俺は影山飛雄が嫌いだ。どれくらい嫌いなのかと聞かれたらきっと世界で一番と答える。けれど、けれど本当にそうなのかと聞かれたら俺はなにも答えられない。本当なのかと聞かれて本当だと答えるほど俺は影山飛雄が嫌いなのだろうかと、俺は悩んでしまうし考え込むのだろう。そのことを俺は今日まで知らなかった。知らなかったから、俺は影山飛雄のことが嫌いだと大声で言い張れたのだ。 「前から思ってたけど、金田一って影山のこと別に嫌いじゃないでしょ」 その言葉を俺に告げたのは国見だった。なぜ今その言葉を俺に告げたのはわからなかったけれど特に意味などなかったようで、俺が何も言えずに固まっていたら「ほらね」とでも言いたげな表情で何処かに行ってしまう。俺はそんなことはないと言わなくてはならなかったのに。 ――俺が影山を嫌いじゃない? いや、そんなことはない。絶対に。だって俺は今まで影山飛雄のことが嫌いだと周囲の人たちに言ってきていたし、実際に俺の態度がそれを物語っていたではないか。 ――それじゃあなぜ国見にすぐに返事が出来なかったんだ? それは、わからない。答えはどれも見つからないのに、わからないという現実を俺は受け入れたがらない。その現実を俺は拒否する。嫌いだと言い切る前に、悩んでいたし考えていた。理由はわからないけれど。本当は即答したっておかしくない質問にここまで返答が出来ないことってあるのだろうか。俺はそうしてまた考える。影山飛雄という一人の少年のことを。俺がこの世界で一番嫌いだと言い張っていた少年のことを。 俺が影山飛雄を嫌いだと言い出したのはいつのことだっただろうか。それすらもよく覚えていないけれど、それを俺が確かに言い始めたのは中学三年の頃からだった気がする。あの頃の影山は俺たちに無茶苦茶なトスを出してばかり。大声でどうしてできないんだと怒鳴ってばかり。それはこっちの台詞だと俺は言い張り、いつだって俺と影山は対立していた。部活中の影山はいつだって不満だということがあからさまにわかるような顔をしており、それを見る度に俺も不機嫌になった。その癖一人で自主練をするときは生き生きとした表情だったのも俺を不機嫌にさせる理由のひとつ。俺たちはきっと影山にとってはただの駒で、それを上手く動かせていない影山はきっと一人で全てやった方が上手く出来るとでも思っているのだろう。そりゃあトス以外も全て影山が一番だ。けれどお前と俺たちを一緒にしないでほしい。天才と同じところに俺たちが行けるはずがない。届くはずもない。それなのに、そんな無理難題な内容を押し付けてくる影山はそれを当たり前のように思っている。自分ができるのだから他人もできるのだろうと。だから俺は影山が嫌いだと言っていたのだ。 でも、初めから嫌いだったわけではない。寧ろ最初の方は友好的な関係を築き上げていたくらい。クラスは俺と国見と影山が偶然にも一緒で、出席番号も近かったから自然と話す機会だって増える。そうした流れから俺たちは仲良くなっていた。思い返せばまだ一年の頃は今となっては有り得ないくらいに影山と仲が良かったのだ。国見よりもずっと。こんなに気の合う奴は一生かかっても出逢えないんじゃないかと思うくらいに。一年の頃、俺から見た影山の印象はやはり『天才』という一言に限るものだった。そこは今と変わらないけれど唯一変わるところがあるとすれば、その天才というところをプラスの面に見れていたところだ。今となっては自己中心的な癖に天才で嫌味な奴なのに、昔はそんなことこれっぽっちも思っていなかった。なのに、些細なことが積み重なっていき今の関係になってしまうのだが。 過去のことを振り返ったって現在は変わらない。わからないことだってわからないまま。国見になんで俺にそう告げたのか理由が聞きたくなって国見がいないか体育館を見渡しても見当たらない。もう帰ってしまったのだろうか。部活が終わった途端あんなことを言っておいて、俺をこんなに悩ませるだけ悩ませておいて自分はさっさと帰宅かよ。まあ明日もどうせ会えるのだから、その時に聞けばいいことなのだけれど。体育館を出るのは自分が最後だったようで、誰もいない体育館はとても久しぶりに見た。いつもなら誰かしら自主練をしているのに。 (ああ、今は北川第一じゃないんだった) 青葉城西は基本放課後の自主練は禁じられている。高校は中学よりも時間というものに厳しいもので、時間は原則を守らなくてはならない。中学時代は誰よりも遅くまで影山は一人で自主練をしていた。何時までやっていたかまでは知らないけれど、本当に遅くまでやっていたという噂だ。及川さんがいたときは及川さんが自主練を終わらせるまでずっとやっていたという噂もあるが実際はどうなのかしらない。及川さんに聞けばいいのに、なんだか影山のことをわざわざ聞くのは癪だからやめていた。 時計を確認すればそろそろ最終下校時間を過ぎそうで、このままでは本当に自分が監督や先生に怒られてしまうと金田一は足早に体育館を後にする。 今日起きた出来事に何か文句をつけるとしたらきっと金田一はまず「国見のせいで」と言うのだろう。金田一にとってそれは事実で、しかし国見からしてみれば迷惑な話だ。別に金田一は日頃の生活に文句をつけるような奴ではない。それを国見はちゃんと理解しているのに、それでもこちらのせいにされては困ると眉を顰めるのだ。いつもと変わらない帰り道。いつもと変わらない放課後。いつもと変わらない風景が今日もあるはずだった。変わった点はただ一つ。そこに馴染むことがない一人の男。こちらは気がついてしまったから、そいつから目を逸らすことができないというのに当の本人はただ自転車を押して帰っている。こちらなんて見向きもせずに。いつもの風景に馴染むことができないただ一人の人物といえば影山飛雄で、なぜこんなところにいるのだろうとすこしばかり首を傾げる。しかし出身中学が一緒なのだから地元が同じなのは当たり前なことで、この地元で今まで顔を合わせなかった方が稀なのだろう。自分もあいつも、バレーを中心とした生活を送っていて中身はほぼ一緒なくせに会わなかった方が不思議なくらいだ。影山が自転車を押して帰っていて、金田一はその後ろをゆっくりと歩いて帰っている。そ知らぬ顔をして抜かしてしまえばよかったものの、金田一はタイミングというものを掴めずにいた。そもそも影山が自転車に乗って颯爽と帰ってしまえばいいのだ。なのに自転車を持っているのに関わらず歩いて帰っている。…歩いて帰っている? 「おい!お前左足どうしたんだよ」 「金田一…?」 影山が未だに俺の名前を呼んでいてくれることがどこか嬉しかった。多分これは気の所為、そう金田一は記憶を上書きする。 そんなことより今は影山の左足だ。歩いて帰っているのがすこしばかり不思議だったのだが、後ろから見ていて(別に意図して見ていたわけではない)気がついた。そして影山が歩いて帰っていることに納得した。左足だけ動きが少しだけおかしくて、引きずっているように歩くのは不自然だ。 「左足、どうしたんだって聞いてんだよ」 「別になんでもない」 「嘘ついてんじゃねえ!見りゃあわかんだよ」 「――さっき、自転車乗ってたやつとぶつかった。それだけだ」 それだけだって、それだけじゃねえだろ。 そう言いたいがそこはなんとか我慢をした。流石に怪我人相手に怒鳴り散らかすほど鬼ではない。本当は無視してしまったってよかったのに、声をかけてしまったのは間違いだったと後悔はしたが。なぜ声をかけてしまったのかなんて理由があるのならこっちが聞きたい。だから理由として「国見のせいだ」とこじつける。国見が影山の名前なんて出さなければこんなことにはならなかったのだと。それでも声をかけてしまったという事実は消えないし、怪我人を放置するわけにも行かない。とりあえず病院、いや接骨院か、と思考を巡らせる。 「お前、かかりつけの病院とかある?」 「あるけど、多分今日は休みだったと思う」 「じゃあ俺がいつも行ってるところでいいな、乗れ」 影山の自転車に俺が乗り、後ろに乗るよう影山を促す。歩いていって更に病状が悪化したら困るからだ。俺ではなく、影山が。高校に入ってはじめての二人乗りがこんな形になるなんて、金田一は少なからずショックを受けた。影山を後ろに乗せるくらいなら他の男子を乗せた方がマシだと思うくらいには。 しかし影山は口答えもせずに後ろに黙っている。俺なんかに助けられるなんて御免だなんて頭の中では考えているのかもしれない。いや、影山はそこまで俺に関心はない。興味というものを持っていないのだ。たぶん。それにしてもこいつも随分と大人しくなったものだ。あの頃の王様の影なんてこれっぽっちもない。少なくとも今俺が見る限りは。あの頃とはもう違う影山飛雄なのだろう。それじゃあ俺は変われたのだろうか。変わってしまったのだろうか。俺自身が気がついていないだけで、俺も国見も他の人たちも皆変わってしまったのだろうか。金田一はそんなことばかり考えていた。時間はあっという間に過ぎていく。病院に着くまでに影山と交わした言葉はひとつもなかった。しかしすこし控えめに掴まれたシャツの感覚だけはまだ離れない。まだ掴んでいるように錯覚してしまうくらいに。 「怪我、どうだった」 「大したことねえのに包帯ぐるぐる巻かれた。多分一週間はバレーできねえ」 「ふうん」 興味無さそうに必死に言葉を取り繕う。影山相手にこんなに必死になるなんて今日はどうかしてる。国見のせいだと理不尽に責任を押し付けて影山のことを家まで送ろうか少しだけ悩む。ここまで来たなら最後まで面倒を見た方がいいのではないかという心配と、影山だから別にいいだろうと思う気持ちが存在する。俺なんかに心配されたからって影山はちっとも気にすることはないんだから。 「ありがとな」 「…は?」 「金田一にとっちゃ迷惑なことだったかもしれねえけど、正直助かったし」 「家まで送る、自転車貸せ」 「別にいい」 「怪我人が口答えしてんじゃねえ!」 影山が俺に対して、というか俺にでなくても「ありがとな」なんて言葉は言わなかったと思う。俺の知る限りでは。だから俺も条件反射みたいに送るって言ってしまった。別にお礼を言われたからじゃない、断じて。そんなもので俺の影山に対するイメージ的な何かが変わるわけじゃないんだから。 いつもと少し違う帰り道。いつもと少し違う景色。そこには影山飛雄がいる。それだけで随分と色々と違うものになってしまうのだ。 『前から思ってたけど、金田一って影山のこと別に嫌いじゃないでしょ』 その言葉がどうしてか今また聞こえた。その言葉に俺はそうかもしれないと素直に頷く。俺はただ素直になれずにいただけなのかもしれないと。嫌いだとか、そんな言葉に頼らずにいればよかったのかもしれない。嫌いなんて言葉じゃあ俺の本心や本音は誰にも伝わらないから。今更伝えたって遅いのかもしれないけれど、でも、今しかもう言う機会なんてない。 「俺、お前のことお前が思ってるほど嫌いだとか思ってねえから」 「…俺も別に金田一のこと嫌いじゃない」 今はそれが聞けただけでもいいかもしれない。顔が真っ赤になった理由も、相変わらず控えめに掴まれたシャツの感覚だけ忘れられない理由も、久しぶりに視線が交わってあの瞳に見惚れてしまった理由も、まだわからなくていい。 恋であってたまるか!/150115 |