俺が初めて影山にキスをしたのは中学二年の冬だった。影山の唇は少しだけカサついてたのをよく憶えていて、あの時のキスの感触は多分これからも忘れないんだろうなあと思う。影山になぜキスをするのかと聞かれたら俺は好きだからと答えるのだろう。けれど俺は別に影山と付き合っているわけではない。ただ一方的にキスをしているだけなのだ。当初は俺のことを意識してくれればいいなあ程度ぐらいにしか思っていなかったのだが、それは思っていた以上に難しい。影山は俺が初めてキスをしたときも、その次もそのまた次も当たり前のように平然とそれを受け止めるのだ。少しはドキドキしたりしないのだろうかと驚くくらいに。二人きりになると俺が影山にキスをしているだけの関係。影山にとってキスなんてどうだっていいもので、バレーの方がもっと重大のものなのだろう。
「なぁ、俺にキスされたらお前驚く?」
「はぁ?驚くどころじゃねぇだろ」
「そうなんだよなぁ」
「いきなりどうしたんだ?」
「別になんでもない」
 ならいいけど、と金田一は不思議そうに言う。金田一の反応が本来正しいもので、影山は俺からのキスだって拒んだってよかったんだ。なのに一度だって拒むこともせず、だからと言ってなにか反応を示すわけでもない。そんな影山なのに、俺はそれでもキスをする。この関係は一体いつまで続くのだろう。影山が何か言えばすぐにでもこの状況は変わるのに。
 中学三年の夏、影山は孤独の王様に成り果てた。俺はそれを間近で傍観していて、そして関係者で協力者。影山の独裁政治は終わりを告げた。そうすればあっという間に引退で、俺たちの中にわだかまりを残して影山との関係は終わりを告げるはずだった。俺を除いて影山と関わっている奴はいないんだろう。多分。俺も関わるっていうほど関わっているわけではないけれど。影山と鉢合わせれば少しだけ会話をしたり、忘れ物を貸してやったりするぐらい。きっとあの王様は俺以外頼れる相手なんていないから仕方がなくなのだろうけど。そうして秋になった頃、俺は影山と珍しく二人きりで下校をしていた。今日は日直だったため日誌を書かなくてはならなかったからいつもより下校が遅れてしまったのだ。そしたら下駄箱で影山と鉢合わして成り行きで一緒に帰ることになった。元々俺も影山もおしゃべりな方ではないから無言が多い。それで俺も影山も困っているわけではないし、寧ろ無言の方が楽だから好ましいのだ。そうして人気がない路地に入った途端、俺はいつものように影山にキスをした。多分引退してから久しぶりにキスをしたのだ。なのに影山はいつも通り当たり前のようにキスを受け入れる。俺が黙ってそこに立ち止まっていると不思議そうな顔をする。不思議なのはこっちだって言いたいけれど、あのおバカにはどんな言葉を使ったって伝わらないのは目に見えていた。
「影山ってなんでいつも無反応なの?」
「なにがだ?」
「キス、俺がしても何も言わないじゃん」
「国見は他の奴にもキスしてるんだろ?」
「は?」
 何言ってんのこいつ。訳わかんないんだけど。一体いつどこで誰がそんなことを影山に吹き込んだのか。いや、誰もそんなことを吹き込んでなんていないのだろう。影山が勝手に想像した答えだ。だから俺は違うと言わなくてはならない。
「他の奴って、例えば誰?」
「金田一、とか?」
 なんで疑問形で返されてるんだろう。しかも俺のキスの相手が金田一?ふざけるな。怒りを必死に抑えて、言うべき言葉を選ぶ。
「影山だけだよ、キスしてるの」
 言っている意味が良く分からない。
 とでも言いたそうな顔をしていた。本音や思っていることが顔に書いてあるのは前と変わらない。こいつはあの日から何も変わっていない。そもそも出会った日から変わっていないのか。そう思って、本日二度目のキスをした。影山はやはり良く分からないというような表情を浮かべて俺は思わず笑ってしまう。他人の悪意にも鈍ければ好意にも鈍いのか、と。キスしてるのは影山だけだよと言っても俺の気持ちに気が付かない。いっそ言った方がいいのではというくらいに。いつまでもこの関係を続けられるほど時間が俺たちには残されていなかったから。きっと今日の放課後が最後のチャンスなのかもしれない。これからは受験勉強に俺は集中しなくてはならないし。影山は俺たちとは違う高校に行ってしまうことくらい容易にわかる。だから本当は今日会えたのだってたまたまで、そのたまたまがどうしてか運命に感じてしまえた。
「好きだから、影山にずっとキスしてたんだよ。他の奴になんて、金田一とかにはしてない。影山だけにキスしてたんだよ」
 初めての告白を男にするなんて中学に入る前の自分は思っていなかった。だって俺、ゲイでもホモでもないし。けれどこの告白を誰かに見られていたのなら、きっと俺はゲイだとかホモだとか色んなことを思われるのだと思うし言われるのだろう。でも俺は男か女かどっちが好きかと聞かれたら女と答えるし、付き合うなら女の方が好ましいし、人並みに性欲だって持ち合わせていたし、男なんて女より触り心地だって悪そうだし。そう考えると男より女と付き合った方がいいのだ。影山飛雄を除いて。なぜかはわからないけれど、いつからか影山が好きだと思うようになった。好きに理由なんていらないとかどっかの少女漫画には書いてあったかもしれないけれど、本当にそうなのかもしれないと感じてしまうくらいには、好きになった。他人にゲイだとかホモだとか言われても別にどうってことないくらいに、夢中になったと言えばきっと笑われるのだろう。
 影山の様子を伺ってみると少しだけ何かを考えている様子だった。その何かを俺はきっとどんなに悩んだって考えたってわからないままだ。予想するのはできるけど本当のことは知らないしわからない。知りたいと思ってるくせに、別に知らなくてもいいみたいな顔をしている自分に時々無性に腹が立つ。本音を隠すことをかっこいいとでも思っているのか、それとも本音を誰かに知られるのが嫌なのか。答えは正直わからない。自分でもわからない答えはいつになったらわかるのだろう。そして、影山は俺とは対照的に思っていることがいつだってだだ漏れだった。これでもかってくらいに。羨ましいくらいに。でもそれは影山にとっての欠点だったのかもしれない。だって実際それが独裁政治に繋がってしまったのだから。影山の世界は一体どんな風に見えているのだろう。とたまに思ってしまうくらいに窮屈そうなのに、本人は至って平気そうだった。俺は結局これからも影山の世界はどんなものかわならないままなのか。影山がどんな風に世界を感じていて、世界を見ていて、これから生きていくかとか、そういうことを何一つわからないままなのか。
 影山は考えることをやめたのか、まっすぐ視線を俺に向ける。影山の瞳にうつっている自分は何とも情けない顔をしていて、こんなにも情けない顔をしていたのかと思ってしまうような顔だった。影山はいつもこんな情けなさそうな俺に何か思っていたのだろうか。影山の瞳はこの世の黒いことを、悪いことを何一つ知らないようなもので、それに比べて俺は嫌なことと巡り合えばめんどくさいだとか思ってしまうからきっと影山の瞳よりもずっと濁ってみえるのだろう。そんなきれいな瞳でまっすぐ見られるのが少しばかり耐えられなくて目を逸らす。
「国見は俺のことが好きなのか?」
 その一言を聞いた瞬間俺はまた影山の方へと向ける。さっきそう言ったじゃん。相変わらず馬鹿なのは治らないんだね。いつも口が勝手に皮肉を先走ってしまうのに、今日はなぜだか黙っていられた。その代わりに「そうだよ」と素直に四文字を言葉として吐き出す。たった四文字なのにこんなにも恥ずかしい。こんなにも俺は恥ずかしい思いをしているというのに、影山は「ふぅん」と一言だけ残していた。あんまりにもあっさりとした反応に俺は少しだけ不安になる。この不安を隠せているのだろうか。影山みたいにだだ漏れではないといいんだけれど。
「国見にキスされるの、いやじゃなかった」
 人通りの少ない路地。先ほどより少しだけ暗くなった空。目の前にいる影山飛雄。誘ってんの、そのセリフは。そう思ったって仕方のない状況だった。けれどキスは影山の行動によってできなかった。影山は少しだけ陽の落ちた空を見た途端、「おつかい頼まれてるんだった」と少しだけ慌てて帰ってしまったのだ。ムードの欠片もない。普通そこは俺からのキスを期待してますって感じだったし、だから俺もキスをしようと思っていたのに。なのに。俺とのキスよりおつかいのが優先するべきことだったらしい。確かにもう陽は落ち始めていたから帰りが早い影山は母親とかに心配されているのかもしれない。おつかいを頼まれているのなら尚更。でも、それでも俺はお前にキスをしようと思っていたのだ。それぐらい察してほしいものだ。きっと無理なのだけれど。このやり場のない気持ちをどうこうすることもできず、俺は一人で家に帰る始末。帰れば親に風邪を引いてるのかと聞かれるくらい顔が真っ赤だったらしい。なんであいつのことになるとこんなにも取り乱されるのだろう。本当はもっと冷静沈着に対応できるはずなのに。
 翌日、影山飛雄の姿を見つけた途端声をかけたい衝動に駆られた。姿を見かけるのはいつものことなのに、どうしてこんなにも特別なことみたいな風に感じてしまう。学年が同じなのだから顔くらい見かけるだろう。なのに、なぜ。話しかけようとは思っていた。けれど実際行動にうつすまでに時間が大層かかってしまって、気が付けばあっという間に放課後。挙句の果てには自分からではなく影山から声をかけられた。よくよく考えたらあっちから声をかけてくるなんて忘れ物をしたときくらいなんじゃないだろうか。放課後にもなれば流石に忘れ物をしたとかではないことぐらいわかる。それじゃあなんで話しかけてきたんだって聞くほど俺はばかでもあほでもなかった。だから、一緒に帰るかと言うこともできた。
「俺、国見のことが好きなのかもしんねぇ」
「ふーん」
「そうなったら俺たちって恋人?になるのか?」
 影山から告白まがいのものをされた。いや、これは告白として受け取っていいのだろうか。悩ましいものだ。それに、影山の口から俺たちはいわゆる恋人同士というとのになるのかということも聞かれた。そう聞かれると、わからない。俺は確かに影山のことが好きだったし、影山に抱いていた気持ちは恋で間違いないだろう。けれど、俺は結局影山飛雄とどうなりたかったのだろう?キスをしたのは意識をしてほしかったから。それだけの理由だ。でも、俺は影山と最終的にどうなりたいなんて考えたことなんてなかった。だからなんとも答えられなかった。けれど、なりたいかと聞かれたら、その答えはただ一つ。
「そうなるんじゃない?」
「いまいちはっきりしねぇな」
「だって実感わかないし」
 キスしたらわくんじゃねえの、と影山はまた俺を誘うように言う。今日もまたギリギリになっておつかい頼まれてたとか言うんじゃないんだろうなと疑ってしまうのはお前のせいだ。これも全て無意識でやっているのだとしたら相当質が悪い。むしろ悪質だ。いつもは不意打ちのようにキスをしてきたから、こう面と向かってお互い意識をしてキスをするのはなんだかとても変な気持ちだ。別に嫌だってわけじゃない。少し照れくさいだけだ。影山はぎゅっと強く瞼を閉じる。別にこれがファーストキスってわけでもないのに。それは自分も同じだったし、というか俺たちはもう何回も何十回もキスをしてきたのに、いかにも今日が二人のファーストキスかのようにキスをした。
「どうだった?」
「なんか、あまい」
「あぁ、多分今日のお昼にメロンパン食べたからかも」
 影山の手をつよくにぎると、よわくにぎりかえされる。ただそれだけでとっても幸せになれるなんて、絶対に言ってなんかやらない。そういえばキスはもうたくさん一方的にしてきたけれど、その他のことは何一つしてなかったなぁと思い出す。手をつなぐことも、抱きしめることも、触れることも。せっかく恋人同士という関係を手にしたのだから俺のはじめてを全部やろうと思う。その代わりに影山のはじめてを全部もらってやる。そうしてちゃんと言ってやるのだ。こんなことをするのは、この世でただ一人、影山飛雄お前だけだと。

きみにだけだとぼくはいう/150129



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