痛々しいほどに赤く腫れ上がった仁王の左手首は、テニスなどできるようには見えなかった。

総当たりで試合を組み、「さあ始めようか」とコートに入ったときは全く気が付かなかった。が、試合前に握手をしようと手を伸ばし合ったとき、それが見えた。

それ。
つまり、仁王に左手首に刻まれた不可解な痣。

リストバンドからちらちらと覗くその火傷のような擦れた跡に気付いたのはおそらく俺だけだろう。
どうにも気になって、「ウエイトの調節」という名目で仁王にリストバンドを外させて、確信した。

まるで縄か、またはそれに準ずる何かで縛られたような跡。

仁王の手首を見つめて“これはどうしたんだ”と言う視線を投げかけるが、「調節なんて要らんよ」とリストバンドを奪われてかわされてしまう。

「幸村、Which?」
「……rough」

縛っただけであんな風になるわけもない。暴れたのか、もしくは、更に締めつけられたのか。
どちらにせよクリーンなイメージなど湧かなかった。
視界から痛感させられるその内出血のような痣を遠目に眺めて、溜め息をつく。

「smooth、じゃな」
「…あぁ」

そんな腕で俺と試合なんてしたら、一体どうなると思う。
それが分からない仁王では無いはずだ。

しかし仁王はいつも通り飄々とした態度でサービスラインに立ち、「幸村とやるんは久しぶりじゃのう」と右手に持ったラケットをこちらに向けて笑っていた。

右手で俺とやるつもりか、いやそれよりもその腕の痣はどうしたのか、言いたいことも尋ねたいことも山ほどあったが、仁王に深入りするのは気が引けるので何も言えない。
仁王に干渉するというのは仁王に距離を置かれるというのと同意である。


相手が手負いであろうとも手を抜く訳にはいかず、結局ほぼ本気で取り組んでしまった結果が6-2。

仁王は何故かいつも俺とやるときだけはお得意のペテンは仕掛けてこない。誰に化ける訳でもなく、汚い手を使う訳でもなく、仁王雅治として俺に挑んでくる。
そういう隙間を縫うような誠実さが、初めて仁王に好印象を抱いた理由だった。

ネットの向こう側でぜえぜえと肩を上下させている仁王は左手首に手を当てて顔を歪めているが、それでも毅然とした態度で俺に皮肉を言うところはさすがだと思う。
あそこで逆のクロスは卑怯すぎる、どうしたらあのロブをポーチで取れるんだ、ライン上ばかりにサーブ打つなんてどんなコントロールしてるんだ。等々。
それがテニスだろ。とは思いつつも、こういう仁王の軽口はいつものことなので何も言わなかった。

色々と試合の感想を言い合ううちに仁王の息はしっかりと整っていた。
並んでベンチまで歩きながら、仁王の傷んだ銀髪にきらきらと辿る汗を己のタオルで拭いてやると、「お前さんはいつも余裕じゃな」と微笑まれる。
思わず「お前なんかに余裕を失うようじゃまだまだだからね」とは言ってみたものの、俺は決して余裕なんかではない。
もう一度言おう。余裕なんか、どこにも無い。

お前と試合しているときも、お前と話しているときも、お前の髪の毛を見つめているときも、お前に微笑まれるときも、片時だって余裕なんかじゃない。

何なら、お前の左腕に痣をつけた奴を聞き出してボコボコにしてやりたいほどなのに。
そう言えばお前は驚くんだろうか。






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