からすが鳴いたら



「出ていこうと思う」


翌朝、シャワーを浴びてきたばかりの浜田に告げると、彼は金色の髪から雫をぽたぽたと垂らしたまま立ち尽くした。それから「そっかあ」とへらりと笑う。その笑顔はいつもと変わらないものだ。
起きたら、体調はだいぶ良くなっていた。まだ治った感じはしないものの、熱は下がっている。タイミングを見計らっている余裕はなかった。すぐにでもここを出るべきだと思った。ここを出たら、まずは実家に帰ろう。どんなに怒られるかわからないけれど。


「いままでありがと。ほんとに」


荷物は浜田がバイトに行っている間にまとめてあった。とは言っても、私の荷物なんてほぼまったくと言っていい程なかった。来るのも簡単なら出ていくのも簡単だなと笑った。私はなんて身軽なんだろう。なにも持ってないなあ。

小さな荷物を掴んで、さっさと玄関に向かう。出ていくと言ってすぐに行動しないと、迷いが出てしまうのが怖かった。もう後戻りは出来ない。浜田は何も言わずに後ろをついてくる。どうして何も言わないの、「そっかあ」じゃなくて他に何かないの、そんな事を問うのは作法だろうか。そんなわかりきったこと聞くまでもないけれど、こんな風に去って行くのはあまりにも冷たすぎるかな。なんて思ったけれど、それは恋愛をした男女にのみ必要な作法なんじゃないかと思い直した。だって私たちにはあまりにも不似合いだ。きっと途中で笑ってしまう。浜田だって笑うだろう。

ぺたんこのパンプスをひっかけて振り返る。もう見ることができないであろう彼の、穏やかな目を見つめた。途端にキスがしたくなる。背の高い浜田の首に腕をまわしてくちびるを押し付けると、浜田は静かにそれを受け止めた。くっつけるだけの、息の詰まるようなキス。


「まったく、猫みたいだったな」
「気まぐれにさせてくれたのは浜田だよ」
「‥いつでも戻って来ていいから」


私が二度と戻ってこないのを、浜田はきっとわかっている。でも優しすぎる彼はそうして私に逃げ道を作ってくれるのだ。浜田は優しい。でもその優しさで私は、きっともっと、駄目になる。浜田だって、きっと。私はもう充分すぎるほどその優しさを身体に溜め込んでいた。すっかりと、飽和していた。


「さよなら 浜田」


ドアを閉める直前、彼が泣いているように見えた。まさかと思った。でも閉めてしまったドアを開けることはもう、出来ない。浜田が本当に泣いていたのかどうか、確かめることも出来ない。

浜田はこれからどう生活していくのだろう。ひとり増えることと同じように、ひとり減ってもあまり変わらないのだろうか。今まで通りに、学校とバイトの行き来を淡々とこなすのだろう。たまにサボるんだろう、それから美味しいご飯を手際よく作って食べるのだろう。私がいた時よりも、友達と遊びに出掛けるのかな。あの女の子とはどうなるのだろう。付き合うのかな。二人であのラーメン屋に行くのかな。あの子にも優しく触れるのだろうか。

そこまで考えると涙が溢れた。もう駅に着いていた。俯くと、涙が雨みたいにアスファルトに落ちる。鮮明な朝の光は力強く、突っ立っていたらぐらりと倒れそうだった。


浜田、私はもっときみのことを好きになりたかったよ。心から好きになれたら、ずっと一緒にいられたと思う。でもなれなかった。好きになる前に逃げ出したくなってしまった。私は不真面目な人間なのに、狂った生活が怖くなった。浜田との生活はとても楽しくて、でもごっこ遊びみたいに偽物だった。どこにも辿り着かない、なにも生み出さない、偽物の生活。でもそんなごっこ遊びはすごく、楽しかったよ。浜田も純粋にそう思ってくれるといいな。

私の乗る電車がホームに到着した。手の甲で目を擦り、涙を拭う。視界は良好。そして私は一歩踏み出す。発車のベルが鳴った。おままごとはもうおしまい。よいこはおうちに帰りましょう。


−end−


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