ひくりと顔面が四方へと盛大に引きつるのを感じた直後、周囲からは大爆笑が巻き起こっていた。
必死にこらえようとしている2年生と、少し気まずそうに口元を緩める1年生。そして遠慮を知らない3年生。

コートに響き渡る笑い声にギリギリと眉間に皺が寄る。いや、それどころか青筋すら浮かんでいたかも知れない。血管なんて2万本くらい切れたんじゃなかろうか。
例えるならそれくらいの衝撃。一体どこの世界に178のそれなりに筋肉のついた上下ジャージ野郎を女だと間違うやつが居るのだろうか?いや、居たのである。

爆笑の渦中で更なるキョトン顔を披露している千歳を見据えて、俺はできる限りの低い声を出した。

「……女やない」

酷くドスの効いた声が俺の喉から滑り出る。渦巻く感情がそのまま声に乗っかっているようだった。

「…………その声」
「……そうや」

瞬時に事態を理解したらしい千歳は後頭部を掻いて至極すまなそうな顔をしつつも、暢気だった。

「こりゃすまんこつ言ったばい…。ぬしゃ、あんまし綺麗か顔しちょるけん。てっきり女の子かと思ったたい」
「…………」
「ばってん男にしちゃ…少しむぞらしか過ぎるんやなかね?」
「………、むぞ…?」
「あぁ、愛らしいってことばい」
「…………」



俺は言葉を無くした。
文字通りにである。

この熊は一体何を言っている。
綺麗?女の子?愛らしい?
それは俺のことか。
俺のことなのか?

いや。まあ。
綺麗、はまだ良い。
というよりは言われ慣れているせいなのかそこまでのダメージは無かった。

だが愛らしい、は駄目だ。
俺の望んでいる男性像の中に「愛らしい」は無い。というか大半の男の理想に「愛らしい」は存在し得ない。
「女の子」という発言が前提だったためなのかその不快指数は只ならぬものだった。

あの睨み合いの中でコイツの胸中にそんなことが巡っていたのかと思うとウンザリを超えてもはや興ざめ過ぎる。俺の中では威嚇し合っていただけだったのだ。
思わず左コブシに渾身の力を込めかけてしまったことは許されていいと思うし、むしろ手が出なかったことを褒められてもいい。
後にも先にも、あそこまで的確に人のコンプレックスを突き刺してくる奴との出会いはこれっきりだったように思う。というかこれっきりであって欲しい。


……確かに。
確かに、これまでの俺の人生の中でも、そんな風に不名誉な勘違いをする奴は、居た。
だがここまで俺を羞恥心で一杯にしたのはコイツが初めてなのだ。それはおそらく。

ヤツの容姿が、限りなく男の理想に近いから。

そんな男に「愛らしい」と言われて嬉しがるような男なんているだろうか。いや、いてもいい。ただ俺がそんな男じゃないというのは確かなのだ。
俺は少なくともプライドを傷つけられた。そんな風に思われるのが嫌で身体を鍛えたというのに結局はこうなるのか、と泣きたくなったほどだ。


しかし。

その後しばらくして俺がその史上最悪の熊相手に好意を抱き始めるどころか「むぞらしか」と言われて胸を躍らせるようなことになろうとは、この時の俺からは想像もできないことだった。

一度死んだ気になれば何だって可能なんやな、と俺は千歳の腕の中で静かに納得をして目を閉じた。

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