拾われました
殴られた頬が痛い。じんじんと熱を持つそこを、冷たい夜風が慰めてくれる。真っ暗な道を、私は途方に暮れながら歩いていた。
(いやー…… 参ったなあ)
持ち物は財布とケータイ。以上。一体なにがどうしてこうなった。
予定より早く帰宅した私が悪いのか。一緒に住んでいる部屋に女を連れ込んだあいつが悪いのか。そもそもあいつと付き合った私が悪いのか。もう今となってはどうでもいいや。なによりも問題なのは、私の家がなくなったということである。
咄嗟に財布とケータイを引っ掴んで出てきたはいいものの、口座にはろくにお金が入っていない。しばらく泊めてくれるような友達も私にはいない。実家は新幹線で一時間、それから電車を乗り継いで一時間半のところにある。今から帰るのは不可能。そもそも大学中退を勝手に決めた時点で一年間無視されたというのに、まともに仕事もしないで男の所に転がり込んでいたなんて知られたら今度こそ勘当される。お父さんお母さんゴメンナサイ。
こまった。実にこまった。
今日はとりあえずネットカフェででも夜を越せばいい、しかしこれから先の生活は?えっ、もしかして私、晴れてネットカフェ難民デビュー?いやいやいや。
絶望的な気分になったものの、お腹が空いたのでコンビニに寄った。生き物はどんな時だって腹が減るのである。ああ私生きている。
温かいお茶とおでんを買った。心が寒いのでまずは腹の中から温めるとする。行くあてもないのでコンビニの外に座っておでんのフタを開けた。壁にもたれかかっている背中がひんやりと冷たい。大根うまい。これからどうするか考えるのはひとまず辞めて、今は目の前の大根やこんにゃくに全神経を捧げようと思う。
ピロピロピロ、と間の抜けた音と共に、明るい店内から一人の男が出てきた。こんにゃくを噛み砕きながら反射的にそっちを見てしまうと、ふと目が合う。よう金髪の青年、冬の夜中に女が地べたでおでん食ってる光景はどうですか。ツイッターに「コンビニで可哀想なブスを見たなう」とか呟けよ青年。
男から目を逸らしてまたおでんに集中しようとすると、男が近づいてくるのがわかった。うげ、絡まれる。めんどくさ。身を硬くすると「あのー。すいません」と話しかけられた。予想外に穏やかな口調だったので、思わず「はい?」と返事をしてしまう。しまった。
「あの、間違ってたら申し訳ないんスけど、もしかして、」
そうしてその男は私の名前を言った。びっくりすると同時に、頭の中にたくさんのクエスチョンマークが浮かんでくる。
「え、なんで名前。え、誰?」
「あー、やっぱそうだよな。俺、同じ学部の浜田。覚えてねェ?」
「ハマダ」
そういえばこんな奴いたようないなかったような喋ったことがあるようなないような…。
「最近大学来てないよな?単位大丈夫?」
「あー、私、学校辞めたんだよね」
「えっ、まじ?」
「まじデス」
「なんで…ってかなんでそんなほっぺた腫れてんの?」
「男に殴られました」
「ええ!?」
驚く浜田に、事の一部始終を簡潔に説明する。彼氏と同棲している部屋に帰ったら半裸の彼氏と全裸の知らない女がいました、その場で別れると言ったら何故か殴られました、彼女と同棲している部屋に浮気相手を連れ込むデリカシーのなさも女を躊躇なく殴るキチさも怖すぎるので逃げてきました、だからワタシイマホームレス。
笑ってくれどうぞ、と言ったけれど浜田は笑わなかった。そりゃそうか。笑えないよね笑えない。ああたまごも美味しいなー。
出汁の染みたたまごをもさもさと味わっていると、浜田がおもむろに口を開いた。
「あの、さ。…やっぱやめとく」
「なにそれ気になるじゃん」
「……変なふーにとんなよ?」
よかったらさ、うち来る?
その言葉に、思わず目をぱちくりとしてしまった。
「…変な風にしかとれない」
「だっよなあ!でも親切心でゆってんの」
「お邪魔します」
「決めるの早いな」
だって私には迷う暇も断る選択肢もなかった。たとえ浜田の言葉が「変な風」な意味だったとしてもいいと思った。とりあえず助かったと思った。それに、私は浜田のことをまったく知らないのだけど、なんとなく表情や口調がイイヒトっぽいから酷いことにはならないだろう。完全に勘なのだけど。
こうして私と浜田の生活が始まった。
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