花を持つ人


気がついたら、いつも遠くからあいつの姿を見ていた。

小学生の頃はよく放課後に遊んだ。クラスメイトに混じって、校庭中を走り回ったものだ。でも、どんくさいあいつは、オニごっこでは頻繁にオニになり、かくれんぼではすぐに見つかり、ドッジボールでは真っ先にアウトになっていた。正直うっとおしかった。半泣きな横顔が目の端に何度もチラついて、どうしても気になってしまうのだ。ぐっと噛み締めた唇が、痛々しく見えた。

あいつは兎が好きだった。オニごっこの途中、ふと振り返ると兎小屋の前でぼうっと突っ立っていることがあった。友達が大声で呼びかけると、はっと顔を上げて照れたように笑った。

みんなが面倒くさがる兎小屋の掃除を、あいつは誰よりも丁寧にしていた。まず、兎を柵に囲まれた広場に放し、その間に小屋の中をホウキで綺麗にする。兎が掘った穴の入り口を踏んでしまわないように、足元には気をつけなくてはいけない。それからエサを補充し、水を入れ換える。最後に、広場から小屋の中へ兎を戻すのだが、これが中々大変だった。活発な兎たちは自由気ままに動きまわるし、追いかけると驚いて思わぬ方向に逃げる。でもあいつはそれを難なくこなした。掃除が終わり、あいつが兎を呼びに行くと、兎は自ら小屋の方向に向かった。動こうとしない兎は、あいつがすっと捕まえて持ち上げた。あいつは、掃除当番の時が一番楽しそうな顔をしていた気がする。

そうして俺たちは、気がついたら中学生になっていた。クラスは遠く離れ、校内で会うことも少なくなった。勿論、放課後に一緒に遊ぶことなんて無くなった。そうしてどんどん距離が離れて行った。そのことに気づいたのと、俺があいつを好きだということに気づいたのは同時だった。でもその時にはもう、俺はあいつを遠くから見ることしか出来なくなっていた。

そして、幸か不幸か、俺たちは同じ高校に進学した。幼馴染と言えるくらいの年月は過ぎているのに、今ではもう、あいつを見かけても視線すら合わない。


今日、廊下であいつとすれ違ったとき、清潔な香りがふわりと鼻を掠めてイラっとした。高校生になってから、ちらほらと噂を聞くようになっていた。男子の間で、あいつは静かに人気があった。真っ直ぐに長い髪だとか、細い手足だとか、膨らんだ胸だとか、落ち着いた話し方だとかしゃんと伸びた背筋だとか、それらのことを話す奴らに出くわすといちいちムカついた。俺の知ってるあいつは、いつも半泣きな顔だ。どんくさくてよく転ぶし、足もすごく遅い。いつの間にかぽつんと兎小屋の前に立っている。それが、今ではいくつもの視線を浴びている。そして俺もその中の一人になっていた。それを痛感する度に、苛々した。

そんなことを考えていたら、ランニングをしていた足がつい母校へと向かった。馬鹿馬鹿しいと思う。そして、兎小屋の前にしゃがみ込む背中を見つけたのも、尚更馬鹿馬鹿しい話だ。


「…泉、くん?」


小さく呟かれた苗字に、頭がかあっと熱くなった。お前、下の名前で呼んでただろうか、俺のこと。振り返ったそいつは、悪気のない目で俺を見上げている。視線が合ったのがあまりにも久しぶりすぎて、一瞬、呼吸の仕方を忘れた。


「…なにしてんの」
「あっ、えっと、うさぎを、見に…」
「もう夜なんだけど」
「わ、私、家ちかいから」
(そういう問題じゃねー…)


校庭は真っ暗で、その中にポツリと灯る光。その下が兎小屋だ。しゃがみ込んだ背中は小さくて、頼りない。
はあ、と息を吐いて、隣に腰を下ろす。少し緊張してしまったのが情けない。ちらりと隣を窺うと、その視線は熱心に小屋の中に注がれていて、更に情けなくなった。


「いつも来てんの?」
「んー…たまに」
「夜に、あぶねーよ」
「あっ」


急にはっきりとした声を出すもんだから、思わずびくっとしてしまった。「な、なに」丸く見開かれた目がこっちを見ている。


「そ、そっか、そういうことか」
「は?」
「さっき泉くんが言ったこと」
「…理解すんの遅くねぇ?」


ああそうかこいつ、危機感ってもんがないのか。だからなんとなく無防備でスキだらけに見えるっていうか、だからイラっとすんだ、いつも。そんで、そのせいで男子たちに無遠慮に噂されたりして…


「あーあ!」
「うわっ、えっ、なに」
「なんでもねーよ」
「…つ、つまんなかったら付き合ってくれなくても…帰っていいんだよ?」
「んなわけにいくか」


こいつ、中身は小学生の頃から変わってない。と、気づいた。どんくさくて、なんかズレてて。そんなとこがうっとおしいのに、なんでか気になってしまう。そんで、いつもひとりで兎を見てて、そんな時の表情はなにより嬉しそうなんだ。
これからここをランニングコースに入れよう、なんて下心満載な思いつきをした瞬間、また清潔な香りがふわりと漂った。


「なんか、話すの久しぶりだね」


向けられた笑顔に、感動に似た衝動が胸を打った。何年ぶりかに交わった視線に、何年ぶりかに交わした会話、そして俺だけに向けられた笑顔。果てしなく遠くなってしまったと思っていた存在が、こんなにも目の前に、手の届く距離に、居るということ。


「あのさ、」


思わずぼうっと考え込んでしまった俺を、その声が起こした。はっとすると、様子を窺うような視線が控えめに向けられている。


「また、こうすけくんって呼んでも、いい?」


急激に熱を持つ頬を見られないように伏せて、夜風が冷ましてくれるのを待つ。本当に、情けない。離れた距離なんて、経過した時間なんて、なんの意味もないんだ。


「…当たり前」


俺の返事ににっこりと笑うその顔に、幼い彼女が重なって見えた。



(花を持つ人と花を待つ人)
title:シュプレヒコール


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