千影氏(4/4)


「一ノ瀬麻子ちゃんだね、話は店長から聞いてるよ。
俺は秋月千影、役職は渡し屋だ」
「一ノ瀬麻子です、修正屋らしいです、よろしくお願いします」
「…うん、礼儀正しくて宜しい。絵本の中は大変かもしれないけど頑張ってね」
「頑張ります」
「……麻子ちゃんは初めてだからこれから道具の説明するけど大丈夫かな?」
「大丈夫です」



いや、うん。
できれば何も言わないでほしい。
千影と名乗る目の前の渡し屋さんに想定外のタイミングでさらりと自己紹介をうけてしまった麻子は、自分のボキャブラリーと対応力の無さに悲観せざるを得なかった。
自分でもカタコトだってことはわかってるよ。
おうむ返しだってこともわかってるんだ。
だがしかし麻子は自己紹介が苦手なのである。
自分の意思を相手に主張しようとか、仲良くなるためになるべく喋ろうだとか、そういった精神をあいにく持ち合わせていない。
先の晴輝や薫との自己紹介じみたやりとりがうまくいったのは、実のところ奇跡に近い事例だったりする。
それは事前にちょっとしたアクシデントがあったり、かたや自己を紹介しないニューパターンの自己紹介であったりしたせいなのだが、まぁそれはおいといて。
そんな麻子の様子に気付いているのか、目の前の千影は面白そうに苦笑している。
まったく、困った子だ、
とでも言いたげな視線を向けながら。


「まぁ人には向き不向きというものがあるから深くは聞かないけど、ね、…重要な説明だからしっかり聞いておくれよ?」
「す、みません…、頑張ります…ッ!」


宜しい、と笑みを浮かべる千影にきりっと向き直って。
麻子は頑張って話を聞く体勢に入る。
ちょっとこうしないと性格上話を右から左に聞き流す癖があるせい、よけい気合いを入れなければと意気込む麻子。
それがおかしくてたまらないのか、横にいる晴輝やら向こうにいる薫やら、さらには無関心を決め込んでいた千歳までもががわずかに笑いを堪えているのがわかってしまった。
…別に、気にはしない、…が。



「ではでは、よォく聞いておくれよ麻子ちゃん。
今から話すことはとても重要なこと、そして今から渡すものはとても重要なものだ。聞き流しは御法度、なくしちゃうなんてことはあってはならないからね」


妙に威圧感のあるセリフ。
つられて神妙な顔つきで頷く麻子を見て、千影は満足そうに頷くと、ポケットからカードキーを取り出した。
それを晴輝、千歳、そして麻子の順で手渡していく。


「晴輝と千歳はわかるね。
麻子ちゃんよく聞いて、これは物語の世界と現実を行き来するためのパス、そして物語の中で自由に動き回るためのパスだ。無くしたら最後、帰ってこれなくなって物語に組み込まれるよ」
「物語に…、…あ、それってさっき、」
「そう、さっき俺が懐中時計の説明の時にも言ったね。パスをなくしたら物語から出れなくって時間切れなる、同じことだよ」


千影の言葉を受けて説明を続けるのは薫。
薫は装着していたヘッドセットを外すと、麻子の頭にぽんと手を置く。


「大丈夫、そうならないために俺がいるんだ。絶対、物語から出てこれないなんてことにはさせないよ」
「最悪再発行は可能だけど、時間がかかりすぎる。念のためこまめにカードキーを確認するようにね」



今度は千影に頭を撫でられて。
事の重大性に僅かながらも責任感を感じた麻子は、しっかり大きく頷いた。
その肩にガシッと手を置く人物。
振り向いた先にいたのは、上城晴輝その人で。


「ちゃんと連れてってやる、お前を置いて帰ってきたりもしねぇよ。安心しな」
薫や千影がしたそれよりも乱暴にわしわしっと頭を混ぜられて。
それでもニカッと象られる笑みに不安感は吹き飛んでいく。
このひとがいればだいじょうぶ、
何故だかそう思えた。



「準備はいいかい?
それじゃ、入り口を開くよ」


部屋中央の台座に戻った千影が開かれた本の上に手をかざす。
途端、風もないのにペラペラペラっと開いたページが本の最初、所謂冒頭部分。
ちらりと見えた紙に赤い頭巾が見えた。
ああ、なるほど。
あの本はこれから入る絵本なんだな。
イマイチ実感のわかない麻子は頭の片隅でそんなことを考えていた。
目の前には、いつの間に現れたのか、ゴシック調のでかい扉が佇んでいた。



「麻子、」


名前を呼ばれてハッとなる。
次いでぐいっ、引かれる腕にデジャヴを感じながら踏み出す足。
今、千歳さんが初めて名前呼んでくれた。
なんて、現実逃避を始める思考回路。
それでも未知の、真っ黒な空間に進める歩を、麻子の頭は止めることはしなかった。




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