真っ白な綿毛から生えた尻尾がゆらゆらと左右に振れるのを眺めながら、腕白な後輩の腕を必死で引っ張った。
今すぐにでも追いかけてその血色の悪い唇と会話をしたいのだけれど、今この手を離せばこの赤毛の後輩はすぐにでもはぐれてしまうだろう。
隣をゆらりと歩くのっぽの同級生にこの暴れん坊の腕を預けようとも思ったが、こいつのことだ、どうせ一緒に雲隠れしてしまうのが関の山である。
しかし何にせよ、今俺が頼れるのは奇しくもこいつだけで。
不安は一切拭いきれないが、この際致し方無いのかも知れなかった。
手元に視線をおくり、もう一度その綿毛へと振り向く。

「白石、どげんしたとや」

どうしたものかと思っていたところに、高いところから覗き込まれてむっとする。
ジャージのズボンに両手を突っ込み我関せずと歩いていた千歳は、やっと俺を手伝う気になったらしい。

「…千歳、ちょっと金ちゃん頼んでええかな」
「良かとやけど、なんかあったとや?」

千歳の左手をポケットから引きずり出して金ちゃんの腕を掴ませると、俺は返事もそこそこに走り出す。
早く追いかけなければ見失ってしまう。
いや、見失うような風貌ではないのであるが、そういうことではない。

「白石、先に行っとうよー?」

走り出してすぐ聞こえた千歳の声に左腕を上げて応えると、一目散に目的物へと急ぐ。
振り返ってみれば思いのほか距離はつけられてはいなかったが、それでもその腕を掴むまでは近いとは言えない。
あいつは、握り締めて初めて実体をもつ。
それまでは気体か何かと同じだ。

「仁王!」

声を荒げて呼ぶと、綿毛がぴく、と立ち止まった。

「……白石」

先に行ってるぜー、という赤い髪の子の言葉に小さく反応を返すと、本格的に振り返ってくれる。
あぁ、久しぶりだ。

「…仁王、久しぶりやな」

ほんの少しだけ低い位置にある双眸に己のそれをそっと合わせると、仁王は柔らかく微笑んだ。
合っているようで実は全くかち合っていない、そんな感覚すら久しくて、とても愛しかった。

「昨日、電話したばっかりじゃろ」
「そうやったか?」
「…2時間も話したんに、無かったことにするんか」
「冗談や」

ふ、と笑うと、仁王は居心地が悪そうに頭を掻いた。
電話ではあれだけ軽口を叩くくせに、顔を合わせた途端仁王は人が変わってしまうのだ。

「今日の練習試合、確か大阪のは午後だった気がするんじゃがの」
「早めに到着してアップしてた」
「どうりで。今日はやたら賑やかじゃのうと思っとったんよ」
「うちの奴らは賑やか、じゃ済まんけどな」

1メートルほど間をあけてお互い突っ立ったまま会話をする。妙な距離感だ。
だがこれが心地よい。仁王との距離は、これくらいでちょうど良い。

「ここだけの話、実は幸村が真田とD2で出るんじゃ」
「ほんまか!ははは、そりゃまた奇をてらったなあ」
「しかも幸村のやつ俺にS1を押し付けてきよって…」
「あ、じゃあ俺と当たるやん!」
「だと思った」
「あ、ほんならイリュージョンで俺になったりしたらおもろいやんな」
「…言うと思った」

声は弾ませていないが仁王の雰囲気が明らかに違う。
自惚れているようでアレだが、すごく、嬉しそうに見える。

「あいつの考えることはよう分からんからのう」
「まあ、神様のご子息やからな。普通の人間の脳みそなんて詰まっとらんのやろ」
「…それ、あいつが聞いたら爆笑するじゃろうな」

重そうなテニスバッグを何度も背負いなおしながら会話を続けていることに気づき、俺は近くの木陰に仁王を誘った。
今日は陽も照っているし、というよりは俺がゆっくりと話をしたかったからなのだけれど。


***


木陰の冷えた空気を肺いっぱいに吸い込むと、頭の中が澄んだ。
さきほどまでは遠征に浮かれる後輩の対処などで頭がわたわたとしていたためとても気分が良い。

そのせいか目元がなんとなしに緩んでしまい、ニヤけた顔を見られたかと思って右方をチラリと見るが、仁王は空を見上げてぼーっとしているようだった。

しばらくその無防備な横顔を眺めていると、仁王はあくびをかみ殺して目元を擦り、自分の尻尾をいじくって遊びだした。
なんやこれ、猫か。
可愛らしい行動を見て少しからかってやろうと言う気になり、距離を詰めて耳元に唇を寄せたが仁王は気付かない。
そのまま耳の裏にふっと息を吹きかけると、仁王は「ひっ」という短い悲鳴をあげると反射的に防衛体制をとり、身をよじりながら俺から離れた。

「お、おまえ…!」
「はは、かわええ反応ごっそさん」

耳が弱いのはよく知っている。
白い肌が淡い桃色に染まってとても綺麗だ。

…あ、やばい。

「…なあ仁王くん」
「なんじゃ…」
「キス、してもええか?」
「………、やだ」

先ほど離された距離を詰めながら迫ると、仁王は俺の頬に手を当てて押しとどめた。
良いか悪いかを聞いたのだが、まさか拒否されてしまうとは。

「なんでや、別に誰もおらへんやんか」
「そういうことじゃない」
「久しぶりに会えたんに、ほんま仁王くんは淡白やなあ」

くん、を付けたのは久しぶりだった。
出会ってすぐの頃は俺がなかなか慣れずに、何度も何度も「に・お・う」に突っ込まれたもんやけど。

「ま、どーせ来月には会える予定やったし、ええけど」

乗り気じゃない仁王に迫り過ぎても仕方がない。
それに俺も仁王ほどではないにしろ、淡白な方だし。

「……ここ、涼しいなあ」

ひんやりとした木陰の空気はとても気持ちがよい。
無機質な校舎の壁に背を預けていると、眠くなりそうだと思った。

そのまま互いに会話をしようとするわけでもなく、ただただこの弛緩した雰囲気に身を委ねていた。
お互い、毎日毎日気を張ってばかりの日々だ。こんな時間も、あっていい。

「俺、そろそろ戻らんと幸村にしばかれる」

と、思っていれば仁王からタイムアップのお知らせ。
まあそろそろやな、とは思っていたけれど。

「俺もさすがに戻らんとな、なんやかんや言いつつ部長やし」
「そうじゃ、お前さん部長じゃったな」

くく、と笑う仁王につられて小さく口元を緩めると、遠くからゴンタクレの大声が聞こえた。
宥めようとする謙也の慌てた声がおまけに耳に届き、あとで何か言われるんやろなあと他人事のように思う。

「お前さんとこの一年、えらく破天荒みたいじゃの」

至極おかしい、と言わんばかりの表情で仁王がこちらを見た。
ぴろ、と尻尾が鎖骨に垂れるのが視界に入り、思わず目を背ける。
「うちの後輩もヤンチャじゃけど、そっちのが大変そうじゃ」とほくそ笑む彼の眼差しはとても優しげで。
まあヤンチャ、という言葉で片付くかどうかは俺が悩む問題ではないだろう。

「金ちゃんは、まーアレやな、可愛い猛獣みたいなモンや」
「うちのも似たようなモンやの」
「可愛えんや?」
「そりゃ、後輩じゃからな」

うちの部活で金ちゃんが大切にされているように、立海でも彼を大切にしている。
次期部長だからとか、多分そういうことだけではないんだろうと思う。

「手のかかるコほど、可愛えと思ってまうもんな」
「ほんまにな」
「お、関西弁や」
「そうやでー」
「ははっ、うまいもんやなあ」
「俺にとっちゃ方言は友達みたいなもんじゃ、たいぎゃ簡単ったい」
「お、それは千歳んとこのやな」


仁王との時間は、いつもいつも刺激があって素敵だ。
通じ合っているようで通じ合ってないような、弛緩しているようで張り詰めているような。
仁王の隣はどこまでも不思議な場所で、どうにも飽きがこない。
いつでもペテンにかけられているかのようなスリルも申し分がない。

まあそれでも。
俺と全くかち合わない仁王の双眸の目じりがほんのりと桜色なのは、嘘なんかじゃないと思うけれど。


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