お、お泊りですか…!?

「あ、むくのお迎え行かなきゃ」

好野と杏の激しいアニメ談義の中、汰絽は声を出した。
それから好野の首からショルダーバックを取って、自分の首にかける。
内履きとローファーを取り換えて、汰絽は玄関を後にしようとした。
すると、好野も自分がなぜ汰絽を待っていたのか思い出して、すぐさま靴を取り換える。
それから杏に頭を下げて、汰絽の隣に向かった。


「たろ、迎えって?」

好野が隣に来て、汰絽が足を進めようとした時、風太が声を掛けてきた。
その声に返事をしようと振り返る。
好野もビビりながら止まった。
振りかえった先にいる風太は、薄暗い玄関の中で幻想的に見えた。
白髪が薄暗さの中で儚く輝き、青い瞳が淡く燃えるように見える。
思わず息を止めそうになった。
そんな汰絽の背中を好野はとんとん、と軽く叩く。
その衝撃で汰絽は風太の質問を思い出した。


「ぁ…、むく…。うちの子のお迎えです」

「?」

「あ、春野先輩も来ますか?」

「…行く」

汰絽の発言に好野が隣でヒッと叫び、風太は表情に出ないが驚きながらも行く、と答えた。
当然、風太の帰りを待っていた杏も行くことになる。
杏が行くことになって、好野は少し安心した…が、やはり、風太は怖い。
好野は汰絽にしがみ付くように傍についた。
そんな好野に、汰絽は笑みを零す。


「あ…。汰絽、うちの子、って言ったら、勘違いするんじゃない?」

「あ、そうだね、うん。僕、変なこと言っちゃった」

四人は歩き始め、汰絽の通学路を通る。
汰絽たちが前を歩くのに対し、風太と杏は後ろを歩いていた。
好野の助言に汰絽は後ろを振り返って、風太達が追いつくのを待つ。


「春野先輩、さっきむくはうちの子って言いましたが、正式には僕の姉の子、甥っ子です」

「姉貴の?」

「はい」

「おい、杏、てめえはフツメンとでも話してろ」

「りょうかーい。よし君、語りあかそうぜ」

「はい!! 先輩!!」

好野と杏が先に歩き始めるのと同時に、汰絽と風太は後ろを歩き始めた。
それから汰絽が話しだそうとする。
けれど、言葉にならないようで、汰絽はなんだか見ている方が悲しくなるような表情をしていた。
風太はそんな汰絽を思いやり、口を開く。


「辛いことなら話さなくていいぞ」

「あ、ありがとうございます…」

「…なあ、たろ」

「なんですか?」

「俺な、お前のこと、よく知ってる気がするんだよ」

「…僕も、春野先輩と、どこかで会ったような気がします。なんだか、誰かにとても…」

そんな会話の途中で、幼稚園についた。
汰絽は待っててください、と風太に伝えて、幼稚園の中に入っていく。
好野と杏も幼稚園の門の前で、ぎゃあぎゃあと騒がしく会話していた。
それから携帯を取り出して、赤外線をかわしあっている。
二人を眺めてから風太は幼稚園に視線を向けた。
赤外線が終わったのか、杏がにやにやしながら幼稚園を眺めている風太に話しかける。


「はるのん、俺、まだまだ未熟だったよ」

「…お前、どうしたんだ。いつもより気持ち悪い」

「そう? ふふ、いつもどおりだよ」

「…キモ」







「あ、むくくんですね、むくくーん」

幼稚園の先生がむくを呼ぶ声で、汰絽は少し寂しくなった。
いつもはむくが汰絽の迎えを玄関で待っているのに、今日は奥の方。
そんな些細なことでなんだか寂しくなってしまった。


「たあちゃん」

先生に呼ばれてやってきたむくの隣には、もう一人別な子がいた。
その子はなんだか恥ずかしそうにむくの後ろに隠れている。
と、言っても、むくのほうが背が低くて、その子の頭が少しだけでていたが。
汰絽はそんな二人が可愛くて、思わず笑みを浮かべた。


「たあちゃん、むくのおともだちのゆうちゃん。明日お休みだからね、ゆうちゃんお泊りしたいの、いっしょに」

「こんにちは、ゆうちゃん…その、むく、ゆうちゃんのママたちはいいって言ったの?」

「ゆうちゃんのままとぱぱ、おしごとでお家に帰れなくて、それでね、ようちえんに、えっと、」

「むく、たろが先生に聞くから待ってて、あっちによし君がいるから先に行ってて」

「えー!?」

「すぐ行くから待っててね」

「わかったあ」

むくとゆうちゃんが先に行くのを見届けて、汰絽は先生を呼んだ。
その先生は若い男の人で優しくて、自分もこんな人になりたいと思う、汰絽の憧れの人。
さわやかな笑顔とともに、来た先生はどうしたの、と問いかけてきた。


「あの、ゆうちゃん、うちにお泊りしたい、と言ってるんですが…ご両親のほうの了承は得てるんでしょうか?」

「ゆうちゃんが? ゆうちゃんのご両親、今日お仕事で帰宅出来ないらしくて、幼稚園で預かるって話だったんだけど…」

「あの、うちでよければ、預かれたらなって思ってるんですが…、ゆうちゃんのご両親とご連絡取れますか?」

「あ、今の時間帯なら大丈夫だよ。電話してあげるね」

「はい、ありがとうございます」

と、若い先生は直ぐに電話をかけに行ってくれた。
その間に玄関からむくの様子を覗こうと、体を傾ける。


「はい、今変わりますね。…汰絽君、どうぞ」

「ありがとうございます」

むくのほうを見ようとしたが、すぐに先生が戻ってきて見ることが出来なかった。
戻ってきた先生から、電話を受け取る。


「お電話変わりました。六十里むくの保護者のものですが…あの、」

『あ、むくくんのお兄さんの汰絽くんね!! お家のことも、君のおばあさんから聞いていたわ。えっと、私、結之の母です』

「え? あの、」

いきなり、祖母の話を出され、汰絽は目を見開いた。
祖母の知り合いで若い人の知り合いは初めて聞く。
それから、ゆうちゃん、結之の母の話はとても早くて、いつものんびりな汰絽にはついていけないくらいだった。


『電話じゃあれだから、おばあさんのことは後日話すわ。えっと、結之がお宅に泊まりたいって言ったらしいわね』

「は、はい、その、うち大人がいないので、心配だと思うのですが、その…むくの初めて我儘なので、叶えてあげたくて…」

『あ、そんなかしこまらないで!!いいわ、汰絽君はしっかりしてるから大丈夫だと思う。幼稚園にお泊りセットが置いてあるから、それ、持って行ってくれる?』

「あ、ありがとうございます!!わかりました!!」

『明日の夕方頃迎えに行くわ。よろしくね、汰絽君』

「ありがとうございます!!」

あっという間に、結之のお泊りの話は進んで、電話が切られた。
汰絽は呆気にとられながらも先生に子機を返す。


「お泊りオッケーだそうです。ありがとうございました」

「いいえ、じゃあお泊りセットが必要だよね。電話中に持って来たんだ。はい、これね」

「あ、ありがとうございました。じゃあ、」

「うん、なにかあったら電話してくれればいいから」

「はい、さよなら」

さよなら、と先生の声を聞き、汰絽は幼稚園を後にした。
行き成りのことで、かなり時間がかかったため、空はもう薄暗くなっている。
汰絽は初めてのむくの我儘に興奮していて忘れたが、外には風太や杏が待っていた。


「あ、あの、遅くなってすみません」

走って門まで行くと、好野は杏と白熱した会話をしていた。
むくとゆうちゃんは…とあたりを見渡すと、風太に声をかけられる。


「たろ、お前が探してるのはこいつら?」

「あ、あ、むく」

風太の声に腕元を見ると、むくと結之が風太の腕に抱かれ嬉しそうにはしゃいでいる。
それに安心してむくを見れば、むくは楽しそうに笑みを浮かべた。
むくにつられ、微笑みながら、汰絽は風太を見上げる。


「あの、春野先輩、ありがとうございます。…むく、楽しい?」

「ん、むう、すごく楽しい!! むう、ふうたすき」

「そう、良かった。あ、むく、ゆうちゃんのお泊りオッケーだって」

「やったあ!! ゆうちゃんおとまりおけだって」

「やった、むくちゃんと一緒!!」

むくが嬉しそうに風太の胸元をぺシぺシと叩いた。
風太はそれに軽く笑って2人を下ろす。


「もう暗いから送る」

「え、あの、いいんですか?」

「お前が通ってた道はアブナイんだよ」

「じゃあ、お願いします」

風太の申し出に汰絽はこくん、と頷きながら声を出した。
それにむくが嬉しそうに笑う。


「ふうたもお泊り!?」

「んーん、むく、違うよ。お家まで送ってくれるって」

「えー。むく、ふうたもお泊りがいいよう。たぁちゃん」

「むく、だめだよ。先輩もお家に帰らなきゃなの」

「えー…ゆうちゃんも、ふうたといっしょがいいよねー」

「うん」

「ゆうちゃんまで…」

むくの二回目の我儘には、流石の汰絽も眉間にしわを寄せた。
結之と手をつないだむくはぷくう、と頬を膨らませている。


「たろ、お前がよければ、俺泊まるけど」

「え?」

「あー、お前がよければ、な。むくの我儘、聞いてやっても良いって言ってんの」

「…だって、知りあって間もないのに…」

「俺、猫も好きだが子供も好きなんだよ」

「…じゃ、じゃあ、よろしくお願いします…」

風太の申し出に、またもや汰絽は助かった。
滅多にないむくの我儘は、何としても叶えてやりたくて、汰絽は風太に感謝する。
隣で白熱した会話を繰り広げていた好野と杏も目を見開いた。


「よし君、むくと遊ばなくていいの? もう、帰るけど…」

話がまとまって、好野に汰絽がそう話しかけた。
好野ははっと声を上げ、むくを抱き上げる。


「むくちゃあああん」

「よしくんだあ」

「むくちゃん、汰絽をよろしくね」

「ん!! まかせて! からふるれんじゃーのむくとゆうちゃんが、たぁちゃんまもるからっ」

「うはあ、超かわええ」

好野の頼みにむくはえいっとこぶしを高くさし上げた。
結之もそれに合わせて、えいっとこぶしを上げる。
微笑ましい光景に耐えきれず、好野はむくの柔らかい頬に頬ずりをした。
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