泡葬
※悲恋。駄目な泉。
孝介に彼女ができた、と聞いたのは、その日の昼休みだった。
「え」と呟いたあとに目からポロンと零れ落ちた水滴を見て、それを何気なく言ったアミちゃんはすごく驚いていた。どうしたの、まさか……。そこで気づいた、あたしは孝介が好きだったんだ。
大丈夫だよ、なんでもない。
自分まで顔を歪めるアミちゃんに嘘をつく。ごめんね。アミちゃんはなにか言いたげに口を開いたあと、静かに閉じた。そしてゆっくりと息を吐き出すように、哀しい顔で笑った。
「じゃああたし、ちょっとトイレ行ってくるね」
そう言って、アミちゃんに背を向ける。うん、と返事を聞いてから足早に教室を出た。それからトイレで声を押し殺して泣いた。
孝介とは中一からの友達。多分ずっと好きだった。離れないで、行かないで。付き合っているわけでもないのにそんな言葉が頭の中で渦巻く。心が叫ぶ。孝介が誰かのものになるなんて、考えたこともなかった。それがどうしてなのか不思議だ。でもあたしはどこかで、孝介はずっとそばにいるって勝手に思い込んでいたのかもしれない。それくらい、孝介の存在は当たり前だった。
放課後、校門で孝介とばったり会った。どうしてこんな日に。勿論会いたくなんてなかったから、思わず体が強ばる。お前もいま帰り?と自転車をひいてにこやかに近づいてきた孝介は、あたしの顔を見てはっと立ち止まった。
「……お前…」
気づかれた。あたしは腫れぼったい目を擦った。あたしが泣いていたことに気づいた孝介は、その原因が自分だとは考えていないだろう、久しぶりに話そうぜと笑顔を見せる。なにか理由を付けて断るべきなのだと思いつつも、結局孝介のペースにのせられてしまうあたしは孝介と一緒に帰ることになった。
「………」
「………」
話をどう切り出すべきか迷っているらしい彼は、さっきから黙ってしまっている。カラカラと車輪の回る音に妙に意識がいく。そして馬鹿なあたしは、なあ、と急にかけられた声に驚いて、思わず「孝介さ!」と言葉を被せてしまった。
「…なに?」
「いや、あの、はは…。孝介、さ、彼女できたんだね」
どうしてそれを、と打ちのめされたような顔をする孝介。しまったと思うのもつかの間、あたしの口は心と裏腹の言葉を発し始めた。
だれ?いつから付き合ってるの?どっちから告白したの?……
嘘、そんなの知りたくない。でも自分の気持ちを悟られちゃだめだって、頭が一生懸命になってる。焦る口調に、好奇心よりも無理していることが伝わってしまったらどうしよう。
「1組の佐山…。1週間くらい前に告られた」
そっかあ、そうなんだ。佐山さんって子は知らないけど、孝介がオーケーするくらいだから相当可愛いんだろうなあ。「教えてくれないなんてひどいなー」と言えば、お前は好きな奴いないのかよ、と聞かれた。
「……え」
思わず詰まってしまった言葉に、しまったと思った。そんなあたしを見て「お前泣いてただろ。そいつのこと?」と言う孝介。勘がいいのか悪いのか。いないよと答え孝介を見れば、彼は少し目を大きくして立ち止まった。あれ、あたし…ちゃんと笑えてなかった…?
頬を伝う雫に焦った。
あたし、泣いてる。
「ごめん、ごめんね」止まらない謝罪の言葉。孝介の幸せを素直に祝えなくてごめんなさい。自分のことばっかり考えてて、嫌な奴でごめんなさい。
「彼女さんと仲良くね」
多分また、笑えてなかったと思う。孝介の隣をすり抜けようとしたとき、孝介があたしの腕を掴んだ。恐る恐る顔を上げ孝介を見れば、彼の顔は切なく歪んでいて。
「俺さ、俺…ほんとはお前が、」
振り切って逃げた。言葉の先がわかったから。彼の表情の意味に気づいたから。でもこんなのいけないと思った。孝介の前で泣いて、孝介の優しさに縋ったみたいで。あたしには孝介と佐山さんの仲を壊す資格なんてない。あたしの涙で優しい孝介はすべてを悟ったのだろう。でもそれは好きじゃない、同情だよ。
孝介と佐山さんが別れたと聞いたのは、それから二日後のことだった。あたしはひどく後悔した。しばらくしてあたしがご飯をまともに食べられるようになった頃、アミちゃんに孝介があたしを好きらしいと聞いた。そうなんだと返事をすれば、いいのと聞かれる。
「なにが?」
「好きなんでしょ。告白しないの?」
「…しないよ。ひとの幸せを壊してまで、好きなひとと一緒にいるなんて間違ってる」
「だから、泉くんは最初からずっと…!」
それは違うよアミちゃん。そう言ったあたしに、アミちゃんは分からず屋と涙を零した。ごめんね。そして孝介、信じられなくてごめん。臆病なあたしは素直にあなたに手を伸ばすことができませんでした。孝介のあたしへの気持ちは同情だと、そのせいで二人が別れたと、あたしの中ではそれが真実で重い鎖だから。仮に孝介があたしを好きだとしても、もう遅いんだよ。さよなら孝介。ありがとう。
どうしてあの子はこんなにも素直になれないんだろう。私なら好きって言っちゃうだろうな。あの子はあんなに苦しんでいるのに、どうして。分からず屋だと泣いてしまった私に、あの子は申し訳なさそうに眉を下げて無理やり淡く微笑んでいた。
私はあの子の気持ちに気づいてあげるべきだったと思う。失恋して初めて気持ちに気づいて、それでも大丈夫だとごまかすあの子に何もしてあげられなかった。友達なのに。だから泉くんの気持ちを知ったとき、絶対協力してあげなきゃって、そう思ったのに。
「…そっか…」
困ったように笑う泉くんに、告白してあげてと頼むのはおかしいって思った。でもなんとかしてあげたかった。そんな私に泉くんはありがと、と言う。
「…でも俺が告ったって変わんねえよ」
「どうして…!」
悲鳴に似た声が廊下に響いて、泉くんは更に苦笑した。俺さ、告ろうとしたんだ。でも逃げられた。泉くんがぽつりと落とした言葉は、冷たい階段を転がり落ちていく。
「あいつに俺が告白しても絶対に拒むよ。あいつに俺が構うのは、余計苦しめることになる」
「でも…!」
「もう遅いんだ」
お互いにもっと早く気持ちに気づいていれば、佐山を傷つけることにならなかった。あいつも俺も苦しまなかった。多分あいつもそう思ってる。
泉くんはそう言って、壁にもたれてずるずると座り込んだ。あーと声を吐き出して顔を覆い、自嘲するように笑う。
「ほんとに好きだったんだけどなあ」
あまりにも悲しすぎて、私は立ち尽くしたままなにも言えなかった。どうしてどうしてどうして。どうしてうまくいかなかったんだろう。お互いに好きなのに、どうして。震える泉くんの肩を見て、私はただぎゅうと拳を握り締めていた。
title:怪物にハグして
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