児童ポルノというよりは制作物への規制のほうが強いように感じられるのです(制作物は児童ポルノの範疇ではないそうです) 実際に現実で被害にあわれる方がいらっしゃるのは事実であり、そのような対策はきちんとして欲しいと思っています 制作物は実際に被害があるわけではありませんので、それを規制するというのは表現の自由という違憲になるのではないかとも思います これはまた別の話になるかもしれませんが、学校の授業で、私は防衛機制というものについて前に少し触れました 防衛機制(ぼうえいきせい)とは精神分析で用いられる用語であり、 欲求不満などによって適応が出来ない状態に陥った時に、 不安が動機となって行われる自我の再適応のメカニズムを指す。 広義においては自我と超自我が共同して本能的衝動をコントロールする 全ての操作を指す。(Wikipediaから引用) 防衛機制にはさまざまなものがありますが、私たちは犯罪を犯したい等という一般的に駄目だと言われることを制作物を作ることで昇華したり、それを読むことで置き換えたりして欲求を発散していると私は考えています (昇華:抑えられた欲求などをスポーツ・芸術などに向ける。非社会的な欲求を、社会に受け入れられる価値ある行動へと置き換えること) (置き換え:欲求を本来のものとは別の対象に置き換えることで充足すること) (どちらもWikipediaから引用) ならば、そういった欲求を発散できる制作物を規制するという事は危ういことではないでしょうか? 私は、目的とは反対に性的犯罪の増える原因になりかねないのではないかという懸念があります ドリーム小説、名前変換小説も一種の同じような効果があるとおもっています 名前が変換できる分、理想という欲求(だと私は思うのですが)を置き換えしやすいのだと考えています ちなみに私は昇華ですよね、こういう恋愛したいわーという理想を文章にするという 制作物から得るのは知識であり、その使い方は人によると私はおもいます 例えとして使ってもいいものか微妙なのですが・・・あえて包丁を例に挙げます 包丁は料理に使えば便利な道具ですが、犯罪に使えば凶器です(実際、犯罪で包丁が凶器ってありますよね) けれど、凶器になるからと、包丁を販売禁止にしましたか? もう6年前くらいになりますが、小学校でカッターで人を殺してしまった事件がありました 当時はとてもテレビで取り上げられたものですし、当時小学生だった私は、学校にカッターを持っていくと教員に預け無ければなりませんでした しかしそのようなことが起こっても、カッターが規制されることはありませんでしたよね つまり制作物は知識を得るための道具であり、その知識をどのように扱うかというのは人の倫理・道徳によるものではないかと私は思います まあ、結局何が言いたいのかっていうと 児童ポルノに対しての規制をかけることは必要ですし、その対策も既にあります 現実に犯罪として起こっていることであり、それにより被害を受ける方もいらっしゃるのですから しかしながら、制作物に関しては、二次元であり、被害を受ける人はいません 制作物から得られるのは知識だけです 実被害の無いものを、何故規制するのか、私は理解できません、ということですよね ※今回の"制作物"があらわすものは、都条例案で規制される漫画・アニメ・ゲームなどです comment (0) |