澤村はまるで魔法使いだね。
 そう言っていつも笑う道宮の気持ちを、澤村大地というひとりの少年はちゃんと理解していただろうか。そう問うてみればきっとわからないと曖昧な答えが返ってくるのだろう。けれど、それでいいのだと道宮はまた笑う。それでいい、それが正しいのだと。その度澤村は困ったような顔をして、道宮がそういうならと納得したような顔を浮かべてしまうのだ。その顔を見た途端安堵するひとりの少女の気持ちなんてこれっぽっちも気がつかないで。

 道宮結が泣いている。その事実を澤村が知ったのは次の日になってからのことだった。菅原に「そう言えば」と話を切り出されなかったら、きっとその事実を知ることはなかったのかもしれない。そう考えると菅原には感謝をしなくてはならない。それは置いておいて、道宮が泣くなんて何があったのだろうと考える。道宮は決して泣き虫な方ではなかったし、泣くとしても人前で泣くような失態はおかさないだろう。そんな道宮が泣いた理由とは、一体。本人に直接確かめたほうが早かったのかもしれない。けれど泣いていたという女子になぜ泣いていたのかとかそんなことを聞いてはいけない気がした。だからもし聞くとしても、本当にわからなくってそれでも知りたかったら、ということにした。そう決めてしまったからには自力で正解を見つけなくてはならない。菅原や旭に知っているか聞いてみたけれどその辺はよく分からないと言われてしまって、クラスメイトにも昨日道宮になにかあったか知ってる奴いるか?と手当たり次第声をかけてみたものの知っている奴はひとりもいなかった。きっとこれ以上理由を探したって、見つからないということに澤村は気がつきはじめていた。
「澤村、いる?」
 そんなことを考えていた昼休み。思わぬ人物が澤村を訪ねてきた。教室のドア付近できょろきょろとしながら俺の名前を呼ぶ少女の名前は道宮結。よく整えられたショートカットがきょろきょろと首を振る度にふわふわしていて柔らかそうだ。なにを考えているんだと考えていたことを頭から追いやって道宮の元へ足を運ぶ。いるならもっと早く来てよー!と声を上げてくる姿を見ていると、昨日泣いていたなんて想像もつかない。
「何か用か?」
「用があるのは澤村の方でしょ。あたしのことを聞き回ってるらしいじゃないですかー」
 そう言って微笑むあたり、俺がなにを知りたいのかもう見抜いているのだろう。最終的にこうなってしまうのなら、最初から聞きに行けばよかったと後悔をしてももう遅い。ひとつ大きなため息を付けばどうしたのと言わんばかりの表情。考えていることが顔に書いてあるぞという意味を込めておでこを軽く叩くと今度は不満だというような表情を浮かべる。どうして口で言わなくとも言いたいことがわかってしまうのだろう。
「ここで話すのもなんだし、中庭にでも行くか」
 そうだねと返されて、二人で並んで中庭に向かう。となりに並ぶ少女はこんなにも背が低かっただろうかと、道宮のつむじを思わず見つめてしまってから自分の身長が伸びたのかと気づく。高校三年生にもなってまだ成長が止まらないというのはバレーボールをする者としては嬉しいものだ。背は高いに越したことはない。以前は身長のことを道宮は気にしていたけれど、きっともう俺との身長差は十センチどころか四捨五入をすれば二十にもなるのだから俺と並んでいる間は気にせず済むのではないだろうか。あれ、なんでこんなことを考えているのだろうと首をかしげる頃には中庭まで後もう少しというところだった。この季節に中庭で昼食を食べようという変わり者は流石にいない。この寒さの中食べるご飯よりも、ストーブが設置してある教室で食べるほうがよっぽどいいのだろう。けれど昼食後に中庭で遊ぼうと遊ぶ男子生徒は多々いるものだ。俺と道宮はその男子生徒たちを避けて、隅のほうに設置されているこじんまりとしたベンチに腰掛ける。春になれば桜が満開になる木も冬は葉っぱのひとつもない殺風景なもの。そんな木の真横に設置されているベンチに腰掛ける俺と道宮は周囲の人たちからはどんな風に見えているのだろう。少し問いかけてみたいと興味が湧いているのを抑えて話しかけるタイミングを伺う。
「昨日なんで泣いてたんだ?」
「早速それを聞いちゃうのかー」
「まぁな、昼休みもそんなに長いもんじゃないし」
「うん、そうだね。でもね澤村、ここであたしが泣いてた理由を言いたくないって言ったらどうする?」
「それはないだろ、道宮もそれを聞かれるのを承知の上で俺のクラスに来たんだろうし」
 それもそうかと言って笑う道宮はやはり昨日涙を流していた人とは思えない。俺には道宮が泣いていたというのは実は嘘で、誰かの手の込んだドッキリ的ななにかなのかもしれないとこの後に及んでそんなことを考えていた。でも、それはないのだろう。絶対に。道宮の顔がそれを物語っていたから、そんなバカみたいな考えも一瞬でなくなってしまう。
「澤村は私とって魔法使いみたいな人なの」
 それはもう何回も聞いていた。事あるごとに澤村はまるで魔法使いだねと言われてきていたから。しかしそれは今の会話に関係があるのだろうか。俺には全く関係ないように思えて仕方がない。俺自身自分のことを魔法使いだなんて感じたことは一度だってなかったし、道宮に俺が魔法使いだと思われるようなことは一度だってしたことがなかった。それでも、道宮は澤村はまるで魔法使いだねとその言葉を口にするのだから考えても仕方のないことなのかと思い始めていた。
「今、それは関係あるのかって思ったでしょう」
 う、と図星をつかれてしまったからかそんな情けない声を出してしまう。これじゃあ俺の考えていることをわかってしまう道宮はエスパーかなにかか、と言ってもおかしくない雰囲気ではないだろうか。そんなことを実際に言ってしまえば少しだけ怒ったような顔をする道宮の顔が簡単に予想でしてしまったからやめたけれど。
「でも本当は澤村は魔法使いなんかじゃないこともわかってる。ただの男の子だって、わかってる。けど、あたしは昔から澤村の言葉にたくさん助けられてきたの。昨日はもしも世界に澤村がいなかったらって考えたら思わず涙が出ちゃっただけで、澤村が心配することはなにひとつもないんだよ」
 なぜそんな風に笑えるのだろう。昨日誰かの前で泣いてしまったように、泣いてくれればよかったのに。そうすれば俺は少なからず責任を感じたのかもしれないし、ただ動けずにその涙を見つめるだけなのかもしれない。きっと後者の方なのだけれど、それでも俺の前で泣いてほしかった。
 昼休みが終わるチャイムが鳴る。このままここにいたままでは五限の授業に遅れてしまう。もう受験生の俺たちが授業に遅れたりするのは単位のことを考えるとあまり良くないことなのだろう。取り敢えず俺はベンチから立ち上がり道宮に声をかけようとする。けれど道宮は俺のことを見上げて先に行っててとまた笑った。今日の道宮はいつもより笑い方が少しおかしかった。きっと無理をして笑っているのだろうということは流石にわかる。
「道宮と一緒に行くよ」
「あたし、五限の授業サボるからいいよ」
「じゃあ俺もサボる」
 澤村はお人好しだなぁ、と下手くそな笑顔を俺に向けた。そんな無理して笑うくらいならいっそ泣いてくれという俺の心の声はきっと届かない。

 もしも道宮結という女の子がこの世界にいなかったら俺はどうなっていたのだろう。道宮のようにそんなことを考えてみる。きっと俺は道宮がいなかったら、主将という役割についていなかった。今こうして続けられているのも、道宮結というひとりの女の子に支えられているからだ。そのことに道宮は気がついていない。そう考えると道宮は俺にとっての魔法使いかもしれないんじゃないだろうか。俺の言葉にたくさん助けられてきたと言う女の子と、その女の子にたくさん助けられてきたと言う俺は何だか少しおかしい気がするがそれで多分正しいのだ。冬の空は少しだけさみしい。外は屋内に比べて寒すぎるから屋内に入りたいけれど、今の道宮はその誘いすら断る気がした。こんな寒い場所で、さみしい空の下で、女の子をひとりにしておくなんて澤村にはできなかったからただとなりに座っていた。寒いなと呟けば寒いねと返ってくることに安堵して、ただとなりに座っていた。
「俺にとって道宮は魔法使いだ。道宮がいない世界は耐えられないし、正直困る。それに俺は道宮が泣いていたらどんな理由だろうと心配する」
「魔法使いだなんて言ってもらえるような人間なんかじゃないよ」
「それは俺も同じだ」
「ねぇ澤村、あたしに魔法をかけて。これっきりでいいから、おねがい」
 魔法をかけて。そんなことを言われたのははじめてだったから、どうすればよかったかなんて答えはきっとどこにも落ちていないのだ。一生懸命探したって、誰も答えを与えてはくれない。だから澤村は頭の中で一生懸命知恵を振り絞って答えを作り出す。これでいいんだろうか、と誰かに聞ける相手もいるはずもなく。道宮の顔は先ほどとは違って、下手くそな笑顔なんて浮かべていない。答え次第によっては泣いてしまいそうな顔。このまま泣いてしまえなんて身勝手な願いを思いつつ、実際に泣かれてしまえば困るのは澤村自身だ。
「大丈夫、道宮なら大丈夫」
「…ありがとう、大丈夫な気がしてきた」
 泣きそうな顔でへにゃりと笑われても説得力の欠片もない。それでも、道宮が俺の言葉ひとつで大丈夫になれたのが本当だとしたらいいと思う。道宮にはいつまでも笑顔でいてほしいし、泣いているなんて噂がまた流れるのは心が痛む。
 やっぱり澤村は魔法使いだ。
 そう言って笑う道宮の気持ちを、澤村は少しだけわかった気がした。勝手にわかった気になっているだけなのかもしれない。けれど、それでいいのだと澤村は思った。それでいい、それが正しいのだと。結局答えが正しかったのかはわからないけれど、この言葉ひとつで明日も笑っていてくれるのなら、それで。五限の授業はまだまだ始まったばかり。残りの時間ずっとここにいることを考えて、道宮の手を握りしめたことは見逃してほしい。だってさむかったからと言えば見逃してくれるだろうか。顔が赤いのは風が冷たいからと言おう。もしくは、道宮に魔法をかけられたとでも言おうか。風が目に染みて、涙がこぼれ落ちそうになったことは、どうかバレないでいてほしい。本当に魔法使いになれたのなら、きっと俺は道宮だけの魔法使いになりたかったのだ。

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