バー『黒猫』

暗い店内に入り、風太はカウンター席に向かった。
カウンター席にいるだろう、いつも元気な杏を思い出して、若干苛立つ。
一緒にいるのは構わないが、あのテンションにはついていけない。
そう考えると、なんで杏と一緒にいるのだろうか、疑問に思ったが、それ以上考えないことにする。
それから、カウンター席を見ると、やはり、杏が夏翔とやたらと楽しそうに会話していた。


「あっれー? 今日は来ないと思ってたよー」

杏のゆるい声が聞こえ、風太はため息をついた。
それから杏の席から一つ空けた席に腰を掛けて、カウンターに立つ夏翔に注文する。
夏翔は苦笑しながら、風太の注文を受けた。


「未成年に出す酒はないって言いたいところだけど…、しょうがねえなぁ」

「あんただって、同じだろ」

「黙れー」

夏翔が出したカクテルに手を付けて、携帯を開いた。
どこに連絡するわけでもなく、パタパタと開け閉めする。
汰絽から、電話が来るか、来ないか。
来ない確率の方がだいぶ高いだろうな、と考えると、やけに落ち着かない。
携帯の開け閉めは、その落ち着かなさから、来ていた。


「はるのん、どうしたのさー。そんなパタパタしてえ」

「うるせえ。てめぇみてーなオタクには関係ないことだ」

「オタクって、ひどい!! 恋煩い野郎」

「はあ? 意味わかんねえこと言ってんじゃねえよ。ハゲ」

「禿げてないやい白髪野郎」

「ハゲより白髪の方がまだマシだ」

「俺は毛が太いから禿げないもんね」

杏の軽口に答えながら、開け閉めをやめた風太は一気にカクテルを仰いだ。
がんっと机に置くと、夏翔が注ぎ足す。
継ぎ足されたカクテルも一気にあおり、風太はもう一杯、夏翔に注がせた。


「汰絽ちゃん、どうなんだよ」

「あ? さあな」

「さあな、ってお前なあ」

「そんな急かしたってどうにもなんねえよ」

「そりゃそうだけど…、お前、気になってるんだろ?」

「そりゃあな」

「はるのんって考え方とか大人だよねー」

けらけらと笑う杏の頭に、目の前に置いてあった水をかけた。
うわ、と声を上げながらも、杏は風太に文句を言わない。
払ったところで、今度はカクテルとグラスが注がれるだろう、と予測した行動だった。
水浸しになった杏のところに、派手な女が駆け寄ってくる。


「あんちゃん、大丈夫ぅ? 春野くんってば、乱暴なんだからぁ」

「だいじょーぶだよぉ。水も滴るいい男でしょ」

「あはっ、言えてるっ。あんちゃんいい男だねぇっ」

女は猫なで声を出しながら、濡れた杏の肩などを拭く。
杏は杏で、女に答えるように笑顔を見せた。
低次元なやりとりに、風太は胸やけのようなものを感じた。
頭が悪い女と、語尾が伸びる男が喋ると、ネトネトとした甘さを感じてしまう。
もともと、さっぱりとしたものが好きな風太は、どうもそれが腹立たしかった。


「ねえ、あんちゃん。春野くん、溜まってるんじゃなぁい?」

「そうだねえー。はるのん、どう? 一発ヤッとく?」

「いいっつの」

苛立ちが最高潮に達したのか、風太は飲まないでいたカクテルを手に取り、杏にかけた。
当然、寄り添うようにしていたネトネトした女もカクテルを浴びる。


「つめてー!!」

「頭冷やせ」

「冷えてるよ!! これ以上にないくらいに、いつも!!」

流石の杏も、文句を言わずに言えないのか、意味のわからないことを叫んだ。
どうやら杏は、頭がわいてる、と言われたことに、文句を言っている様子。
文句言うところが違うだろ、と、風太は呆れて、視線を別の所に向けた。
向った先は、ネトネトした猫なで声の女。


「おい、そこのくそ女」

風太は冷めた目で杏とその女に声をかけた。
凍りつくような視線に女は体を強張らせて、風太を見る。
何か言いたいようだが、思うように言えないみたいで、女は唇をかみしめた。


「胸糞わりィ。どっか行け」

「…ッ」

その言葉で、女は弾かれた様にその場を去った。
杏はくしゃみをしながら、その様子を脇目にジャケットを脱ぐ。
脱いだジャケットを椅子にかけ、はあ、とため息を吐く。


「寒そうだな」

「はるのんのせいでしょうがっ。あーあ、さっきの子、今晩のお約束してたのに」

「1人でオナってろ」

「セクハラーっ。あ、夏翔さん、タオルちょーだい」

「はいはい」

夏翔からタオルを受け取り、杏は体を拭き始める。
杏のことはどうでもいいのか風太はジーンズのポケットから煙草を取り出して、火を点けた。


「もう行くのか?」

「馬鹿と一緒にいて、具合が悪くなった」

「馬鹿ってーっ。これでもあたまはいいんだからー」

「黙れハゲ」

杏に一言告げてから、風太は飲み代をカウンターに置いて、黒猫を後にした。



薄暗かった黒猫から外に出れば、何だか星空の方が明るく感じた。
煙草を吹かしながら、今日のことを思い出せば、最初に汰絽の涙を思い出す。
すごく、綺麗で透明な涙だった。
誰かを綺麗だと思ったのは初めてで、その初めては心の中に燻り、風太は煙を大きく吸い込んだ。
その煙を吐き出してしまえば、燻っているものも吐き出されるような気がしたが、吐き出されることはない。
未だに、心の中で燻っている。


「あー」

空を見上げて声を出してみれば、心地よい。
心地よさに、風太は一度立ち止まる。
汰絽はどうしているだろうか。
そう考えれば、自然とポケットにはいった携帯に手が伸びた。
けれど、今の時間は迷惑だろう。
そう考えなおして、風太は伸ばした手を元の位置に戻す。
それから昨日、この腕に抱きしめた体温を思い出そうと、腕をさすれば、何となく、自分の中で燻っている気持ちの正体がわかったような気がした。
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