谷地さんに今日こそこのラブレターを渡そうと思って家を出た。心臓がやけにうるさくて、もしかしたら周りの人たちに聞こえてるんじゃないかってくらいどきどきどきどき。とてもうるさい。学校までの道のりが何だかとても遠く感じてしまうし、告白ってどうしてこんなに緊張してしまうんだろう。もっと簡単に伝えられたらいいのに。恨むとしたら度胸のない自分を恨むわけなのだが。頭の中では好きなんだってラブレターを渡せている自分が描けているのに、実際は好きですの「す」の字で止まってしまっていたし、ラブレターだってもう何回書き直したのだろうか。毎日のように書き直したラブレターは最早どれがいいものなのかなんて、どれが自信作だなんて、そんなことすらも見分けられなくなってしまった。だからといって誰かに自分のラブレターを評価してもらうわけにもいかなくて。ツッキーとかならきっと馬鹿にしたりはやし立てたりせずに相談にのってくれるんだろうけど、それでもラブレターを読まれるのはとても恥ずかしいこと。羞恥心の方がいつだって勝ってしまって、誰にも相談できずにいる。そもそも告白なんてひとりでするべきことなのだ。色んなことが頭の中でぐるぐる考えられて、やっぱり告白は別の日にしようかなとか考え始めてしまう始末。これじゃだめなんだ。もう何回谷地さんにラブレターを渡そうと思って失敗したことか。まぁどれも自分から諦めてしまっていて、誰も悪くないのだけれど。自分だけが悪いのだけれど。それでもこんな平凡な俺にはラブレターを渡すのには勇気がとても必要だったんだ。
「山口、下駄箱で立ち止まられると邪魔になると思うよ?」
「え? あ、ごめん!」
 いつの間にか学校に着いていたようで友人に注意されてしまった。なにか悩み事とかあるなら相談乗るよ?と言われても俺は大丈夫と首を横に振る。この好意に甘えられたら良かったのに、なんてことを頭の隅で考えながら。教室に入ればツッキーはもう席に着いていておはようと声をかければおはようと返される。谷地さんに告白をしようと思った日からツッキーとは登校は別々になっていた。そもそも朝呼び出して告白をしようと思っていたのだけれど計画は未遂で終了。失敗に至ったわけだ。その日の朝は俺からツッキーに事情を説明して登校を別々にしてもらっていたのだけれど、俺が告白できなかったと伝えれば俺が告白をするまで朝の登校は別々と宣言されてしまったのだ。きっとツッキーなりに早く告白をしろと応援していてくれてるのだろう(本当のところはわからないけれど)。
「で、今日は渡せそうなの」
「うーん…」
「いい加減渡さないと他の人が谷地さんに告白するかもしれないよ」
「それはやだ!」
 思わず声が大きくなってしまって、慌てて口を抑える。どうした山口なんて友人の声が遠くから聞こえるけれど、俺は恥ずかしさのあまり何も返せなかった。きっとツッキーには俺の考えていることすべてが見透かされている気がして、更に恥ずかしくなる。いつまでも紅潮していく頬の熱がいつまでも残っていた。
 先生が教室に入ってきたのをいいことに俺は自分の席に着席をする。朝のHRは今日の予定を簡単に説明されてそれで終わり。いつもならツッキーのところにまた行ったのだけれど、やっぱり恥ずかしさは消えなくて行けないまま。この気持ちもきっとツッキーには見透かされているんだろうなぁと、ひとりため息をついた。授業は嫌いではない。頭がいいわけではないけれど悪いわけでもなかったし、テストではそこそこの点数も取れていた。いつも平均点あたりの点数をキープしていて、そんな平凡な自分は少し嫌だったけれど変わる勇気も持ち合わせていない。結局いつまで経っても俺はこのまま平凡な人間なのだろう。いつも授業は聞き流す程度だったけれど、今日は夏目漱石について学んでいるときにずっと谷地さんに告白をすることばかり考えていた。理由は簡単だ。夏目漱石について何か知っている人と先生が質問をしたときにある生徒が「月は綺麗ですねの人!」と元気良く発表したことをきっかけに、先生は聞いてもいないそのことについて話し始めた。
「夏目漱石が英語教師をしていたことは皆さん知っていますよね? ある日生徒が" I love you"の一文を『我 君を愛す』と訳したのを聞き、『日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい』と言ったことからとされています。最近はあまり聞きませんが月が綺麗ですねという言葉を口説き文句として使っていた人がいた時期もあったんですよ」
 そう言って微笑む先生はもしかしたら誰かに月が綺麗ですねと言われたことがあるのかもしれない。そこでタイミングよくチャイムが鳴った。先生が教室を後にしてからも俺はその言葉のことを考える。次の授業も、その次の授業も。何だか照れくさくてまた少しだけ顔が赤くなるのを感じる。
「月が綺麗ですね、か」
「何言ってんの?」
「わぁ!? どうしたのツッキー」
「もうお昼でしょ」
 そう言ってお弁当箱を見せてくる。いつの間にかお昼休みになってたみたいで、谷地さんに告白をしようとしてからずっと時間が過ぎるのが早く感じてしまう。そのせいでこころの準備がいつだって間に合わない、というのは言い訳に過ぎない。机と机を向かい合わせにくっつける女子たちとは違い、俺とツッキーはそんな面倒くさいことはしなかった。ふたりでご飯を食べれるスペースがあればそれでよかった。顔だけお互いに合わせていつも通り他愛ない会話をする。
「結局今日渡せそうなの?」
「わ、わかんないよ…」
「別に渡さなくったって、好きだって伝えられればいいわけでしょ」
 それができれば苦労なんてしていないんだけど、なんてことは言えなかった。けれど俺にとっては好きだと伝えるよりもラブレターを渡せる確率のが確実に高いのだ。それでもまだ渡せていないのだけれど。まだかばんの中に仕舞いこんである白い封筒は、役目をいつになれば果たせるのだろうか。ラブレターを渡すときのことをまた少しだけ考えてみる。考えることはこんなにも容易いのに、渡すのはどうして困難なのか。そんなことは今はどうだっていい。例えば渡す場所はどこがいいんだろうと考え始めて、部活終わりに渡す予定だから体育館あたりかなぁとか、それとも帰り道のどこかとかかなぁなんて。ラブレターを渡したら谷地さんはどんな反応をするんだろうと考えてもわからない。拒絶だけはされなければいいんだけど。谷地さんに拒絶されたら、きっと俺はもう部活にすら顔を出せなくなる。
 谷地さんに告白できたとしても、その気持ちを受け入れてもらえる確率が高いわけではないのだ。むしろ低いのかもしれない。もしも俺ではなくて日向が谷地さんに告白をするのだとしたら、もう少し確率が上がるのかもしれないが。こんなことを考えるのはもうやめようと首を横に振る。谷地さんと日向は誰よりも最初に仲良くなったし、谷地さんがバレー部のマネージャーになろうと思ったきっかけだって日向だったのだから、きっと谷地さんにとって日向は俺とは違ってもっと特別な存在なのだ。そう考えて、その『特別』は一体どんな気持ちなのだろうとまた不安な要素が増えていく。こんなのじゃだめなのに、ただでさえ少ない自信がさらになくなっていってしまう。
「まぁ、そんな急いで告白しなくたって山口のしたいときにすればいいんじゃない?」
 ツッキーがそういったのは、きっと俺へのフォローのつもりなのだろう。わかってしまうから胸が苦しくなる。
 お昼休みの終わりを告げるチャイムが教室に鳴り響く。机と机をわざわざ向かい合わせにして話していた女子たちは焦ったように机を整頓していく。他にも次の授業の準備をする者、自分の席に座り後ろを向いて話し出す者、それぞれ席に着き次の授業を向かい入れる準備はだんだんと万端になっているようだった。俺もその波に逆らわないように準備を始める。どうせ次の授業の内容も頭の中に入らないくせに、形ばかりは授業を受けているようにしたがる。そうして午後の授業を受け始めるのは、わかりきっていたことだった。
 起立、礼、ありがとうございました。
 午後の授業も終わり、あとは帰りのHRだけだと気付いたのが人よりも遅かった。起立するのが周囲より少しおくれ、椅子の音がひとりだけ遅れて聞こえてくる。その音の原因は山口忠なのだけれど。帰りのHRの内容も右から左へと流れていった。どうせ大した内容などではないのだろう。それをちゃんとわかっていて、だから聞かないでいることができたのだ。もし重要な内容を話すのであらば先生もあらかじめ言っておいてくれるし、その内容を聞き逃したりするなんて失態はできまい。
 そして迎えた部活。唯一谷地さんと共に過ごせる時間。それは告白をするチャンスでもあったのだけれど、山口はそれをうまく活用できずにいる。谷地さんが日向と影山の方へ足を向かわせる度に呼び止めたくなる衝動に駆られるが、結局立ちすくむまま。重そうな荷物を持っているところにはいつだってなぜか出くわすことができず、見つけるのは既に誰かが手伝っているとき。どうしてこんなにもタイミングが悪いのだろうかと思う。もしかしたら神様にこの恋が応援されてないのかもしれないとも。そして告白をする機会は今日もきっと伺うままなのだ。
 後少しで部活も終わってしまうのに、やはり覚悟はできないでいた。部活が終わってからは、意気地なしな自分をさらに嫌いになりかけていた。着替えの最中に何度ため息をついたのかは数えてすらいない。谷地さんと帰り道が一緒だけれど、ふたりで帰るわけではなかった。誘う勇気すらない。帰る方向が同じ部員が集まって帰るのも、俺は楽しかったしきっと谷地さんも楽しいのだろう。俺とふたりで帰るなんかよりもずっと。夜空を見上げればきれいな星が散りばめられていて、それと同じく谷地さんの星の髪飾りもきらきらと輝いて見える。歩く度に電柱の光かはわからないけれど、なにかの光が反射してきらきらしていた。満月を見ていて今日の国語の授業を思わず思い出す。
「月が綺麗ですね」
「私もそう思うなぁ」
 となりから返事が来たことに驚いて思わずとなりを見てみれば谷地さんが月を見上げていた。俺と視線があえばね? とにっこりと笑って言ってくる。谷地さんの笑顔と、きらきらと輝く星の髪飾りに思わず見とれてしまいそうになる。
「今夜の月は綺麗だよね」
「うん、本当に」
 月が綺麗だねと言えばそうだねと返してくれた。けど、俺はこの言葉の中に先生が言っていた言葉を思い出す。もしかしたらこれは遠回しなのかもしれないけれど告白になるのかもしれないと考えた。だって俺の言葉には少なからず『I love you』は含まれていたのだから。谷地さんには気付かれなくとも。けれど気付いてもらえなければ意味がないのだろう。これはあまりにも遠回しすぎる。もっとはっきり言わなければ。それでも俺は月が綺麗ですねとしか言えなかった。これが現状での精一杯の告白だった。もう一度月が綺麗ですねと小さな声で呟いてみる。となりにいた谷地さんにも聞こえていなかったみたいでどこから安心していた。
「明日も今日みたいに綺麗な夜空だったらいいのになぁ」
 そうだねとも言えずに俺はだだ、明日も谷地さんとこの夜空が見られるのだろうかということだけを考えていた。告白はもう暫くはできないのだろう。

覚悟ができない木曜日/150215



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