……え…っと?
生足……保、護。
…と、おっしゃいました…な?

見つからん、と呟いてる千歳の言葉が耳を通らない。いや、それどころか背後から聞こえるはずの雑音すら鼓膜に伝わってこない。
ドキドキどころではないくらいに高鳴っている鼓動がまるで身体中を打っているんじゃないかと思うような感覚の中、ウチは大人しく千歳の腕の中に納まっているしかなかった。
いや、コレ…アカンって。

「蔵ーあったとー?」
「ま…まだ、……無い、かな」

全くと言っていいほど名前の羅列が頭に入ってこない。読め、読め、と自分に言い聞かせながら8組のクラス表を見下ろすが、腰元に当てられた千歳の左手が視界に入り込んでくる時点でもう降参だった。「離して」とも言えないのだからもはやどうしようもない。
身体を巡る血管の流れが鼓膜の近くを惜しみなく熱くして、今にも頭が沸騰しそうだ。だけど、拒むのは余りにも勿体無いわけで。

…アカン、どないしよ。
耳が、熱い…。

もはや今の自分たちの状態がパンダどころじゃないのは明白だったが、もうそれでもいいやと思った。

本当なら「千歳、これじゃ後ろの人たち見えへんやろ」とか「ここどこやと思ってんねん!」とか、ウチが言わなきゃいけないことは多々あるはずで、言うべきで。
事実言いたいことは山ほどあったのだが、それを言ってしまうにはこの状況は嬉しすぎた。だ、だって千歳がウチの腰に手を……。
まるでモデル雑誌からそのまま飛び出してきたかのようなスタイルの千歳にこんな風に抱き込まれて、照れ隠しとは言え拒むようなことを言うのはあまりにも難関すぎる。

少なくとも、ウチにとっては…。

「……あ」

背中に感じる千歳の温度と鼻を掠める朝シャンの名残がウチの色々なものを崩しそうになったとき、千歳が小さく声を上げた。
…危なかった。あと数秒遅れてたらこの公衆の面前であの言葉を叫んでしまうとこやったわ…。

はあ、と安堵しつつ、「名前あったん?」と声をかけると、千歳は少し溜めてから「うん」と言った。

「俺は、1組」

抱き込まれていて千歳の顔は見えなかったが、「俺は」という言葉を発すると同時に腰の手にキュッと力が込められたの感じて、ふと直感する。

「……離れてもうた?」

窺うように少しだけ顔を上げてそう聞くと、千歳はまた少し溜めてから「うん」と言った。

「ウチ、何組?」

クラスが離れてしまうのは覚悟していたことだったが、問題は物理的にどれくらい離れてしまうのか、ということだ。
万が一に1組と8組だなんてことが起こり得てしまったら…いや、そんなんありえへん。考えるだけで切なくなる。

「蔵は2組」
「え、隣やん!」

嘆き悲しむほどの距離では無かったことに思わず安堵したウチとは反対に、千歳はやっぱり不満そうだった。
後ろからウチの首元に頭を埋めて「むーむー」と唸る千歳に苦笑しながらその頭をぽんぽんと軽く叩いて慰めるが、更に強く抱きこまれてしまってちょっと困る。

背後にくっついたままの千歳を刺激しないように小さな歩幅でそっとクラス表の前から離れて、そのままの体勢でなんとか玄関の前まで辿り着くと今度はウチの方から千歳に抱きついてみた。そりゃ、ウチだって寂しいよ。でも仕方ないことなんやから…。そんな気持ちを込めて、優しくその癖毛を撫でる。とにかく今は黙ってこの可愛い巨人を宥めてあげることにしよう。ホンマ、意外と打たれ弱いんやから…。

千歳の脇の下から手を回して広い背中をやんわりと叩くと、ウチの背中にも千歳の手が回ってきた。あは、なんか甘えん坊や。

本当は少し恥ずかしかったけれど、こんなに落ち込んでもうた千歳を放っておけるわけあらへんやろ、と誰にも聞こえない言い訳をして二人で静かに顔を伏せる。

周囲の雑踏が酷く遠い世界のように感じて、何だか面白かった。

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