手のひらに誓い



「こどもができたの」


その一言で、孝介は口を開けたまま固まった。お箸からほうれん草が、ぼたぼたっと机に落ちる。ちょっと!慌ててふきんを取りにシンクに走った。今日のおひたしはお酢を入れてさっぱりとした味付けにした、自信作だというのに。


「待っ、」


孝介が慌てた様子で追いかけてくる。ご飯の最中なのにお行儀が悪い。「待てって」ふきんを濡らす手首をぐっと掴まれた。ざあざあと、蛇口から勢いよく流れ出る水が、シンクに当たって跳ねる。


「…こっち向いて」
「……嫌」


ざあざあ。ざあざあ。水がうるさい音をたてる。それを孝介がキュっと止めた。そして私の手からふきんを外し、濡れたままの手にそっと指を絡める。


「なあ」


その声の優しい響きに、一生懸命張っていた気持ちが、ふっと解ける。じわりと目の奥が熱くなって、ぐっと堪えた。
ほんとうは病院に行ったときからずっと怖かった。孝介が帰ってきてからはもっと怖かった。大丈夫だよ大したことないわって、そんな素振りを続けようって思っていた。孝介が何と言っても。なによりもいちばん大切なのは、これからも孝介と一緒にいるっていうことだから。
でもねやっぱり、孝介の口から言われたら怖い言葉があるの。孝介がどう思うのかすごく、怖くて。

絡めた指の力がぎゅうと強まって、思わずびくっと肩が揺れた。次の瞬間、孝介の胸元に顔を押し付けられる。ぶわっと孝介のにおいに包まれて、驚いた。そのまま後頭部をぎゅむぎゅむ押される。「ちょ、ちょっと」苦しくて抗議の声をあげると、孝介のいじわるな笑い声が降ってきた。いつもの。


「こーすけ、」
「もうちょっと広いとこ引っ越さないとな」
「え」
「もう一部屋要るだろ、さすがに」
「??どういう…」
「あ、その前に籍入れねーと」


その言葉に、次は私が固まる番だった。恐る恐る見上げると、まったくもっていつもの様子の、彼。


「え、してくんねーの?結婚」
「えっ、えええ…?」
「俺はずっとそのつもりだったんだけど」


そう言って、孝介は濡れたままの私の左手を持ち上げた。今となっては孝介の手も濡れてしまっていた。そんなのお構いなしといったふうに、私の手のひらに唇を一度押し当てる。その仕草に、ドキリと心臓が鳴った。孝介がこちらを見据える。


「俺と結婚して下さい」


はい、と答えた私の声は、喜びと安堵で湿っていた。「うあーっ、はっずい!」と孝介は笑って、もう一度私の身体を抱きしめる。


「ごめん、指輪なくて」


私の頭に顎をのせた孝介の、悔しがるような、ふてた声が落ちてきて笑う。そんなことまで気にしてくれるんだね。


「それと、不安にさせてごめんな」
「…うん」


さっきまでの不安なんてどこかに行ってしまったよ。これから先、何年もずっと、孝介と共にいられるのだから、もうなにも怖くないよ。あなたがいれば、それだけで。




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