ココロツムギ-2-

「先生」

書斎のソファーでタオルをかけて横になる。
先生は机の明かりだけをつけて、カリカリと万年筆を滑らせていた。
俺は先生の背中をよく見ている。
背中しか、見えないから。
向かい合って話すことは、時々しかない。


「ツムギ、明日は何時に学校に行く?」

「十時集合だから、少し早めに行くつもり」

「朝食、肉じゃが温めてくれ」

「わかってるよ」

先生はあぁ、と呟くとまた原稿用紙と向き合った。
万年筆の音が、少し眠気を誘う。
あくびを噛み殺しながら、先生の背中を見つめた。
いまどき、滅多に見ることができない着流しを着ている。


「あぁ、後、学校まで送る」

「…珍しいね」

「無理を言ったからな」

「わかってるじゃん」

先生は軽く笑いながら万年筆を置いた。
それから煙草を取り出して、火をつける。
机の明かりにゆらゆらと煙が揺れて見えた。


「ツムギ」

「なに」

「…ツムギの書いた話が読んでみたい」

万年筆の音が消えて、しんとした頃、先生が小さな声でそう言った。
それから、椅子から立ち上がって、こちらを向いて座る。
机の上の明かりが先生を後ろから照らしていた。


「先生の、嫌いな…恋愛小説だよ」

先生と向かい合うのは少しだけ気まずくて、寝返りを打った。
ソファーの背もたれと向き合ってそう返すと、視線を背中に感じる。
ぎし、と床を踏む音が聞こえた。


「ツムギ」

妙に、優しい声。
先生の方を向きたくなったけれど堪えて、ソファーを見つめる。
気配が近づいてきて、きゅっと目を瞑った。


「ツムギ、いいことを教えてあげよう」

先生の吐息が、耳に触れた。
大きな手が頬を隠した髪を耳にかける。
あらわになった頬に、唇が触れた。


「…俺は恋愛小説が嫌いなんじゃない。…恋愛が嫌いなんだ」

言っていることと、やっていることが、まったく違う。
先生の唇は優しく俺の頬を撫でる。
けれど、零れる言葉は、俺を戒めるように残酷だ。
目を瞑ったまま、熱い唇を感じる。
先生は残酷で、優しくて…、俺は卑怯者だ。


「風呂に入ってくる。悪いけど、明かりはそのままにしておいてくれ」

そう言って部屋を出て行った先生の背中を、少し体を起して見つめる。
ぱたんと閉められた襖。
先生の心を表しているようで、胸が苦しくなった。


「…そんな、こと…言われなくたって、わかってるのに」

先生が、恋愛というものが、嫌いだってこと。
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