テキスト | ナノ

 赤司が中学二年生になって、もうすぐ一学期の期末試験がある。中間、期末それぞれの試験前には全部活動が一時停止とされるため日も暮れかけようとしているいまの時間、校舎に残っている生徒は少ない。にもかかわらず、赤司がその足で図書室におもむいているのは教師から一つ頼まれ事をされたからだ。いつも学年一位の成績優秀な赤司にすれば、こうして少しの時間を取られることは惜しくない。それにこういう人からの頼まれ事はしょっちゅうなので、それが一つ増えようが五つ増えようがいまさら赤司の負担になるものではなかった。
 図書室での用事をさっそく終えた赤司はその途中で彼にとって面白いものを見つけた。図書室の本棚をいくつも隔てた奥にたった一つぽつんと存在する二人がけの席にたった一人、黒子テツヤが眠っていた。机に突っ伏し腕を抱えるようにうずくまっている。この同級生は誰もが認める影の薄さだから、赤司がその姿を瞳の中にとらえることができたのはほんの偶然だった。赤司はそれを立ったまま見おろして「黒子」と一度だけ彼の名を呼んだ。図書室の静かな空間には吐息の混じった赤司の声が広がったようだけれど、黒子にはそれが届かなかったらしい。何だかそれが愉快で愉快で堪らないような様子で口元に笑みを浮かべた赤司は、気を配って黒子が眠る向かいの席に腰をおろした。こうなれば、赤司にはとことん悪戯心が生まれた。
 髪に触れてみたいと思ったからそうした。晴れた日の空の色をした黒子の髪は少し固い。部活動の朝練がある日はいつも頭を爆発させたまま部室にやって来る。彼は真面目で平凡だけれど時々とんでもないことを無意識にしでかして笑わせる。黒子は赤司の感情を揺さぶるものを、たくさん持っている人間だった。
 赤司の右手側には大きな窓があった。そこから空が桃色から橙へと、壮大なグラデーションを描きつつ闇に暮れていくのを待ちながら赤司は、もう少しだけ自分の近くで無防備に眠る黒子を見ていることにした。


2014.06.13


◆◆◆◆◆◆


 中学二年生になってから最初の期末テストがもうすぐ行われる。いつも可もなく不可もなくという平凡な成績を出しているボクはテスト前で部活がなくなるとよく学校の図書室で勉強してから帰宅する。
 図書室の、本棚をいくつも隔てた奥にたったひとつぽつんとあるふたりがけの席に座るのが以前から好きだ。左手側には大きな窓があって、ボクは広げたノート上でシャーペンを握ったまま、そこから空が桃色から橙へと壮大なグラデーションを描きつつ闇に暮れていくのをぼうっと眺めていた。
 夕焼けの空はもの悲しい。どうしてなのか、孤独を突きつけられているような気がして胸が締めつけられる。
 そんな時、脳裏に彼の背中がぽっと思い浮かぶ。彼の髪と瞳も窓の周りを縁取る、この真っ赤な夕焼けと同じ色をしていたなあ──。


 パチッと目が覚める。
 あれ? 何だここ? 図書室?
 いつの間にか腕を抱えるようにして、うずくまって寝てしまっていたらしい。さっきまで辺り一帯を包み込んでいた目を焼き尽くすような赤は忽然と消え去って、図書室の白んだ蛍光灯の光がときどきジジッと音を立てながら頼りなげに点る。
 ずいぶんと時間が経ったんだなあと突っ伏したまま、まだ少し寝ぼけた頭で考えていると「ああ、起きたのか」途端に声が降りかかってきた。えっ、と思って反射的にからだを飛び起きさせる。
「あ、かしっ、くん」
 眠りに入る直前まで頭に思い描いていた紅赤の髪と瞳が目の前にあったものだから不意をつかれた。咄嗟に言葉が出てこなくてそれから何も言えずにいると、赤司くんが小さく笑う。
「驚いた?」
「えっ……」
「そんな顔をしてる」
 にっこりと微笑まれてしまってばつが悪い。いたずらに成功した子どものような口調をした彼を、こんなふうに話すこともあるんだなと不思議に思いながら見つめ返し、ボクはようやく口を開いた。
「どうして赤司くんがここにいるんですか? それに、いま何時……」
「もう19時をまわってるよ。ここに来た理由は先生からの頼まれ事を果たすためだったんだけど、それでちょうどお前がこの席で眠っている姿が見えたから起きるのを待っていた」
 まるであらかじめ用意された原稿をスピーチしているみたい。赤司くんはボクのつたない疑問に、すらすら言葉を並べて返してくれる。彼はいつもボクの欲しがる答えをくれる人なので慣れたふうに「ご丁寧にどうもありがとうございます」と頭をさげれば、「いいや」と二度、言われた。
「本当は起こそうとしたんだ」
「起こそうと?」
 ボクは少し右に首を傾げ、赤司くんは何だか困ったような顔つきで肩を竦める。
「ああ。一度、髪に触れてみたんだけれど黒子は起きてくれなくてね、気持ちよさそうにずっと眠ってた」
 髪に触れてみたって……。
 思わず両手でガバッと頭を押さえる。嫌になるくらいいつも癖がつきやすく意地の悪い自分の髪も、赤司くんの指が少しでも触れたんだと知ると特別なもののように思える。
「そのまま放って帰るのも何だから頃合いを見てまた起こそうと思ってここで待ってた」
「時間を取らせたようで、すみませんでした……」
「何も謝ることじゃない。俺が好きでしたことだ。それに、静かに勉強もできたしね」
 自分でも気づかないうちに心臓がどきりと動く。それを自覚すると急激に喉が渇いてきたのを唾を飲み込むことで誤魔化して、「赤司くん」と呼んだその声は掠れていた。スクールバックの中に教科書とかノート、筆ばこを仕舞っていく彼を呼んだ。
「ん?」
 見つめてくるのは大人びているようでまだまだ幼い赤色の瞳。ボクと同い年の男の子。
「ありがとう、ございました」
「うん。黒子、途中まで一緒に帰ろうか」
 赤司くんがバッグを肩に引っかけて椅子から立ち上がる。
 ああ、ダメだ。かなわない。どうしてよりによって彼だったのか、自分だって分からない。けれど、ひと目見てその存在に強く惹き込まれた。目をそらせなかった。
 ──ボクはきみが好きです、赤司くん。


2014.07.07(自覚がない、自覚がある)